仏教のお話

Rの会:方便品第二(前半) / 41

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ダルマ太郎 2024/05/04 (土) 13:19:08

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偽を棟びて信を敦む
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経:舎利弗。もし我が弟子、自ら阿羅漢・辟支仏なりと謂(おも)わん者、諸仏如来のただ菩薩を教化したもう事を聞かず知らずんば、これ仏弟子に非ず、阿羅漢に非ず、辟支仏に非ず。

また舎利弗。この諸の比丘・比丘尼、自らすでに阿羅漢を得たり、これ最後身なり、究竟の涅槃なりと謂うて、便ちまた阿耨多羅三藐三菩提を志求せざらん。当に知るべし、この輩(ともがら)は皆これ増上慢の人なり。所以は何ん。もし比丘の実に阿羅漢を得たる有って、もしこの法を信ぜずといわば、この処(ことわり)あることなけん。仏の滅度の後、現前に仏なからんをば除く。所以は何ん。仏の滅度の後に、是の如き等の経を受持し読誦し、その義を解せん者、この人得難ければなり。もし余仏に遇わば、この法の中に於て便ち決了することを得ん。

舎利弗。汝等当に一心に信解し、仏語を受持すべし。諸仏如来は言虚妄なし。余乗あることなくただ一仏乗のみなり。
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太郎訳:シャーリプトラよ。もし私の弟子の中に、自分で阿羅漢の境地、縁覚果の境地に達していると思っている者があっても、諸仏のただ菩薩を教化するという事を聞かず、知らないならば、この者たちは、仏の弟子ではありません。阿羅漢でもなく、縁覚でもありません。

また、シャーリプトラよ。この男女の出家修行者たちが、自分ですでに阿羅漢の位を得たと思い、この身体は最後の身、完全なる涅槃であると思って、最高最上の悟りを求めないとすれば、よく、知っておいてください。この者たちは、皆、増上慢の人です。なぜならば、もし出家修行者の中に阿羅漢の位に達した者があって、もし、この教えを信じないのであれば、それは、真の阿羅漢ではないのです。仏の滅度の後に、目の前に仏がいない場合は除きます。なぜならば、仏の滅度の後に、この教えを、受けて保ち、読誦し、解説することが難しいからです。もし、他の仏に出会えたならば、この教えを聴いて最上の悟りを得ることができるでしょう。 

シャーリプトラよ。あなたは、私の説いた教えを一心に信じ、深く思惟し、仏の言葉を受持してください。諸仏の教えには、嘘いつわりはありません。他の道などなく、ただ一仏乗があるだけなのです。
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偽を棟びて信を敦む
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