札学心理学

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感情心理学 課題いち
 教科書には、シュロスバーグの円環の二つの次元として「快ー不快」と「覚醒ー睡眠」をあげている。しかし、この二つの次元がどのような意味を持つのかについてまでは説明されていない。そのため追加情報を提示して、教科書の理解を深めていく。
 「快-不快」とは感情価の変化である。感情価とは,喚起される感情の質的な違いを規定するものであり、は知覚者自身が,ある事象に対してそれをポジティブかネガティブか,それとも,どちらでもなくニュートラルと感じるかの主観的体験によって変化する。
 「覚醒‐睡眠」とは、覚醒度の変化である。覚醒度とは,感情が引き起こす身体的・認知的喚起の程度を示し,は感情価に依存せず,覚醒水準の変動によって興奮性 (excitement) である高覚醒と沈静性 (calm) である低覚醒の間で変化している。
 本当は、シュロスバーグやエクマンらの本人の論文を確認するべきなのかもしれませんが、上手に調べられなかったので他の方の論文をもとに理解させていただきました。
 本人のものだとわかる論文を見つけた人がいれば、教えていただくとありがたいです。
参照した論文
http://repository.aitech.ac.jp/dspace/bitstream/11133/2738/1/紀要49号(p13-p24).pdf
ラッセルの論文だと思う
file:///C:/Users/owner/Downloads/Core_affect_prototypical_emotional_episodes_and_ot.pdf

838

いい教材だと思うので、読み解ける人はチャレンジを是非。ただし心理系の2年生以上でないと難しいと思う。

837

 この授業の運営形態からして、出席、欠席を問うても意味がないです。単位認定については、moodleに載っている動画と説明が全てです。見直しておいてください。
 個別の科目の単位認定より上位の規定が存在します。期末試験を受験する際の注意というのが示されていると思うので、参照しておいてください。2年生のようですから、目にしたことありますよね。

836

 課題1: あなたが批判しようとしている教科書の記述は、「気づいていない場合にも生じる」という部分ですか。そうであれば、「論文の「単純接触効果は提示された刺激だけではない」という情報」は教科書と別のことを言っているので、教科書では触れられていない事項として扱うべきではなかったと思います。ん、これ、直近の方へのコメントでも書いた気が。直近の方の文章と比較してみましょう。

 単純接触効果について、教科書には「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」と書かれているが、論文の「単純接触効果は提示された刺激だけではない」という情報は教科書とは違い・・・ → 似ていませんか。

 論文の「単純接触効果は提示された刺激だけではない」という情報は教科書の「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」という内容を理解するのに役に立つ。
 → 全く同じです。

 参照した論文が示されていないので、あなたの情報が正しいのか判断できないです。内容から判断するに、直近の方が参照された文献と似ていますね。書き方も似ている。今回の採点は保留した方がよさそうです。再投稿するのであればしてください。

835

 確かに表示規則は「文化によって異なるかもしれない」とか、感情の研究はようやく始まったと言ってもいい状況であるとか書かれていますね。よって、ここを明確にする情報は教科書の意図に沿っているはずです。有益な情報だと思います。ただ、読み取りはもっと丁寧にしないと、それこそ「間違った理解」を引き起こしてしまう。性差は重要ですが、その根拠となった結果はどういうものでしょう。それを書いてもらわないとと思いましたが、この実験結果を考察するためには、2年次前期で履修する「心理統計」の知識が必要なので、1年生であるあなたにそれを期待するのは難しかったかもしれない。「文化」と「性別」に関する主効果と交互作用を読み解くことが必要です。あなたも含めて、チャレンジしてくれてもいいですよ。

4点差し上げます。

113

 私は実験に立ち会っていないので(確か、早稲田の院生が中心になっていたと記憶していいます)、実際の教示について詳しく聞いていません。しかし、三村事件関連の実験であるとは言っていないと思います。あなたが危惧されるように、予断を与えることはしていないはずです。実験参加に際して、被験者の不利益につながりそうなことは事前に伝えて了解を得るべきですが、そうでないことは言わなくてもいいのです。この実験が三村事件関連のものであることは、被験者の不利益に繋がらないことなので、話す必要はありません。実験や調査について考えるときは、被験者の不利益の有無を念頭に置いて吟味してくださればと思います。

2点差し上げます。

112

 「信用性、任意性を調べるのであれば、事件についてもしっかりと調べた上で行う方が断然いい」と主張されているように見えました。ただその理由がはっきりしません。心理学者が立ち入っていい境目がはっきりしないことが理由なのでしょうか。はっきりしていればとういういいことがあるのでしょう。
 「状況や流れを同じにしたところで犯行時の感情や記憶を同じにすることはできないため、実験の結果が出ても、それは一般的な解釈で終わってしまい、主張としては弱くなってしまうというところにも限界がある」のは当然の限界なのですが、これを言ってしまうと、実験から得られる法則を事件に適用することはすべて無効になると思います。目撃証言にかかわる実験の成果も無効です。そこまで考えて主張しているのならいいのですが。どうなんでしょう。次回取り上げる足利事件では、そのへんの話をします。あなたはひょっとすると、問題意識の先取りをしていたかもしれない。
 文末表現の多様性を豊かに。また「考えた」病が出てるよ。

5点差し上げます。

834

講義の出席、欠席は単位認定に影響でますか?

833

課題1 単純接触効果について、教科書には「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」と書かれている。しかし論文の「単純接触効果は提示された刺激だけではない」という情報は教科書とは違う。道にも落とし穴にも見える絵を見せ、実験に参加した人にどちらに見えたか聞くと、落とし穴に見えると思った人もいれば道に見えた人もいると答えた。刺激だけではなく、どんな内的表象であるかが重要で、論文の「単純接触効果は提示された刺激だけではない」という情報は教科書の「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」という内容を理解するのに役に立つ。
人それぞれの見方感じ方はそれぞれ違っておもしろい。

111

「質問」

 三村事件で行っていた大学生に行っていた実験について、大学生にはどう説明した上で実験に参加してもらっていたのか疑問に思った。事件の内容の犯行再現の実験であるなら、あまり事件についての知識がない方が先入観なく実験を行えると感じたが、実験に参加してもらう段階で、どのような実験であるかは説明する必要があるため、このような実際に起こった事件に関わる実験の場合の説明はどうしていたのかが気になった。実際に起こった事件ということもあって、大学生の中にはこの事件について知っている大学生もいたと考えたからである。

110

「意見」

 今回の講義で取り上げていた事件などのような、刑事裁判や刑事弁護に対する心理学の有効性や限界を取り上げ、心理学がどのように関わることができるのかを考えた。
 刑事裁判や刑事弁護に対する心理学の限界については、今回取り上げていた高輪グリーンマンション・ホステス事件や三村事件のように、心理学では事件の真相の追求ではなく、自白の信用性の鑑定でとどまってしまうということだと考えた。事件の真相の追求であれば、心理学者がやるのではなく、警察のやることであってここに手を出してしまうと「心理学者のようなアマチュアがやることではない」と言われてしまう。心理学者はあくまで信用性や任意性の鑑定を行うという依頼をすると考えることが大事であると思う一方で、個人的には信用性や任意性を調べるのであれば、事件についてもしっかりと調べた上で行う方が断然いいと考えた。調べるといっても、どこまで心理学者が行っていいのか行ってはいけないのかの境目がはっきりとしていない所が、刑事裁判や刑事弁護における心理学の限界ではないかと感じている。また、心理学の実験で再現し確認した場合にも、状況や流れを同じにしたところで犯行時の感情や記憶を同じにすることはできないため、実験の結果が出ても、それは一般的な解釈で終わってしまい、主張としては弱くなってしまうというところにも限界があると考えた。
 しかし、心理鑑定などの心理学の専門的な知識や分析を使用することで、事件を別の視点から考えることができる部分には心理学の有用性があると考えた。心理学という専門性で事件を見ていき、自白や目撃証言などの信用性を調べることができれば、冤罪や誘導などを防ぐことができると感じたためである。
 
 現実で起こった事件については、事件自体が興味深く単純にどういう事件なのかを知って終わりになるが、心理学を学んでいる立場からみてこの事件はどう見ることができるのか、どういう部分が心理学の視点から見て不自然なのかなどを考えていくことで、事件のそもそもの見方が変わるなと考えた。

832

8章 感情心理学

課題1 表示規則
 教科書には表示規則が文化によって異なるものなのかはっきりと書かれていないため、ここに情報を追加する。この論文では日本人と韓国人の表示規則を比較しているが、結論からいうと国の文化による表示規則の違いは存在する。論文で紹介されている研究の概要を簡単に説明すると、日本人大学生と韓国人大学生それぞれに3つの情動喚起場面のシナリオを読ませ、その時の感情(悲しみ、喜び、怒り)を0~12の段階で評価してもらう、というものだ。その結果、日本人と韓国人では表示規則に差が出ていることがわかった。特に「悲しみ」の項目は日本人と韓国人の情動喚起の差が大きく出ている。この差は文化によるものだと言えるが要因は他にもある。それが性別だ。国が同じでも性別が違うだけで情動喚起に差が生まれるケースもあることがこの論文で分かっている。
 最初に、表示規則は国により違いは生まれると書いたが、その原因は必ずしも文化によるものだとは言えないのである。
 教科書では文化による表示規則の違いについて曖昧にかかれていたため、間違った理解をしないためにもこの情報は必要であると考える。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy/82/5/82_5_415/_pdf/-char/ja

831

 課題2: 基本感情説は感情を類型論的に説明しますが、ラッセルなどの次元説の説明は特性論であることはおわかりでしょうか。それだけの違いであって、感情の普遍性を否定しているわけではありません。否定したのは「基本感情」という考えです。エクマンが「人間の感情は6つだ」(のちに13ぐらいまで増えましたが)と言ったのに対して、どんな感情も「「快-不快」と「覚醒-睡眠(弛緩)」という二次元の組み合わせのバリエーションにすぎない」と主張したのだと思います。この出典には、何が書いてあったのですか。あなたのような読み取りが正しいとしたら、それがわかるように書いて再投稿してください(私の読み取りよりも妥当であることも示してくださいね)。
 またあなたは、感情と感情表出(顔面表出)を区別ていないようですが、分けて考えるようにしてください。感情の話をしているのか、感情表出(顔面表出)の話をしているのかがわからないです。多分、感情の話だと思います。だから「人間の表情に一切の普遍性がない」ではなく「人間の感情に一切の普遍性がない」と書くべきだったと思います。

2点差し上げます。

830

 課題1: 「刺激そのものではなく、どんな内的表象であるかが重要」であることを示したこの研究は、教科書の内容補填した有益な情報だと思います。教科書の記述だと刺激と接触を繰り返せば生じる効果のように受け取られますが、刺激がどのように受け取られるかが効果の生起に関係することがこの論文では言われています。このような意義をあなたがわかって書いていればよいのですが、文章を見る限りそのように見えません。情報自体が有益なだけに惜しい結果になっています。「教科書には「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」と書かれているが」の部分は不要です。なぜなら、あなたが紹介する情報はその部分に対する批判であるわけではないからです。多分あなたは、このように論理的に考えられていない。だからまとめの文もおかしいのです。「教科書の「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」という内容を理解するのに役に立つ」とありますが、この研究で言われていることは、「「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」という内容」を理解することに役立っているわけではありません。単純接触効果に関するそれとは別の、しかし踏まえておくべき情報として紹介すべきなのです。自分が書いた文がどうして論理的でないのか、論理的に考えられていたのかをよく考えてみてください。なお、今回の文章に関する再投稿は不要です。今後の投稿に、論理的に考え、書くことを活かしてください。
 課題2: 「日本人においてエクマンの普遍的な表情の理論は部分的にしか支持できない」とは、具体的にどういうことなのですか。この部分だけ書き出してもエクマンの理論がどうして批判されないといけないか理由がわかません。実験の内容もどう解釈すればよいのですか。どの部分がエクマンの理論の批判となっているのでしょうか。こちらは再投稿してもいいです。この研究は割と有名なので、他の人がよりよい解釈を施してくれるかもしれません。他の人の投稿も参照するようにしてください。

5点差し上げます。

829

第8章「感情心理学」課題

 課題2 ラッセルについて
  ラッセルは基本感情説を批判する立場であるが、人間の表情に一切の普遍性がないとは主張していない。出典元である本の一文を引用する。「批判的立場の中心的位置を占めるラッセル(Russell, 1994,2017)は、普遍的要素は、せいぜい快・不快と覚醒度に限定されると指摘している。」このように、ラッセルはシュロスバーグの考え方については賛同している。このことは教科書に載っている「シュロスバーグの円環」の図の出所にRussellの名前が入っていることについて納得することができる。
 出典 今田・中村・古満『感情心理学 感情研究の基礎とその展開』(2018)培風館

828

第8章「感情心理学」課題
課題1 単純接触効果について、教科書には「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」と書かれているが、論文の「単純接触効果は提示された刺激だけではない」という情報は教科書とは違い、単純接触効果の生起における内的表象の重要性を説明しているため追加する。ウサギにもアヒルにも見える図形を見せ、実験に参加した人にどちらの方が好きか聞いたところ、アヒルであると思った人はアヒルの方が好きであることが分かった。この論文から、刺激そのものではなく、どんな内的表象であるかが重要である。論文の「単純接触効果は提示された刺激だけではない」という情報は教科書の「非常に短い時間のみ接触させ、本人が繰り返し見たり聞いたりしたことに気づいてない場合にも生じる」という内容を理解するのに役に立つ。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jia/17/1/17_37/_pdf/-char/ja)
課題2 エクマンについて教科書では「エクマンによれば、幸福・怒り・悲しみ・嫌悪・驚き・恐怖の6つの感情については、顔面表出が文化によらず普遍的である」と書かれているが、以下で紹介する論文では、実験の結果「日本人においてエクマンの普遍的な表情の理論は部分的にしか支持できない」と紹介されているため、知っておくべき情報である。日本人65人の表情の表出を調べた。対象者には、6つの感情のシナリオをイメージして表情を表出した。その後にエクマン理論に基づき、表情をマネした。結果、ターゲット感情は明確に表出したが、シナリオ条件では幸福・驚きの条件のみでしか感情が表出されなかった。日本人の6つの感情の表情を報告する実験は、実証実験を進めていく必要があエクマンの普遍的な表情の理論は部分的にしか支持されていない。「日本人においてエクマンの普遍的な表情の理論は部分的にしか支持できない」という情報は教科書に書かれていないため、知っておくべき情報である。
(https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/embed/jaresearchresearch_results2018documents190212_201.pdf)

827

 それは獲得すべき能力によって異なるので、一概には言えません。「敏感期に」「獲得すべき能力にふさわしい学習機会がもたらされる環境」においてくださいとしか言えないです。敏感期がありそうな能力に目星をつけて(学習の機会はいつでもいいというわけではなさそう、というものを探します)、発達心理学の本を参照してみるといいと思います。

1点差し上げます。

826

 比較神経心理学という分野が最近あります。動物と人間を、神経系の仕組みや発達という視点で比較する分野です。ここを当たってみてください。
 「もう少し理解を深めるため」という言い方よりも「どういう方向で理解を進めたいのか」を言った方がいいと思います。それから、脳科学的発達観に関する教科書の説明で、どこが不十分だったのかも明確にした方がいいです。ここまでは質問者の仕事です。そうでないと、一冊あるいは数冊の本を読んでねということになります。

825

 課題1: 教科書の意図は、さまざまな発達段階論を紹介することにではなく、発達段階論とはどういう発達の考え方なのかを知ってもらうところにあると思われます。いたずらに情報を増やすだけではいけません。あなたの勉強にはなったと思うので、その知識は大切にしてください。どこかで生きることでしょう。
 これも商業サイトですね。直前の理由と同じく、こういうのを個人的な勉強以外で使用しない方がいいです。

1点差し上げます。

824

 課題1: その情報は教科書理解にどう貢献するのですか。
 これ、商業サイトです。引用ではなく参考、しかも論文ではなくサイトになっています。どこの記述が誰の研究に基づいているのかが明示されていない記事は、学術的信用性が高いとは言えないので、こういうところで引用しない方がいいです。個人的に勉強する分にはいいけれども(それでも、信頼のおける文献で確かめておくことが必要です)。

1点差し上げます。

823

 課題1: その情報は、教科書理解にどう貢献するのですか。エリクソンについて調べるなら、数行で終わっている資料では不十分だと思います。

822

 この研究成果の報告書(論文ではありませんが、公的な文書なので信用性はあります)で掲げられた疑問への解答は、結局何だったのですか。知覚的狭窄化が領域共通なのか、領域固有なのか。あなたの紹介は、報告書のほぼコピーのようですが、このような疑問は抱きませんでしたか。知覚的狭窄化が領域共通性が重要な問題意識であることは認めますし、この問題へ解答を与えられれば教科書の記述を修正あるいは補強することになったでしょう(ここが教科書理解への貢献になります)。しかし、結論が。それから、「乳児の知覚システム発達(精緻化のメカニズム)をより深く理解する点で、テキストの内容理解に貢献できる」という結びはいただけません。引用している研究が興味深いだけに、どういう点での貢献かが明確でない書き方は残念です。

4点差し上げます。

821

 >>投稿番号 とすると、ブルーで表示されるようになり、そこをクリックすると元の投稿に飛べることがわかりました。元投稿を書き写さないですみますね。
 「神経細胞の大きさが小さくなったからニューロンの大きさに変化が生じた」のであれば、誤差ではないですよ。変化の理由があるということですから。
 この研究は、飢餓などで体の大きさが変化すると、神経細胞(ニューロン)の大きさも形状を保ったままで変化することを示すものです。図7.2 に示される5歳から11歳へのニューロンサイズの縮小が、この研究で説明されるのでしょうか。5歳から11歳にかけて、むしろ身体サイズは大きくなっていますよね。ではニューロンは大きくなることはあれ、縮小することはないのではないでしょうか。
 この研究によっては、減少が誤差の範囲という主張は崩されないですね。
 難しい研究を調べて(よく見つけましたね)、疑問に答えようとした姿勢はとても素晴らしい。

5点差し上げます。
 

820

 臨界期だとしたら、その時期に学習の機会が奪われた場合、修復は効きません。「「顔の配置」がわかりにくい状態で大人になる」という表現から、F22051さんは敏感期を想定していたのではと思いました。
 言語獲得の敏感期は非常に幅広く、10年近くあったと思います。これだけ長いと臨界期よりは敏感期と言った方が適切ではないかと思います。
 留学生の方でしたね。一所懸命日本語を習得しようとしているのだと思います。頑張ってください。

2点差し上げます。

819

 課題1: シナプスの刈り込みがなされないとどういうことになるかはわかります。教科書では、刈り込みによって「特定の刺激に鋭くなる」とあるので、刈り込みがなされない場合、さまざまに刺激に対して鋭敏であるということが予測されるのではないかと思います。それに対する解答として紹介されているとよかったと思います。共感覚はさまざまに刺激に対して鋭敏であることではないのかどうか、ここも考察のしどころです。発展的に読むとはこういうことかと思います。あなたの紹介の仕方だと、単に情報を増やしたことになりかねません。
 疑問を持って調べたこと自体は素晴らしいです。

2点差し上げます。

818

 これについては、すでに議論になっています。そちらを参照してください。他の人の投稿とコメントを読んでねと、毎回の資料で述べていますが、読んでもらえていないようで残念です。
 「ミスの場合、正しいパタンは何ですか」と尋ねてしまうのは高校生的です。正解は求めればやってくるという発想から抜けてでください。教科書に載っているデータに間違いがあれば、読者が気づいて修正がかかります。解釈は間違うことがありますが、データが間違うことはそうそうないと思います。まずはこのデータをどう読むべきかを考えます(他の人はこの線で進めていました)。データの読み方の訓練をしていなければ無理もないなぁと思いましたが、この機会に訓練をしてください。昔理科でならっているはずです。あとは経験を。

1点差し上げます。

817

 「ある時期が飛ばした、または、順番が逆になったとき、発達障害」になるとは言っていないと思います。発達上の支障が出るとは言ったと思いますけれども。発達障害は多分に神経系の発達によるもので、原始的な反射が統合される残ってしまうようなことが起こると発達障害が起こるとは言ったと思います。
 「それで、敏感期は発達の時期と思われていますか」という疑問の意味がわからないです。敏感期は、特定の学習が生じる最も適切な時期のことです。敏感期が遅れると言うことはありません。敏感期に学習の機会がなく、敏感期後に機会が訪れるということならあります。「ある子供は敏感期が遅れたとき、または、飛ばしたとき、その子供は発達障害が起こったと思われますか」、これもわかりにくい。日本語の問題と概念の適切な使用の問題。「ある子供が敏感期に遅れて学習の機会を持った時、または、敏感期に学習の機会を持たなかった時、その子供には発達障害が起こると思われますか」と言いたいのでしょうか。
 日本語表現ですごく損している気がします。もったいない。まとまった文章を作って人に読んでもらい、自分の伝えたいことが伝わっているかを検討する、こういう訓練をするとあなたの発想が活きますよ。

1点差し上げます。

816

 それはよかったですね。課題1はそういう報告をする課題ではありませんが、わかったことが増えるのは喜ばしいことなので、賞賛はしておきます。

815

 情報を羅列して、最後に「理解に役立つ」と結んでいるだけに読めます。教科書理解に関して、その情報にどういう意味があるのかわからなのです。
 「以下で述べる情報にはこういう意義がある」ということを冒頭に記し、その後情報を紹介しつつ、意義付けを行なっていくという書き方をしたほうが、あなたにはいいかもしれません。そうすることで、自分が何のために情報を紹介しているのか(あるいは情報の意義を適切に紹介できていない)を自覚できると思います。

814

F22035さんへ
 回答の移行、確認しました。移行先で採点、コメントしています。

813

 言葉の細かいところはより正確にした方がいいと思いますが、大方考え方としてはよろしいかと思います。一所懸命に考えていることを説明しようとしているのもいいですね。
 発達が連続的だとすれば、一つの評価軸上の大小でずっと発達の程度が査定されていきます。知能の発達であれば、知識量がより多くなっていくことになります。条件づけによる経験を重視する人たちなら、条件づけによって獲得されたことが増えていくことが知能の発達だというでしょう。連続説ですね。段階説は、F22035さんが言うように、順序性はありますが、次のステップへの移行は量的増大ではなく、質的変化です。異性の好みは年齢と共に変化していきます。まさに発達します。「容姿」から「経済力(収入)」に変わるのは質的変化ですね。

8点差し上げます。

109

 最後に出たのを「真」とします。そして、供述がぐるぐる回る理由に合理性があるかを判断することになると思います。最後になされた供述は検察官調べであることがほとんどで、起訴するかどうかを決めるのが検察官ですから、検察官の調べを「真」として考えます。「真」と言えなければ、起訴する理由がそもそもないことになり、弁護側は無罪を主張することになるでしょう。

3点差し上げます。

108

 「判断はグループで判断する」の「グループ」って何ですか? 何タイプかあるからタイプ別に判断せよという意味ですか。共犯女性が何に対して羞恥心を覚えるかは、その人固有の理由があるかもしれません。実際、あの変遷については、取調べで指摘されたのか、調書には記載があります。「あの悪名高い三村を愛していたと知れるのは恥ずかしかった」、「取調べ当時付き合っていた人に知られたくなかった」という理由が語られています。後からでは何とも言えますけれど。「一回しか聞かないし、それで全て判断するから正しいことを言ってね」と最初に伝えておくのはどうかと思いました。
 「ある違和感を無視して、ある違和感を大きく取り上げると、それが可能になる怖さ」の「それ」って何ですか? 違和感ですか。「違和感が可能になる」とは?
 逆行的構成について学んでもらえてよかったです。どういう場合に逆行的構成が生じるのかという研究が、その後ありました。

5点差し上げます。

107

 「人は自分の利益を最大化しようとする」も「自分の置かれている環境が自分を脅かすリスクを最小化する」も、一般的な基準です。該当する人が多いのは確かですが、特定の人がその通りに動くか(動いたか)はわかりません。このことは、第8回「供述へのアプローチ」でお話しした通りです。囚人のジレンマなどのゲーム理論から得られるのも、一般的な傾向で、その通り人が動いたかどうかはそこからは導けません。
 ところで、今回は供述分析のいろいろな方法を心理学的に考えてもらうことが課題であって、「自分にとってより不利になることを隠そうとするはずだ」「事件の核心的な部分が隠されるはずだ」という特定の経験則について考えることは少し中心を外れています。
 多様な解釈がある場合は複数の見解を尋ねるのは一つの方法ですが、精神鑑定がすでにこうなっています。複数の鑑定結果がバラバラで、最終的に裁判官が判断している。裁判官が最終的な判断を下す権限があること(逆に裁判官以外はここに最終判断を下すようなことをしないこと)は司法の独立性を担保するために必要ですが、鑑定がバラバラでは裁判官の判断材料に本当になるのかという批判もあります。

5点差し上げます。

812

投稿するところを間違えてしまったので投稿しなおしです。
>> 717F22114さんへ
この「量的」と「質的」の差を私は、ステップの大きさ、と捉えましたが、あまり納得はしていません。
→私は「量的」と「質的」の差をステップの大きさではなく、ステップの種類と捉えました。
どちらも「ステップを踏んでいく」という考え方は同じだと思いますが、そのステップの種類が違うものであると私は考えます。また、発達を「次のレベルに進んでいくこと」として捉えるのならば、「レベルの上がり方が違う」ともいえると思います。
 まずは、「量的」な考え方から説明すると、「量的」は「数字的」ともいえます。また、「連続論」は「量的」であり、1,2,3,4、、、、のように連続的に並ぶもので、グラフで表すと直線的なイメージです。言い換えると、急に次のレベルに行くのではなく、連続的に少しずつ変化していくイメージだと思います。具体例を挙げると、身長だと思います。身長は、急に10cmもポンっと伸びるわけではなく、骨や筋肉が発達して徐々に伸びてきます。これが、連続性です。
 次に、「質的」な考え方は、連続性があるわけではないが、順序性のあるものだと思われます。つまり、「こういうふうになって、こうなって、、、」というふうに連続的に詳しく決まっているわけではないが、こういう順番で発達していくという決まりのようなものはあるということです。グラフで表すと、それこそ右肩上がりの階段のようだと思います。具体例を挙げると、赤ちゃんが歩けるようになるまでの過程がそうだと思います。赤ちゃんはハイハイができるようになったり、つかまり立ちができるようになったり、つかまりながら歩けるようになったりして、だんだんと歩けるようになっていきます。これは、順序性はありますが、連続性で表されるのは少ないと思います。これが段階的な発達です。
 これらの差は、明確にこうだというのは難しいですが、「連続論」(量的)と「段階論」(質的)の考え方に違いがあるのは確かです。その少しの違いが「量的」と「質的」の違いなんだと思われます。

106

次回「現実の刑事事件と心理学」の資料と動画をmoodleにあげました。課題を始めて結構です。
 「供述分析の方法」の採点対象となる課題投稿は締め切ります。

809

 次回「感情心理学」の資料と動画をmoodleにあげました。課題を始めて結構です。
 「発達心理学」の採点対象となる課題投稿は締め切ります。

808

第7章 発達心理学の課題
質問です。
 テキストの123ページに「適切なタイミングに適量の情報(適切な環境)が与えられることが発達にとって大事なことなのである。」と書かれていますが、具体的にどのような時期に情報を与え、どのような環境に子供たちを置くべきなのでしょうか?

807

質問:脳科学的発達観は「失うことで能力を獲得」することであることは、教科書を読み、理解できました。また、教科書で説明されているサルや言語の例はわかりました。しかし、もう少し理解を深めるために他にも脳科学的発達観を説明する例があれば教えていただきたいです。ご協力よろしくお願い致します。

806

課題1
追加情報:発達段階論
 主な発達段階論は、5つである。
 1つ目がピアジェの考え方だ。ピアジェは、子どもの発達を「認知を獲得する過程」という考え方だ。
 2つ目はフロイトの考え方だ。フロイトは、心のエネルギーである「リビドー」(性的衝動)によって、心の働きを説明した。
 3つ目は、マーラーは、発達を「子どもの独立」という観点から考えた。
 4つ目はボウルビィは、発達を「愛着行動」という観点から考えた。
 最後は、エリクソンは、人の発達が一生続くという「生涯発達」を唱えた。

5つあり、投稿の文が長くなってしまうため、簡単にまとめたものを載せました。

理由:発達段階論について調べる中で、教科書では記載のない発達段階論があり、人によって考えが異なることを知り、理解を深めたので投稿しました。

URL: https://yotsuyagakuin-tsushin.com/b_psychology-blog/development-theory/