札学心理学

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1093

第11章 発達障害
課題2
飲食店での注文時に起こる問題について私は考えた。自閉症の人は特異な対人関係をとると言われている。つまり、注文を聞かれるということに対して苦手意識があり、1人で入店した際には自分が注文したいことをうまく伝えられない状況が発生する場合があるということだ。そこで人が注文を取るのではなく、タブレットなどの機械で注文を取る制度を飲食店は導入すべきである。タブレット注文は増えてきてはいるが、まだまだ導入していない店も多い。私が働いているアルバイト先も人が注文をとっている。タブレット注文は注文を取ってくれる店員を待つ必要もなく、話すことが苦手と感じている人には嬉しいものであり、障害があるないに関わらず便利なものと言える。したがって、飲食店にタブレット注文を導入すれば自閉症は障害とみなされなくなる。

1091

 課題2: 「小学校での環境を挙げる」と言いながら、どこに小学校の話が書かれているのでしょう。小学校の話ではなく、アクティブラーニングの話が書かれています。これを小学校の話だというなら、小学校でもアクティブラーニングの話をしないといけない。しかし、アクティブラーニングのことが書かれている。「学校でのアクティブラーニング環境」と言えばよかったのでは。
 じっと座っていないといけない一斉授業に比べれば、アクティブラーニングではADHDの特徴は目立ちにくいでしょう。しかしアクティブラーニング、特にあなたが述べている「グループワークやディベート」では、発話交代や役割分担などの秩序や規則に従うことを余儀なくされる。こういう時大丈夫ですか、ADHDの生徒は。こういうところまで考えないといけないと思います。あなたのアクティブラーニングの定義、「学修者が受け身ではなく、自ら能動的に学びに向かうよう設計された学習法のことを指し、具体的にグループワークやディベートが例として挙げられ、学修者の認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験といった様々な能力を育むことができる」から「集中力の分散や忘れ物などを周りの人がケア」できることは含まれていません。これもまた、アクティブラーニングという環境の分析が足りない証拠です。

3点差し上げます。

1090

学習障害とは、基本的に知的発達に問題はないが、「読み」「書き」「話す」などの能力に困難が生じる障害である。
私は学校生活を例にして考える。これは、私の小学校時代に実際行われていたクラス分けである。その内容は、自分の能力に合わせて自分自身がクラスを選べるというシステムであり1〜5までのクラスが用意されており、その中から自分が選択して授業を受ける。というようなシステムである。このような自らクラスを選んで「環境設備」を与えることで同じ能力の人が比較的に集まることとなり学習障害の特徴が薄れ学習障害は障害とみなされなくなると考えた。

1089

第11章 「発達障害」の課題

課題2
 ADHD(注意欠如多動性障害)が障害でなくなる環境の例として、小学校での環境を挙げる。
 ADHDの症状として「不注意(物事に集中することができず、忘れ物や物をなくすことが多い)」や「多動性(落ち着きがなく、じっとしていることが苦手)」、「衝動性(思いついた行動を唐突に行う・順番待ちができない)」の3つが中心的である。この3つの特徴踏まえて、ADHDが障害でなくなるような小学校の環境を作るには、『アクティブラーニング』を主要とした授業による活動エネルギーの集中が適切だと考える。
 アクティブラーニングとは、学修者が受け身ではなく、自ら能動的に学びに向かうよう設計された学習法のことを指し、具体的にグループワークやディベートが例として挙げられ、学修者の認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験といった様々な能力を育むことができる。
 この方法を用いれば、集中力の分散や忘れ物などを周りの人がケアでき、多動性・衝動性の症状はアクティブラーニングの性質上じっとしている時間が少ないと考えられる。
 このような理由から、『アクティブラーニング』を主要とした環境ならADHDは障害とみなされなくなると考えた。

1088

 課題2: 人ではなく物に向き合う職人という道が、昔から選択肢としてあったようです。むしろ特性を持っている人の方が向いているとして。今でもありそうですね、そういう職種が。
 職場だと他の人もいるよ。それに特定の人を「閉じ込める」ようなことをすると、それだけで特性が他の人に気取られてしまわないかな。もう少し考えてください。

2点差し上げます。

1086

11章 発達障害の課題
課題2:職場において、一人で黙々と職務を行える環境を作れば自閉症とみなされなくなる。なぜなら、自閉症の主な特徴は人と接する際に見られるため、人と接する機会を最小限にすれば自閉症と判断されにくくなると考えたからです。

1085

 皆さんの意見を聞きたいということですので、皆さんよろしくお願いします。
「参考書」ではなく「本田(2018)」と書いてください。文頭の「なので」はやめたほうがいいよ。
 広く解答を求めるのであれば、その問いを考えることによってどういういいことがあるのかを述べておくと、一緒に考えてくれる人が現れると思う。

1084

 課題2: 「教科書を音読する時に簡単な漢字も読めない例を紹介する」と言われ、そういうことを答えてもらう課題ではないのにと思いました。紹介することが目的ではないはずです。課題2が何を要請していたのかを考えて書かないといけない。「・・・という例を紹介して、障害が障害でなくなる環境整備について考察する」とでもすべき。
 漢字だけ読めないというLDがあるのですか。識字障害というのは聞いたことがありますが。根拠となる文献などを示してください。

1083

今日も張り切って投稿していきましょう。

なんと年内最終回になります。教科書も残り一章。

1082

第11章 発達障害
 質問 教科書や発達障害についての本を読み、発達障害というのは「発達の特性によって生活に支障が出ること(不適応が生じること)」だということがわかりました。発達障害で重要なのはまわりの環境であることも理解しました。ここで発達の特性がある子が、場にあった言動をするために、自分を押し殺して無理をしてしまう「過剰反応」という反応があると参考書に記載されていました。本当は環境に合っていなくて支障をきたしているのに、その環境に無理やり合わしている可能性に気づきました。この過剰反応をしている子に気づくために具体的にどのようなことをすればいいのかが思い浮かびません。なので皆さんの意見を求めたいです。
 出典 本田秀夫(2018)「発達障害がよくわかる本」講談社

1081

第11章「発達障害」課題 再投稿

学習障害(LD)の特徴は基本的な知的発達に遅れは無いものの、聞く・話す・読むなどのうちある特定の習得と使用に困難を示すものであり、主に教室での不適応から生まれたものである。学校にいる時、日常会話には不自由はないが、教科書を音読する時に簡単な漢字も読めない例を紹介する。日常会話は普通にできるが、教科書の簡単な漢字が読めない事は学習障害であるが、「教科書にふり仮名を書いておく」という環境整備すれば、障害ではなくなる。理由は、日常会話は普通にできるが、教科書の簡単な漢字が読めない、事は学習障害の特徴であるが、教科書にふり仮名を書いておけば、学習障害の特徴が消えるからである。

1080

 課題1: 課題1は教科書理解と結びつけてほしいです。正常、異常という区分や、環境への不適応としての障害という考察が教科書でなされていたと思います。そこと結び付けてはどうかと思いました。
 課題2、3に関連する概念であり、それに解答する上で考慮すべき概念であることは確かです。課題2か3をやるときに語ってくれたらすごくよかったと思う。直前の方の投稿でも考慮されるべき点です。

3点差し上げます。

1079

 課題2: 特性に分けてクラス分けたしら、クラスが違うことで特性に違いがあることが露呈してしまう。またクラスが違う子は一緒の環境に居られない。壁を作ってしまう方策ではないでしょうか。特性の有無に関わらず、同様に学ぶことができる環境整備を考えてほいというのが課題2の主旨です。環境のユニバーサル化について考えてくれということです。

2点差し上げます。

1078

 課題2: 特殊な環境を作って、その中に身を置く学習者が自身の特性に適合した学びができるようにした事例です。課題2は障害としてみなされなくなる環境整備を解答してもらうので、結論部分は変えた方がいいです。「ほかの人と差をつけずに学ぶことができる」ではなく、「ほかの人と差異が見えない学びの場である」のように。それから、この方法は、LDでない人に不利益はないのだろうか。LDだけに有利な環境であったら、それは他の人との差異を生み出していることになり、課題2の主旨とは異なります。この点についても考察できるとよかった。

3点差し上げます。

1077

 課題1: 課題1に関するこれまでのコメントで繰り返し言っていることなんですが、どうしてこういう情報を知っておくべきなのかを述べてほしいのです。「教科書理解を深めるときに必要だと感じ」とありますか、その理由がわからないんですよね。何を学ぶべきと教科書が言っているのか、直接に現れていないメッセージを読み取る訓練でもあるのです、課題1は。
 書き方を変えたのは偉い。「教科書理解」も文頭で書くことではないかと思いますが。
 URLには相変わらず飛べない。

1点差し上げます。

1076

 課題2: LDを点数の問題だけで語ってはいけないです。今は同じ点数でも、今後開いてくるかもしれない。本質は点数ではない。LDを「特定教科や分野について点数の低い人」と規定するのは不十分です。LDとはなにかを学ばれたい。

1点差し上げます。

147

 足利事件はまさにそうだったと思います。DNA鑑定が万能の技術のように考えられ、須賀さんの否認供述が真摯に吟味されてはいませんでした。この動画および資料では、事件の内容に詳しく触れることはできませんでしたが、足利事件の全容に触れている本がいくつかあるので、それを参照してくれるとあなたが思っているような事態を発見できると思います。

4点差し上げます。

146

 法廷での検察官尋問でも「・・・と調書に書いてある」のような質問が、検察官からなされていましたね。あなたがおっしゃるように「実際に誰がどのようにどんな発言をしたかが、最初から最後まで書かれているものを見ておけば、大野が確定的に発言した内容なのか、それとも尋問者が聞いた内容なのかがはっきりわかる」はずです。大野ののらりくらりとした応答が、捜査時と同じであることがわかり、彼が肝心な情報を自ら提供していなことが明らかとなったかもしれません。可視化なしの調書のみで尋問に臨むことに大きな欠陥があることは、当時は認識されていなかったと思います。調書は今もなお重要な捜査資料であり続けています。ただ当時と異なるのは、取調べがコミュニケーションであることが次第に理解され始めたという点でしょう。この認識がないと、可視化しても意味ないんですよね。認識があるからこそ、可視化資料の活用もできるのです。

8点差し上げます。

1075

第11章 発達の偏りと多様性
課題1
補足 発達障害
私は発達障害について、「インクルーシブ教育」という言葉を補足する。
インクルーシブ教育とは、「人間の多様性の尊重等を強化し、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」のことである。
この言葉自体が発達障害という概念の理解を深めるわけではない。しかし、この単語は文部科学省などが使用している単語であり、なおかつこの単語で検索をすれば課題2や課題3を考える上で重要となる情報が手に入るかもしれないと思った。課題を進める助けになると考えたのでこの単語を補足情報とする。

1074

11章 発達障害の課題
課題2
学習障害:LDとは、全般的な知能の遅れはないものの、特定の領域(計算、文字の読み/書きなど)に困難を抱えるがゆえに、学業成績の低下を招く障害である。障害を環境や社会への不適応と定義する観点に立つと、LDは学習環境への不適応と定義することができる。
学校を例として考える。学校でLDが障害とみなされなくなる工夫として、生徒の特性に合わせてクラス分けをすることが考えられる。ここでいう特性とは、各生徒の「計算」や「文字の読み/書き」などの能力の程度である。これらの特性がクラスの平均から極端に離れている生徒は、授業についていけずに置いていかれてしまう。つまり、その生徒は学習面においてクラス内で不適応を起こしてしまう。そしてその結果、学習障害となってしまう。しかし、生徒個人の特性にあわせてクラスを分けると、生徒間の極端な特性の差異は生まれない。そのため、授業についていけずに置いて行かれるという不適応が起こらず、LDとみなされなくなる。

1073

この一つ前に投稿している課題1で「発達障害とは、幼少期から現れる発達のアンバランスさによって、脳内の情報処理や制御に偏りが生じ、日常生活に困難をきたしている状態のことである。特定のことには優れた能力を発揮する一方で、ある分野は極端に苦手といった特徴がみられる。こうした得意なことと苦手なこととの差、いわば凸凹は誰にでもあるものだ。しかし、発達障害がある人は、その差が非常に大きく、そのために生活に支障が出やすい。」と説明していたのでそこから「障害を持つ子もほかの子のように得意な科目がある」と考えました。

145

「質問」

 今回は供述に焦点を当てて分析を行っていたが、供述に焦点を当てて分析が行われないような事件があった時にも、曖昧な供述が本人自身で言ったかのような供述として解釈されていた可能性があるのか疑問に感じた。もしも、そのような可能性が起きていた場合に、事件の核心部分には影響しないと判断されてあまり追及されないということはあるのだろうか。この供述は、事件には関係ないだろうと考えられ、特に重要視されない可能性も出てきてしまうのではないかと考えたためである。

144

「意見」

 今回の事件で、大野のようにほとんどが曖昧な供述で明確な情報を提供していないのにも関わらず、ほとんど大野が言った供述のように解釈されていたことや大野が尋問をコントロールしていたことがとても衝撃的だった。
 大野が尋問をコントロールしていたことについては、講義でも言っていたように、questionがanswerをコントロールしていく機能があるというのは、一般的なことであるというのは知っていたが、発問-応答の流れが変化してしまうというのは初めて知り、このようなことが起きてしまうのは尋問者にとっては特に気を付けなければいけないことだなと感じた。
 また、講義で紹介されていた大野の供述は、ほとんどが曖昧な応答や分からないなど、確定的な供述はしていないため、尋問者からの検事調書の確認が行われていた。その際に、大野からではなく、尋問者が情報提供をしていたことについては、情報の確認を行っているだけなのに、無意識的に事件の情報提供をしてしまっていたというのは、個人的には何とも言えない気持ちになった。
 講義の中で、「検事調書は要約されて書かれているもの」と先生が言っていたが、要約して書かれているという部分が今回のような尋問者が情報提供をしてしまったことに影響しているのではないだろうか。実際に誰がどのようにどんな発言をしたかが、最初から最後まで書かれているものを見ておけば、大野が確定的に発言した内容なのか、それとも尋問者が聞いた内容なのかがはっきりわかるだろう。しかし、検事調書という要約されたものを見ていたため、誰がこの発言をしたのかなどは要約を読んだ人の解釈によって変化してしまう。全面可視化がされていない時期にはこの方法が一般的だったのかなと感じているが、このやり方のデメリットの部分を理解し、検事調書前の尋問の状況や内容を大変ではあるが、しっかりと共有しておくことが大事だったのではないかと考えた。

 足利事件、甲山事件と今回の尼崎スナック狙撃事件のような供述の信用性の鑑定を行ったことで、警察や検察の取調べの発問方法などの問題点を見つけることができ、今では全面可視化を行い、問題があった時にすぐに原因を見つけることができるような方向性になっていると考えると、過去の事件の問題点をしっかりと改善しているのではないかと3つの事件から感じた。

1072

課題2
 私は、LDについて調べるうちに、「ちょっとふしぎ 学習障害LDのともだち」という内山登紀夫監修の書籍を見つけた。その中には、学習障害の人の特徴と改善するための方法などが載っていた。それをもとに今回の課題について考えた。
 私は、国語(漢字)の授業で、カードやパズルを使い、漢字をゲーム感覚で覚えられるようにすると障害とはみなされないと考えた。漢字のへん・つくりに分解したカードを使い正しいペアにして、遊び感覚で学べるようにする。
 LDには、似ている時の見分けがつかない・文字の形を覚えるのが難しいと感じる人がおり、学習能力に差がついてしまう。そのため、ゲーム感覚で漢字を学ぶことで少しでも読み書きの部分でほかの人と差をつけずに学ぶことができるのではないかと考えた。

参照文献:内山登紀夫(2019)「ちょっとふしぎ 学習障害LDのともだち」ミネルヴァ書房.

1071

第11章 発達の偏りと多様性 (再投稿)
課題1
追加情報:発達障害
投稿理由:教科書167ページ下から2行目から168ページの下から8行目まで「発達障害」についての説明が記載されている。その中には、「発達障害」がいつ頃発症・診断されるのか、なぜ「発達障害」になるのかを説明している。そこの文を読んだだけでも理解は深まったが、さらに「発達障害」の根本である「発達障害とは何なのか」「発達障害の症状はどのような症状があるのか」ということが教科書理解を深めるときに必要だと感じ、追加情報として投稿した。

内容:発達障害とは、幼少期から現れる発達のアンバランスさによって、脳内の情報処理や制御に偏りが生じ、日常生活に困難をきたしている状態のことである。特定のことには優れた能力を発揮する一方で、ある分野は極端に苦手といった特徴がみられる。こうした得意なことと苦手なこととの差、いわば凸凹は誰にでもあるものだ。しかし、発達障害がある人は、その差が非常に大きく、そのために生活に支障が出やすい。
発達障害は行動や認知の特徴(特性)によって、主にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動症)、LD(学習障害)の3つに分類される。この3つは重複することもあり、人によっては複数の特性をあわせ持つ場合もある。

教科書理解:「発達障害とは何なのか」「発達障害の症状はどのような症状があるのか」という発達障害についての根本を理解することで発達障害ということについて理解を深めることができた。

URL: https://www.nhk.or.jp/heart-net/hattatsu-otona/about/detail.html 

1070

第11章「発達障害」課題
課題2 学習障害(LD)の特徴は主に教室での不適応から生まれたものである。
小学校のクラスで他の教科は問題が無いが、数学だけ悪い人の例を紹介する。他の教科は平均点もしくは高得点を取っているが、数学だけ低い点数を取ってしまう事は学習障害(LD)の特徴であるが、「同じくらい点数・能力の人にクラス分け」をするという環境整備すれば、障害ではなくなる。理由は、数学だけ低い点数を取ってしまう事は学習障害(LD)の特徴であるが、同じくらい点数・能力の人にクラス分けを行えば、学習障害の特徴が見えなくなるからである。

1069

 課題2: 子供も食事をしないわけにはいかないので、食事中の態度でADHDとわかってしまうのではないかな。

1点差し上げます。

1068

 課題2: 「障害を持たない子でも勉強が得意・苦手は皆ある」と言い得る根拠は? LDに関する説明から、「障害を持つ子もほかの子のように得意な科目がある」と推論するのは無理だと思います。LDについて誤解があるのではないでしょうか。

1点差し上げます。

1067

 課題1: こういう書き方はお勧めしていないと思う。何について語られるのかわからないまま話を聞かされ、最後に何の話かが語られる。もう一度見直さないといけなくなり、読むのに手間がかかるという理由で。「教科書理解を深めるときに必要だと感じ」たのはなぜかを書かないと、この記事の意義を示したことにならないですよ。
 「お探しのページは見つかりませんでした」と出ました。

1点差し上げます。

1066

 課題2: これ、動画の9分あたりからしている話にあったような。そのまま書くのはなぁ。弁明があれば聞きます。

1065

 課題2: 整理整頓ができないと障害があるとみなされるのだろうか。障害があるから整理整頓ができない。こういう環境を作ると整理整頓ができるようになる。このように論が展開されているようです。これは整理整頓ができるようになる環境であって、障害が障害とみなされなく環境とは言い難いのではないとか思います。「達成感」や「習慣化」はまた別の話だと思います。
 「そこから」どう考えると、「整理整頓するのが難しい」となるんだろう。これがわからないので、そのあとの話に説得力が欠ける気がします。

3点差し上げます。

1064

第11章 発達の偏りと多様性
課題2
私は飲食店にキッズスペースを作ればADHDは障害として見なされなくなると考えた。
ADHDの特性としてじっとしていられないことが挙げられる。親子で飲食店に行くと親が食べ終わるまで子どもは待っていなくてはいけないが、ADHDの子どもが待てずに席を離れたり騒いだりする。そこで、飲食店の中にキッズスペースを設けることで親がご飯を食べている間にキッズスペースで子どもを遊ばせることによって、席を離れたり騒いだりすることがなくなるのでADHDを障害として見なさなくなるからだ。

1063

よく読んだら説明はわかりました。どういうゲームなのか。

1062

 課題2: 説明がわからない部分があります。「クラスの生徒全員で行い」とは、全員で協力するのですか、全員がこのゲームに参加するという意味ですか。授業中にじっとしている必要がなくなることはわかりますが、「すべての問題をやらなくてはいけないので優先順位を組み立てる必要もない」のかはわからないです。決められたルートを通って、その途上にある復習問題をクリアにしていく手続きになっているのなら分かりますが、そういう説明はない。
 「先生側が気づくことも可能」であれば、障害とみなしていることになりませんか。診断とは、障害があるという前提で行なう営為ではないでしょうか。「脱出(クリア)できない」「問題を解く様子が見られない」という形で、このタイプの「障害児童」が障害があるとみなされてしまっているのでは。
 「さらに」以降の部分は問いの本質ではないので、あってもなくてもいい。
 資料を参考にして論じるのはいいのですが、何が問われているかをはずすことなく資料を吟味し、書く必要があると思います。

4点差し上げます。

1061

第11章 発達の偏りと多様性
課題2
私は、小学校で教科ごとに成績でクラスを分け、授業を受ける環境を作れば、LD(学習障害)は障害としてみなされなくなると考えた。なぜなら、障害を持たない子でも勉強が得意・苦手は皆ある。そのため、一人一人が授業の理解を深めるために、障害の差をなくすためにクラスを分けることでその子のレベルにあった学習ができると考えたからだ。また、LDとは「知的な遅れがないにもかかわらず、特定の領域における困難さを持つがゆえに、学校で不適応を起こしているのではないか」と教科書171ページ9行目から10行目にかけて記載されている。その他にも特定の数字・読み書きが苦手ということも記載されていた。逆に、この説明から私は障害を持つ子もほかの子のように得意な科目があると考えた。そのため、クラス分けすることにより得意な科目はより伸ばせて、苦手な科目はほかの苦手だと感じている子と受けることで、同じ学習ができ克服につながればよいと考えた。

1060

第11章 発達の偏りと多様性
課題1
追加情報:発達障害
発達障害とは、幼少期から現れる発達のアンバランスさによって、脳内の情報処理や制御に偏りが生じ、日常生活に困難をきたしている状態のことである。特定のことには優れた能力を発揮する一方で、ある分野は極端に苦手といった特徴がみられる。こうした得意なことと苦手なこととの差、いわば凸凹は誰にでもあるものだ。しかし、発達障害がある人は、その差が非常に大きく、そのために生活に支障が出やすい。
発達障害は行動や認知の特徴(特性)によって、主にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動症)、LD(学習障害)の3つに分類される。この3つは重複することもあり、人によっては複数の特性をあわせ持つ場合もある。

教科書理解に役立ったこと:教科書167ページ下から2行目から168ページの下から8行目まで「発達障害」についての説明が記載されている。その中には、「発達障害」がいつ頃発症・診断されるのか、なぜ「発達障害」になるのかを説明している。そこの文を読んだだけでも理解は深まったが、さらに「発達障害」の根本である「発達障害とは何なのか」「発達障害の症状はどのような症状があるのか」ということが教科書理解を深めるときに必要だと感じ、追加情報として投稿した。

URL: https://www.nhk.or.jp/heart-net/hattatsu-otona/about/detail.html 

1059

第11章「発達障害」課題

課題2 ADHDの特徴は落ち着きがない・などの問題行動として現れるものである。
小学校のクラスで座ってられず授業中に立ち歩く人の例を紹介する。授業中に立ち歩くという行為はADHDの特徴であるが、「授業を立ち歩いて質問したり、話したりすることを許可」するという環境整備すれば、障害ではなくなる。理由は、授業中に立ち歩くという行為はADHDの特徴であるが、立ち歩いて話したり、質問を許可すればADHDの人以外の人も立ち歩き、話したりするため、ADHDの特徴が見えなくなるからである。

1057

第11章 発達の偏りと多様性

課題2
ADHDの特性としてその場面にとっての適切な行動や注意ができない、行動を制限しにくい、集中を持続させるのが苦手などといったコントロールが苦手といったものが挙げられる。そこから考えたのは整理整頓するのが難しいという点だ。
小学校のクラスの中を例として挙げる。
小学校では机の中に筆入れや教科書をしまい、さらに後ろにはお道具箱もあるという前提で記述する。
まず、ADHDの特性をもった児童のみならず、クラス全員のルールとして机や棚にしまう物を明確化しておくこと、例えばお道具箱の中は仕切られていて、それぞれハサミやのり、ホチキスといったマーク付きで外から見て何をしまえば良いかを判断しやすくすること、見本の写真を置くことを考えた。
さらに、きっかけづくりとしてクラスで朝の会前や、お昼休憩時間後、帰りの会前に数回に分けて「お片付けタイム」を設ける。クラスメイト全員がそれぞれ個人の棚や机の中を片付ける。この時間をつくことによって、クラス全員でやることでの達成感を味わったり、習慣化が狙えると考える。
このような環境はみんなで同じ作業をしているため、他の児童がADHDの特性をもった児童を障害とみなすことはないと考える。

1056

 課題2: 「物理的焦点型コーピング」ってどこに書いてあったんですか。教科書に載っていない概念で説明する場合は、引用元を書くべきです。その部分で損をしています。つまり、あなたの解答が正しいかどうかわからない。「先生なら知っているだろうから書きました」と思っているのなら、答案の書き方としては間違い。答案とは、自分が正しく考えられていることを証明するものです。だから読み手をあてにする書き方をしてはいけない。
 「薬を飲む」という行為が情動焦点型というのは面白いです。気休めでも飲む場合は特にそうですね。
 気圧に弱い人、いっぱいいますね。たいへんそうです。

3点差し上げます。

1055

 課題2: 最初の方、文章が分かりにくくて損をしていると思います。私なら下記のようにしますが、論理的つながりが変なところはそのままにしてあります。

私は中学生で運動系の部活に所属していた。人数は少ないものの[このつながりは論理的ではありません。人数が少ないことと、実力があることは逆接関係にはないからです。]、実力としては同学年で試合をした際には負けることがなかった。しかし、ある日試合で負けてしまい、その直後に相手からマイナスと捉えられる言葉をかけられ、これがストレッサーとなり、「いらつき」というストレス反応が起きた。今でも忘れないほどに、印象的な出来事であった。

 その後の文章はいいと思います。こういう合理化は自覚してやっているので、防衛規制ではないと思いますが、そうは書いていないですね。ならいいです。こういう思考による「一時しのぎ」は確かに、情動焦点型です。

5点差し上げます。