仏教のお話

Rの会:方便品第二(前半) / 17

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ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 00:59:01 修正

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性相の義
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太郎論:サンスクリット原文では、ラクシャナ lakṣaṇa です。主に「特徴・属性・マーク」という意味で使われます。漢訳だと「相」です。無量義経以来、よく出てくる言葉なのでおなじみですね。
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鳩摩羅什の訳だと「覚りの大果報 真理と現象について 仏はよく知っている」というように訳すと思いますが、サンスクリット原文からだと、「覚りの大果報とその特徴を仏はよく知っている」というような意味になります。大部、イメージが違いますね。これは、鳩摩羅什の誤訳ではなく、鳩摩羅什の用いたサンスクリット経典の底本と、私の持っているサンスクリット経典とが異なるからだと思います。
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言辞とは
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太郎論:この場合の言辞は、ヴィヤーハーラ vyāhāra の訳です。意味は、「言葉・言語・会話」です。漢訳で同じく言辞と訳されるニルクティ nirukti は、語源の意味です。法華経には、ニルクティの方がよく出てきます。
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経:na taddarśayituṃ śakyaṃ vyāhāro’sya na vidyate|
nāpyasau tādṛśaḥ kaścit sattvo lokasmi vidyate||6||

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言辞の相寂滅せり
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太郎論:「言辞の相寂滅せり」とは、「言葉に依る特徴は無い」という意味です。つまり、「言葉によって示すことはできない」ということです。この文の前に、「この法は示すべからず」とありますから、言葉によって示すことができないのは、「真理」だということが分かります。それも、最高の真理である真諦・第一義諦でしょう。最高の真理とは、妙法のことです。
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真理には、二種があります。俗諦と真諦です。俗諦とは、世俗の真理であり、言葉によって表現されます。真諦とは、真の真理のことであり、世俗の言葉では表現できません。言葉では伝えることのできない真諦を伝えるために、諸仏は、世俗の言葉を駆使し、譬喩・因縁・言辞などの方便にしています。
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真の真理は、言葉では明示できないため、人々はこの真理を理解できません。ただし、信力の固い菩薩を除きます。
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諸の菩薩衆の信力堅固なる者をば除く
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太郎論:ここに出てくる「信力」は、アディムクティ adhimukti の訳です。意味は、「確信・決心・不動」です。そのことを確信し、それを成就することを決心し、その心が不動だということです。法華経の場合は、「誰もが成仏できることの確信」「自他の成仏を決心」「自他の成仏を求める心が不動」という意味で使われます。漢訳では、「信解」といいます。
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幾つかのサンスクリットの単語が「信」と訳されます。シュラッダー śraddhā、バクティ bhakti、プラサーダ prasada、アディムクティ adhimuktiなどです。法華経では、バクティはあまり使われません。バクティとは、熱烈な信仰のことで、ヒンドゥー教の人々による神々に対する思いがバクティです。信解はバクティのことではありませんが、日本人はバクティの意味だと思い込んでいる人が多いようです。
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よって、「諸の菩薩衆の信力堅固なる者をば除く」というのは、成仏できることを確信し、自他の成仏を決心し、自他の成仏を求める心が不動な菩薩ならば、真の真理を知ることができる、ということです。信仰心の強い菩薩という意味ではありません。
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性相の義
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