仏教のお話

Rの会:方便品第二(前半) / 34

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ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 13:50:14

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三止三請とは
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太郎論:釈尊が、説法を三度止めようと言い、舎利弗が、三度教えを請いました。これを三止三請といいます。一回目の釈尊の止は、方便品の最初の諸法実相を説く前にあります。「止みなん、舎利弗。また説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏といましよく諸法の実相を究尽したまえり」というところです。

なぜ、釈尊は、説法を止めようとしたのでしょう? それは、聞く人が受け入れきれず、驚き怖れ疑うことになるからだと言います。また、増上慢の人は、地獄に堕ちることになるからだとも言います。

譬諭品第三には、「おごり高ぶっている高慢な者たちやすぐに怠けて修行を続けられない者たち、自己中心的な者たちにはこの教えを説かないでください」と釈尊がおっしゃり、もし、そういう人に説けば、受け入れることができず、否定し、反感を持ち、怒りによって、仏道から離れるかも知れないと告げられました。怒りに心を支配される状態を地獄に喩え、相手を地獄に堕としてはいけない、説かないという慈悲もあることを教えてくださいます。そのことがあるから、釈尊は、教えを説くことを躊躇されたのです。このことは、法華経全体を貫くテーマの一つです。

釈尊が、三度も説法を止めようとされたのは、教えを聞いても否定しないように、人々の信を高めるためです。信を高めることによって、求道心が高まり、教えを受け入れやすくなるからです。
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R論:なぜこうして再三「やめておいた方が良かろう」とおおせになったのかといえば、ただ一同の覚悟を固めさせるためにほかなりません。しっかりした心構えをつくらせようという仏陀のお心づかいなのです。舎利弗の求道心と、お釈迦さまの〈真実を教えてやりたい〉というお気持ちとが、打てば響くように触れあって、ついにいよいよその大切な法門の説法が始まることになります。この舎利弗とお釈迦さまの劇的なやりとりを〈三止三請〉といい、法華経の教えがどんなに大切なものであるかを証明するものとして重大視されているわけです。
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五千起去
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太郎論:仏が『法華経』を説こうとした時、5000人の増上慢の人たちが、聞こうとせずに立ち去りました。これを五千起去といいます。増上慢とは、覚ってもいないのに、覚っていると思いあがっている高慢な人たちのことです。小さな覚りに満足していて、真の真理(妙法)を聞こうとせず、無上の覚りを求めていません。釈尊は、そういう人たちを無理に引き止めることはせず、黙って見ていました。

三止三請によって、人々の信を高めようとしましたが、全員の信が高まらなかったということでしょう。それほどに、増上慢の人は救い難いということでしょう。私たちも、そうならないように気を付ける必要があります。
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三止三請とは
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