札学心理学

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返信遅くなってしまい申し訳ありません。
参考にしたサイトを載せさせて頂きます。
https://psycho-psycho.com/interview-method/
https://psycho-psycho.com/observation-method/

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ナビゲーション実験

「意見」
平準化が起こるのは、自分の中で整理が行われたためなのだろうか。語りの形式の比率が変わったYさんの話し方や表情について1巡目と2巡目で何か変化などはなかったのか気になった。
例にあったように、“教室”から連想されるものだけでなく、見たからこそ、体験したからこそ言える事柄について一歩踏み込んで質問することが体験か伝聞か判別するポイントになると思った。呼称の不安定さ・安定さについてや、行為の動機について、実体験で語られるだろうと思っていたことと伝聞で語られるだろうと思ったことが逆だったので面白いと感じた。自分の経験としても、実体験について話すときは「多分こんな感じだった」というようなふんわりとした話し方になってしまうが、人から聞いた話は、聞いたことをそのまま再生すれば良いので他の人に伝えやすく感じる。実体験がふんわりとした言葉になってしまう理由として、目から得た情報が多く、それらを“雰囲気”や“だいたい”でまとめるためだということを知ることができた。
今回の実験のように、実体験と伝聞で様々な項目に違いが出るのは面白いと思った。これが、言葉による伝聞ではなく、映像による伝聞だった場合どのような変化が起こるのか気になった。個人的には、大きな差異が無くなるのではないかと思う。

165

スキーマアプローチ

「意見」
一般的に言える事柄を個人に落とし込むとき、裁判官の能力が問われるものだと感じた。裁判官が心理学に対する信頼感が無かった場合、いくら心理学的見解を提出したとしても、その部分に関しては検討されることなく、判決が出てしまうのだろう。欧米などの国は裁判において心理学の考え方は日本より尊重されているイメージがあり、この理由に心理学が一般の方の生活に身近なものではないという理由があるのではないかと思った。カウンセリングを受けることが珍しくなくなった場合、裁判における心理学の役割も大きくなるのではないかと思った。
心理学は多くの統計やデータを元に理論を展開していくため、“一般的”に言えることを言うしかないが、裁判の場では“個人”についての言及が求められるため、その部分の心理学に対する認識のギャップを埋めていく必要があると感じた。

スキーマアプローチは一般的(多くの人が行う行動)の中にある個人差(フォームなど)に着目しているものだと考えた。取り調べは取調官と被疑者との会話であり、その会話という誰もが行うものの中に、問いに対する答えかたや自分の経験を話す方法など、マクロな部分に着目し、小さな違和感を漏らさないようにするという力が求められると学んだ。今まで挙げられてきた事件に関してはスキーマアプローチが有効であることは分かったが、それらのほかにスキーマアプローチが有効になる事件の特徴があれば知りたいと思った。

1242

学期末特別課題 問題2
利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関の結果とはステレオタイプである。
よってこの問題は、ステレオタイプと文化差の違いとなる。
文化差は東洋人や西洋人などの社会的集団によって分けられる客観的な分類であり、ステレオタイプは個人の主観による信念の事を指すと考える。
「文化差」は客観的なものであり、「利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関の結果」は個人の信念を含む主観的なものであると考える。

1241

学期末特別企画
課題3
防衛規制をコーピングとみなしてはいけないと考える。なぜなら、防衛機制は自我を防衛するという無意識な動きを指し、コーピングはストレス反応の対処を自ら意識的に行う行動であるからだ。論文にも「防衛機制とコーピングは,前者が無意識的であり,後者が意識的であるという違いがあるが,共にストレスへの対処方略という点で共通している」と書かれており、共通点は存在するが、2つの特色は異なったものであるため防衛規制をコーピングとみなしてはいけないと考えた。

【参照論文】https://www.jstage.jst.go.jp/article/personality/16/2/16_2_229/_pdf/-char/ja

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学期末課題 問題1
偏見だというべきではない。

「ステレオタイプ」に好き・嫌いなどの感情的な要素が加わると「偏見」となるとされている。
利用可能性ヒューリスティックとは「目立つことや思い出しやすいことは、実際よりもよく起こると錯覚してしまうこと」・錯誤相関とは利用可能性ヒューリスティックによって特定の集団と行動の間に相関があると判断されることをいう。
ステレオタイプは、「特定の社会集団に関する知識・信念・期待によって構成された知識構造」をいう。

上記は文言は違えど教科書からの抜出です。
教科書の文を参考に考えると、特定個人であろうとごく少数の人しか持っていない信念であったとしてもステレオタイプだと考える。しかしながらこの信念に感情が含まれている場合は偏見になる。
例のスポーツ選手の場合も「スポーツ選手は野蛮だ」と考えること自体はただの個人の信念だとしてステレオタイプであるが、この「スポーツ選手は野蛮だ」という考えが悪意や感情的な要素を含んだものだとしたら「偏見」である。

1238

学期末特別企画
課題5
 発達障害の特性がある子が、場にあった言動をするために、自分を押し殺して無理をしてしまう「過剰反応」の対策として、私は少人数で話し合い自分の意見を主張しやすい環境を作れるのではないかと考えた。例えば、最初から全体で話してしまうと自分の意見を言えず、「過剰反応」につながる可能性が出てくる。そのため、少人数で話し合いをした後に全体で話し合うといいのではないかと考えた。
 また、過剰反応をしている子に気づくために具体的にどのようなことをすればいいのかという問いに対しての解決法は、少人数で話し合う際に先生がいろいろなグループを回り、様子を見ることだ。自分からSOSを言えない子もいると思うので、先生がいろいろなグループを回り、生徒たちに声をかけたりすることで、気づくことができると考えた。

1236

 問題6: F22001さん自身が特定していないので、どの研究について語っているのかそもそもわかりません。この研究だと思うものがあれば、出典を示し、述べる必要があります。また、文系学部の1年生には馴染みのない用語が使用されているので、わかるように紹介する必要があると思います。たとえば「カムケーツーアルファ」ってなんですか? さらに、直近の投稿で「浸透率」という概念を紹介してくれた人がいました。これも考慮した方がよいと思います。
 研究の紹介の仕方に不足があるので、再投稿してください。

1235

学期末特別企画
問題6
F22001さんが取り上げていた愛知県の発達障害研究所による発見は去年の7月になっていたのですが、調べてみたところその後2つの研究者たちのグループが知的障害のメカニズムを解明していました。1つ目は東京大学、名古屋大学の教授たちによる発見です。遺伝子変異によってカムケーツーアルファが異常に活性化し、知的障害を引き起こすことがわかったようです。また認知症の治療に使われるメマンチンを使うと変異のあるカムケーツーアルファの異常な活性化を抑えられることもわかったそうです。2つ目は自治医科大学の研究グループです。自治医科大学は子どもの知的障害などの原因となる「SENDA/BPAN」と呼ばれる病気についてのメカニズムを解明しました。自治医科大学によると『「SENDA/BPAN」は遺伝子の異常によって、体の中のタンパク質を分解する「オートファジー」と呼ばれる仕組みがうまく働かなくなることで脳に鉄が蓄積し、子どもの知的障害などの原因となってしまう病気』です。研究結果で脳に障害を引き起こす原因は蓄積した鉄を体内に供給できないこととわかったそうです。この明らかになった2つのことと愛知県の発達障害研究所の解明が合わされば障害を軽減させることは可能になるのではないかと思います。

1234

 問題5: 「辛い時に押してねというボタン」がうまく機能するには、そのボタン押し反応を好意的に受容してくれる他者の存在が前提になりませんか。そういう周囲の環境がないから、過剰反応も助長されるのではないでしょうか。
 4行目以降は、質問者の質問とは別の話をしています。質問者の方、よかったら参考にしてください。

3点差し上げます。

1233

 問題6: 直前の投稿にあった「浸透率」という概念を考慮すると、この資料およびあなたの主張が妥当なのか疑問です。この概念を知らなくても、遺伝と環境の影響について、心理学部生であれば「心理学概論」で学習したのではないかと思います。遺伝子が100%影響するものはありましたか。もしそうでないなら、遺伝子を組み替えたことで望み通りの子供が生まれると考えるのは、かなり飛躍した考えではないでしょうか。デザイナーベイビーに関するこの資料(それが元にした資料)は、学術的というより話題先行のジャーナリスティックに見えます。
 この資料、冒頭に「担当者名」があることからすると、どこかのゼミの資料のようです。こういうのを典拠には普通しません。

4点差し上げます。

1232

 問題2: あなたの主観的意見を提示しているだけになっています。
 問題6: 「浸透率」というとても重要な観点を指摘してくれました。それはいいのですが、質問は「知的障害」について問われています。「発達障害」ではありません。後者は前者を併発することはありますが、同義ではありません。ここを区別して述べてくれるとよかったと思います。

8点差し上げます。

1231

 問題1: 推論が成り立っていないと思います。利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関からうまれたものはステレオタイプと言ってよいというのが、あなたの意見ですね。それはどうしてそういえますか。問題1はここを問うているのですが、あなたはそこに答えていません。ある部族の観点からするとステレオタイプで、外部の者から見ると利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関による偏見であるという、この観点を分つものはなんでしょうか。ここに問題1の解答があると思います。
 問題2: あなたの考えだと、一人だけが思っていても「文化」になってしまいませんか。
 「「文化差」とは「ステレオタイプ」と「利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関による偏見」との間で生まれる差異であるからである」、この文章の意味がわかりません。
 問題6: どの研究かよくわからなかったものを、ちゃんと特定してくれました。この研究の内容から、どうして「防止及び軽減も可能になる」という結論が導かれるのかを知りたいところです。紹介してくれるとよかった。

10点差し上げます。

1230

 問題1: 資料に基づいて考察しています。推論自体はよいのですが、典拠を示すべきです。「日本大百科全書」を引用文献として載せるべきということです。書名だけ記すのはいけない。

4点差し上げます。

1229

 問題1: 文献に依拠して論じてくれた点はよいと思いますが、いくつか疑問があります。「集団とその成員に対する過度に一般化された否定的または肯定的な認知をさす」という定義には、「特定個人や、ごく少数の人しか持っていない信念をステレオタイプとは言えない」という推論は成立するのでしょうか。「一般化された」という部分が、「人々一般が同様に所有する」という意味であればよいのですが。「認知が一般化されている」、つまり対象へのイメージが画一的という意味ではないかともとれました。それから、「偏見は否定的要素の認知または態度のみを指す点から課題の中の例の場合、偏見と言うべきという見解は正当であると考える」の部分がよくわかりません。
 「心理学辞典では・・・」ではなく「中島・安藤・子安・坂野・繁桝・立花・箱田(1999)では・・・」と書いた方がいいと思います。あるいは「心理学辞典(中島・安藤・子安・坂野・繁桝・立花・箱田, 1999)では・・・」でもいいです。

4点差し上げます。

1228

 問題1: ステレオタイプの定義は「多くの人に浸透している固定観念や思い込み」であるという根拠はどこにありますか。これだけだと、「自分はこう思う」という主観的感想になってしまいます。

2点差し上げます。

1227

 問題3: これはコーピングの具体的内容を分類している研究なので、問題3への回答の根拠とするには適切さが低いのではないかと思います。むしろここで引用されている、加藤・今田(2001)を参照して述べるべきではないでしょうか。その内容が要約されていますが、下山・金光(2005)からの孫引きなので、これは正しい引用の仕方ではありません。このことはかなり前ですが、この掲示板で話題にしたと思います。下山・金光(2005)を直接当たって、この結論を出したらよかったですね。結論の出し方の推論には問題ありません。

4点差し上げます。

1226

学期末特別企画
問題5
発達の特性のある子に自分の気持ちを押し殺しているなと感じるとき、辛い時に押してねというボタンを渡せばいいのではないかと思います。その子のことをずっと見ておけるわけではないので、その子がそのボタンを押したら何かしら辛いことがあったということがわかり、駆けつけて対応することができます。
あと気づくためにできることではないのですが、その過剰反応を少しでも軽減させられたら良いのではないかと考えた人がいました。この記事を書いてる方は息子さんが発達障害でルールを破るということに対してよく過剰反応を起こしてしまっていたそうです。そこでルールが持つグレー部分(ルールというものはあるけれど破られてしまうこともあるということ)を理解してもらおうとしました。しかし、ただ説明するだけでは理解してもらえません。なのでささやかなルール違反を息子さん自身に経験させることにしたそうです。集団下校時にパニックを起こしている息子さんに「本当はダメだけど頑張っているからあめをあげるね」など誰にも迷惑をかけずかつささやかなルール違反を実行しました。そして人のルール違反について厳しく言い始めたら「確かに、ルール違反はだめだよね。でも自分もルール違反をしてしまったよね?」と伝え、ルール違反を許せない気持ちを認めてから、自分のルール違反を思い出させるようにしました。最初の数回はもちろん理解できなかったそうですが、次第に人はルールを破ってしまうこともあり、人によってルールを守ったり守らなかったりするという現実を理解するようになったそうです。このことからもどうやって気づけるようにするかも大切ですが、過剰反応を起こしてしまう回数を減らす方法を考えるのも大切なのではないかと感じました。
https://h-navi.jp/column/article/597

1225

学期末特別企画

課題6
デザイナーベイビーというものがあります。受精卵の段階で遺伝子を操作することで親の望んだ特徴を持った子供のことです。
受精卵の段階で知的障害の要因になりうる遺伝子を健全な遺伝子に取り替えてしまえば、発達障害を持った子供が産まれてくることを防ぐことが可能です。
デザイナーベイビーは問題点が多く、日本では生殖細胞の遺伝的改変は禁止されています。
しかし、技術的な側面から見れば、遺伝子が要因の発達障害を防ぐことができると考えました。

https://www2.rikkyo.ac.jp/web/taki/contents/2015/20150917.pdf

1224

学期末特別企画

[問題2]
 「文化差」とは「利用可能性ヒューリスティック」と「錯誤相関」の結果に過ぎないもので、違いはないと考えた。周囲の情報や意見などの要因によって、合理的のない判断を行ってしまった結果から差異が生まれた。

[問題6]
(自閉症の遺伝子治療は可能か?)
(http://www.nise.go.jp/cms/6,5077,13,257.html )

医療の進歩によって遺伝子治療も発展を遂げるが、知的障害の遺伝子を操作し、未然に防ぐことは不可能だと考える。遺伝性疾患に関係する重要なことは「浸透率」の概念である。
浸透率とは、遺伝子の異常があった場合に臨床的に疾患として表れる割合のことである。自閉症などの発達障害は多因子遺伝病と考えられ、浸透率はやや高めと推測される。
目に見えにくい疾患と関連しておこる疾患や、突然変異などの問題は、遺伝子操作で防ぐことはできないと考えた。

1223

学期末特別企画
[問題1]
「ステレオタイプ」と「利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関」の違いは前者は知識、信念、期待によって構成された知識構造に対して、後者は情報処理の過程で起こる間違いであることである。つまり、特定個人、あるいはごく少数の人しか持っていないものも既に知識構造として構築されたものであれば「ステレオタイプ」と呼んでよいと考える。逆に、情報処理の過程で得たものは「利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関による偏見」であると言える。例えば、秘境の少数部族にとある儀式があるとして、その儀式はその部族の者にとっては「ステレオタイプ」となるが、外部の人間にとっては「利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関による偏見」である。
[問題2]
「利用可能性ヒューリスティック」と「錯誤相関」の結果に過ぎないものと本当の「文化差」の違いは無いと考える。なぜなら「文化差」とは「ステレオタイプ」と「利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関による偏見」との間で生まれる差異であるからである。その差異が生まれるのは情報処理の過程であるため、「文化差」は「利用可能性ヒューリスティック」と「錯誤相関」の結果によって生まれたものと考えられ、違いは無いと考えられる。
[問題6]
知的障害の要因である候補分子に対して働きかけ、病態メカニズムを崩すことができるようになれば、障害の防止、あるいは軽減は可能なのではないでしょうか。おそらく以下2つのリンクのことだと思いますが、研究が進んで発達障害の原因を特定、働きかけれるようになれば防止及び軽減も可能になると思います。
リンク
リンク

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 スキーマアプローチは内容には注目しません。何が体験されていたか、体験者以外誰もわからないし、体験を述べているとされている被疑者・被告人や証人に本当に体験があるかわからないので。それ以外の、行為の部分に注目します。発話の「仕方」とか話者交代の「仕方」のような。「語尾」「発音」とは何を示しているかよくわかりませんが、行為に着目するのが基本です。どういう行為のどの部分に、どのように体験の兆候が出現するかわからないので、慣れていない人が見つけやすくなるというところまでは行っていないですね。それに単位を細かくするということではなく、「どこに」が大切なのです。足利事件などの実際の刑事事件で発見された部分と私のナビゲーション実験で分かったこと程度は、当たりをつけられるようになりました。

6点差し上げます。

163

  個別の人(被技者・被告人)の体験の有無を判定する力をスキーマアプローチが持っていて、それが自由心証主義に抵触するというなら、心理学者ができることは確率的な法則を提示することになります。しかしこれを出すと、三村事件の時のように「この証人については該当しない」という評価を裁判官はしてくることがあるので、またまた困ってしまいます。この人は例外だという評価に対抗して、個別性を追求する方法を開発したのですが、そうしたらそれは自由心証主義に抵触するという。裁判官はどういう人かと思いますね。スキーマアプローチの成果を受け入れてくれる裁判官もいるので、やはり性格次第となるのでしょうか。それも怖いと思います。
 裁判官、検察官、弁護士の法曹三者は、確かに心理学の勉強が足りていない気がします。法科大学院ができたとき、心理学の授業を必修にするかどうかが議論になりましたが、結局必修にはなりませんでした。心理学が一番浸透したのは、司法面接でしょうかね。最近は心理学に対する抵抗は少なくなっているとは思います。

8点差し上げます。

1222

学年末特別企画
【問題1】テキストのP141では「ステレオタイプ」は集団に関する知識、信念、期待によって構成された知識構造とされている。この説明だけであれば少数でも「ステレオタイプ」と呼んでも良いのではないかと考えた。しかし「日本大百科全書」での説明では特定の文化によってあらかじめの類型化され社会的に共有された固定的なイメージと説明されている。最終的な考えとしては「社会的に共有」という部分から少数の信念だけでは「ステレオタイプ」とは呼べないと考えるべきである。

162

再度すみません、こちらもスキーマアプローチです。

161

「意見」

スキーマとコミュニケーションについて
 会話などの中からその人にしかない癖・個性を拾っていく際に足利事件では違和感として感じる部分をその人にしかない動作主交代と動作主連続と捉えてそこから考えていることがわかった。また、尼崎スナック狙撃事件の被告人では会話の中で「違和感が無さすぎる」という部分を違和感として注目することで被告人が質問をコントロールしていると考えていっていた。この2つを初めて比べて考えて気づいたことだが、ぱっと見同じ「会話」という単位のなかで真逆のことに注目しているように見えた。
しかしこれは単位の設定をもっと細かくすると違いが分かりやすくなると考えた。例えば「内容」「語尾」「発音」など「会話」の中から「あらかじめ」細分化しておくことで私のように慣れていない人でも個性を見つけやすくなる、理解がしやすくなるのではと考えた。

1221

特別企画の課題 [問題1]ステレオタイプの定義は「多くの人に浸透している固定観念や思い込み」である。したがって、特定の個人や少数の人にしか該当しないものはステレオタイプではなく、利用可能性ヒューリスティック(思い浮かびやすいものを選択してしまうこと)や錯誤相関(相関関係があるように錯覚すること)により、ステレオタイプだと思い込んでいるものと考えるべきである。

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すみません、スキーマアプローチについてです。

159

個別性追求のジレンマについて心理学者が個別性を追求することは、裁判官の「自由心証主義」に抵触する恐れがあると学び、たしかに他職種の領域に踏み込むは良くはないかもしれないと思った。しかし、「心理学者側から見た個別性」という裁判官自身の判断材料の一つとして全面的に受け入れるべきではないかと個人的に考える。先生の説明だとこの「判断材料の一つとして受け入れる」という部分は裁判官の性格次第だということがわかった。自由心証主義に抵触しているという理由で受け入れない裁判官がいた場合(いないかもしれないが)、事件解決という目標との間にジレンマが起こるのではないだろうか。

また、心理学的視点の考え自体まだ新しいものだと思うので心理学者側から見た個別性の有用性を認めない場合、その背景には心理学に対しての理解がまだ浅いことや、上記で述べた理由も少しは含まれているのではないかと考えた。

そこから疑問に思ったのが、先生が事件を担当した際に裁判官などの反応を見て裁判における心理学的な考え方は浸透していると感じているかどうかが気になりました。

1220

学期末特別企画

問題1
心理学辞典ではステレオタイプについて「集団とその成員に対する過度に一般化された否定的または肯定的な認知をさす。」と記されていた。そこから特定個人や、ごく少数の人しか持っていない信念をステレオタイプとは言えないのではないかと考える。さらに、スポーツ選手は野蛮であるという個人の信念も、野蛮(無教養で粗暴なこと。乱暴で人道に反すること。:広辞苑参照)というかなり強いネガティブな言葉を用いている点、また上記ように心理学辞典を基準に考察するとステレオタイプは肯定的要素と否定的要素を含めた認知を指すもので、偏見は否定的要素の認知または態度のみを指す点から課題の中の例の場合、偏見と言うべきという見解は正当であると考える。

参考資料
心理学辞典(1999) 中島義明、安藤清志、子安増生、坂野雄二、繁桝算男、立花政夫、箱田裕司

1219

名前設定を忘れていました。申し訳ありません。

1218

名前設定を忘れておりました。評価お願いします。
講義を後方で受けている受講生が講義を聞かなくなる理由が、講義に出ない受講生の行動につながると考えたものでした。

1217

確認が遅れて返信が遅くなってしまいました申し訳ありません。
ただいま外出先にいますので家に戻り次第参考にしさせていただいたものをのせさせていただきます。

1216

問題3
この研究によると、コーピングに関する定義は明確なものはなく、研究者の間で相違が認められるが加藤・今田(2001)は次の3つの特徴があると述べている。第1の特徴はストレスフルな状況を処理しようとする努力であることである。第2の特徴はコーピングはストレスフルな状況に対する意識的努力を意味するということである。したがって、防衛機制のような無意識的な反応は、コーピングに含まれない。第3の特徴は、コーピングはプロセスであり、パーソナリティー特性とは区別されるということである。すなわち、コーピングは状況によって変化するものである。コーピングはストレスフルな状況を意識的に努力して処理することであり、防衛機制は無意識的な反応なので防衛機制はコーピングとしてみなされないと考えた。
https://i.kawasaki-m.ac.jp/mwsoc/journal/jp/2005-j14-2/07_shimoyama.pdf

1215

 課題2: 気になった点を書いてくれたのはいいのですが、それがどうして観察法を選択する理由になるのですか。質問紙法の難点として偽りの回答を指摘していますが、これは気になった点と関係するのですか。そう見えないのですが。短所として「音声データの入手が困難」を指摘していますが、その対策法がよくわからないです。入手困難なのに、どうして多範囲で録音ができるのですか。「入手困難」の意味を明確にしていないことが、意味が取りにくい原因かと思います。

2点差し上げます。

1214

 課題2: よく書けていると思いますが、教科書の情報を超えているので、何か参考にした文献があるのかと思いました。それを教えてください。採点はそれからにします。

1213

 課題2: やはり「深く知る」とはどういうことなのかがよくわからないです。情報が豊富とか、多面的という意味ですか。「本人すら気づいていない共通点」の「共通点」とは何ですか。これらの情報は観察法によっても採取することができると思います。よって面接法というより観察法の長所として読めてしまいます。面接法で所作を観察できることの利点を述べないといけない。少し前の投稿で、それに触れてくれた人がいました。参考にしてください。力量についてはわかりました。発問方法の技術の巧拙ということですね。

2点差し上げます。

1212

 課題2: 「調べる目的と結果が簡単に判断できる」とはどういう意味ですか。どうしてそれが質問紙法によって保証されるのでしょうか。他の方法と比べて相対的に優れていることがわかりにくくなっているようです。
 「改善に繋がる」とは何の改善のことを言っているのでしょう。

2点差し上げます。

1211

 課題2: 回答に際して作意や意図が入りにくいという意味で妥当性がより高いという指摘は間違っていないように見えますが、観察された行動が何を意味しているのかを分析者が解釈し間違うと妥当性は低くならないでしょうか。「あるがままの行動」に対する信頼が素朴すぎると思うのです。被観察者のしていることはあるがままだとしても、それを分析する際に解釈が入ります。ここまで含めて、観察法で得られたデータの妥当性を考えた方がよいのではないかと思いました。

4点差し上げます。

1210

 課題3: 論理療法と行動療法がどのように補い合って認知行動療法となっているのかを説明する課題でした。それぞれの療法を個々に説明するにとどまっていないでしょうか。
 投稿者がどなたかわからないので、点数を誰につけてよいかわかりません。名乗り出てください。

1点差し上げます。