ふむむ。
“哲学的雑談”と見て若干好奇心が湧いた為自分もこのトピックに伸し掛かろうと思ったのだが…
最後のレス(詠み人)が浮上し約3年程の月日が経過している・・・また、殆どがこのサイトの上層部で当たる人物であったり、中々の実力者と見られる人物により構成されたスレである為、多少抵抗が在り本能的に伸し掛かる事を拒んでいるな・・・。
てかこれ、今まで話題の流れに沿り会話が続いてきたのにも関わらず、いきなり遮断して別の話題持ち出していいのかしら・・・まぁ、何年も経ってるし、いっか。
全体的なRoundTableの浮上率と俺の今から提唱する哲学的話題の需要性を演繹して考えてみると、中々更に伸し掛かってくれる優人が居るとは思いませんが、軽く話題を振ろうと思います。宜し熊の糞。
【題】“世界五分前創造説”
“世界五分前創造説世界(〈別名〉:五分前仮説)は、バートランド・ラッセルに依って提唱された懐疑的且つ哲学的な思考実験の一つである、簡単に解説をすると。
??《世界は五分前に創造されたのかもしれない》というもの。
まぁ一見は「は?w 何言ってんの?俺1時間前に放送されていたプリキュ〇をみてたが?」等と、五分以上過去の記憶、根拠があるからして世界五分前創造説は論理的な破綻と言える様にも見える。
・・・だがよ、実はこれがそう言えないんだよ。
ぶっちゃけ投槍で言ってしまえば
“パルスという生き方”とかいう宛もローランドが付けそうなスレ名でパルスと重力おにぎりがバチバチで殺り合ってたから、そっちを見た方が世界五分前創造説の意味やら理解をし易いってのはあると思う。あ、因みにだが勿論“世界五分前創造説”な「5分」である深い意味は無い。
純粋に「仮説の一つ」で5分ぐらいにしようか程度で設定された時間帯なだけらしい。
まぁ取り敢えず「何故、世界五分前創造説の真偽を断定出来ないのか」について丸数字を用いて区切っていこう。
❶創造者が不可知的存在に辺ると仮定されているから。
んまぁ例えで言うと如上で野良さんやら詠み人さんやらが熱弁されている“神”の存在。
こちらも(いや、こちら“が”が正当な指しであろうか。)人間が観測できる範疇内を大いに超越してる存在の一つ、これを所謂“不可知論”という。つまり、我々人類が何故“世界五分前創造説”を論破する事が出来ないかと言えば〈創造者が、不可知的な存在である為「どの様な/どれ程の“力”を持っているか」が観測不可能である為〉である。長々と解説文をカキコしてるだけでは理解し難いであろうから、軽く世界五分前創造説についての例話をAとBにして貰おうか。
【A「世界五分前創造説って知ってるか?『世界は五分前に出来ていて、実際は5分以上前を俺らは生きていないのでは』という仮説なんだけど、お前はどう思う?」
B「うーん。5分前以降を我々が生きていないと言っても、実際俺は5分以上前に昼食を食べたからな。
飯の写真を撮ったから、端末内から撮影時刻を確認すれば“五分前創造説”は破綻するくね?」
A「神は5分以上前にお前が飯を食ったと感じる/また、その端末で5分以上前の時刻に設定ってのを神がプログラムしたのでありその記憶は虚偽記憶なのでは?」】
こんな感じだ。“もしかしたら”神はその様にプログラムする力を所持しているのかもしれない。
今から個人的に想定できたこのトピックの読者が“過去の存在の証拠”と(一見)思う(反駁にもなり得る。)であろう現代的な道具をいくつか挙げよう。
「カメラ」や「メモ帳/日記」、「履歴」等がある。
だが、これらは全て「神(不可知的存在)が『読者がこれらを“過去”と感じる様にしよう。』とプログラムした。」と反駁されれば論証出来なくなってしまう、事実上ラッセルも今如上で挙げた“反駁”と類似する仮説否定者に提唱した。
ラッセル「世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである。」
— ラッセル "The Analysis of Mind" (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)
引用:Wiki と。
ただ、所持してるか否かを確信を付けることが出来ない、だからこそ論破出来ない。というもの。
類似した同じ様なものので水槽の脳や、仮想現実(シュミレーション世界)等がある。
これらも構造自体は全て同じで、創造者/主が不可知的存在に当たると仮定できる為、意見が分かれるだけで論破/確定させる事が出来ないのである。
❷次元の関係に依り人間の観測出来る範疇に上限があるから。
まぁ正味❶と関連付けれるし、❶でも多少触れた理由だね。というか、❶の中の❷みたいな感じでもある。
我々は今現在数ある次元の中の“三次元”という場所に居ます。
更に内容を吟味すると、「三次元内以外の場に移行する事は不可能な為、世界五分前創造説の真偽の断定/及び反駁をする事が出来ない。」のである、超絶簡潔にマトメると、我々人類は次元という(必ず出られない)檻の中に居座っている為である。例えで、創造者が不可知的存在の“神”であると仮定しよう。
ここから具体的に解説する為多少読解が困難になる可能性もあるが、悪しからず。
先ず三次元では、“空間認識、及び時間の経過”程度しか把握出来ないからである。今回の取り上げた哲学の仮説では“時間”を取り上げている為三次元に於ける“時間”の概観について解説すると、“三次元の時間”では、その時一瞬の連続しか感じる事が出来ないから。つまり、三次元では、過去に起きた事柄は“記憶”という形で保存する事しか出来ず、その起きた“事柄”を再度確認する事が不可能であるから。
これがもしも我々が“四次元の時間”も肉体的に感じる事が可能であるならば、四次元は時空軸を行き来する事が可能である為、“世界五分前創造説”の真偽を論証できる。
(転用:相対性理論の諸関係)
“仮”にいつか、我等が一、二、三次元を行き来でき、未来をも行き来できる存在となった暁には、世界五分前創造説の真偽について断定をし、ラッセルに「世界五分前創造説は間違ってる!」と抗議しに行く事は可能になるかもしれないね。
❸“絶対と断定する”方法が見出されていない(とされている)から。
・・・いや、これ実は9割型俺が様々な資料を演繹法と因果関係で観た非妥当性的な推論だから・・・正味かなり正当性が欠落していれば、誤謬/詭弁である可能性がむちゃくちゃ高いから、仮に“誤謬点”があれば(優しく)指摘してほしいんだけどさ。
でも・・・!折角・・・!頑張ってクラミジアサイズの脳みそを極小ピンセットで絞りに絞って考え抜いた推論だからさ・・・!一応執筆しようと思う・・・!
今さ、懐疑主義的哲学(?)の中で、“物事を断定できるか否か”って議論が進められているんだよね。んで結論(調べた情報)から申し上げると、今の所“完全なる断定する方法”がまだ発見されてない訳なんですよ。
まぁ昔ならば数学者ラプラスさんが“ラプラスの悪魔”(ラプラスの悪魔では、物体の位置と運動量が分かれば、物理法則に基づいて計算すれば未来を完全予測出来る。)を提唱して“物事を断定する事”が可能とされてたんだよ、1927年まではね。だけど、
・・・が、1927年以降に理論物理学者のハイゼンベルクが、量子力学の一環“不確定性原理”([不確定性原理(∆x∆p ≧ 4π/h)とは]量子の位置と運動量を同時に把握する事は出来ない。)という物理法則が発見された為、不確定性原理論との論戦が行われ、正否はラプラスが否定される結果となった。
が、更にここで世界の大理論物理学者“アルベルト・アインシュタイン”が量子力学の“不確定性原理”を否定する物理法則的なのを発見したんだけど、その詳細内容が記載された資料が他の資料の山に埋まって見つけられなかったらしい。(諸説あり)
んで結局今現在ではバイゼンベルクさんが信仰されていて、“完全に断定する方法”ってのが見つかってない、この様に何度も何度も論戦が広げられたって訳。
老害校長の如し長々と語って「何が言いたいんだ!」って所だけど、つまりはその方法が見つかっていないから「世界五分前創造説」が完全に否定も肯定も出来てないのだろうな・・・って思ったって訳、これが-❸-
少なくとも、今“有神論者”と“無神論者”がバチバチに殴り合っている現代、また、次元/時空間についてが全く判明してない今現代では世界五分前創造者の真偽を発覚させる事は無理だろうし、科学的に論証可能となる未来はかなり乖離しているだろう。
後少し余談だけど、“不可知論”やら“次元の限界”やら“時空軸の把握不足”ってのが解消された場合、《世界五分前創造説》に限らずかなりの哲学の答えってのは出てくるかと思われる。
喧嘩師やらzawazawa最強と謳われている詠み人さんの文章(の下位下位下位互換)っぽいフィーリングで羅列してったけど、何か、グチャグチャになったなとか思ってます…。
後書いたり資料見てて思ったけど、仮に判明した際の世間的な見解では「クソ範囲のデカい長きに渡った超ド屁理屈」みたいな感じで流れるのかな。
一応メンタル的な麺で保険かけとくと、揶揄で侮辱するってよりは、論理的な否定であったり、“世界五分前創造説”に対する見解ってのを教えて戴けたら幸いであります。
あと、後に別に畢竟(かなめ)の最初の要項内容に反する意図では無いので、そこだけはご理解の程ほど。
あ、後に「逃亡だ!」とか袋叩きにされる可能性を想定して前述しておくと、忘れたり気分であったり、面倒だからやらリアルが忙しくて浮上が出来ない可能性があるのでそこん何処よろっす。
“保険”やら“ビビってる”など様々なご意見が浮かぶでありましょうが、何と思って戴いても構わないんでおけです^^
以上、アベル報道局からでした。