札学心理学

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10章 ストレスと心の病気
課題2
 私は入学したばかりの時、大学や家での勉強が思うようにできず、大学に行くことがストレスとなり腹痛(ストレス反応)を起こしてしまうことがよくあった。この時私は、「大学に行かなければ勉強に遅れをとってしまう。何としてでも行かねば」と考え無理やり登校(問題焦点型化型コーピング)していた。その結果、授業に追いつくことはでき、それなりの成績を収めたが、ストレスが増しさらに体調が悪化してしまった。
 この時にコーピングとして適切だったのは「家での勉強は中断して十分な心の休息をとる」ことだったのではないか思う。なぜなら、ストレスの原因だった勉強を中断することで「今日は家に帰ってもつらい勉強しなくてよい」と心に余裕ができるからだ。
 しかし、人間は気分によって物事に対する感じ方が変わるため、いつでも上記のように楽観的な考えになれるわけではない。勉強しなかった日は自己嫌悪に陥ったり、罪悪感が生まれたりするかもしれない。それがストレスになってしまう場合もあるだろう。
 そのようなときには、勉強と休息を交互に(勉強をやった次の日は勉強せず、自分の好きなことをするなど)やればよい。そうすれば、勉強をしているため罪悪感を感じることもなく適度な心の休息もとれる。
 勉強に関するストレスを完全になくすことは不可能なことかもしれないが、このようなコーピングを行えば、最初に書いたようなストレス反応を起こすことがなかったのではないかと私は考えた。

986

 課題2: 以前の投稿に「飛行機は危険」というのがステレオタイプではないかというものがありました。そのときのコメントに、それは個人の特別な偏見であってもステレオタイプではないのではないかと書きました。今回もこれと似ているように思いました。「吹奏楽部だからリコーダー吹ける」というのは、単なるこの人の無理解であるという。とても気になりました。いずれ皆で議論したいと思います。
 課題3: 行動の文化差と認知や思考の文化差が明確に区別されるように書くともっとよかったと思います。「挨拶」とは何かという認知が異なるのですね。「礼儀やねぎらいの気持ちを伝えるもの」ととるか、「親愛やフレンドリーさを表すもの」ととるかで行動が違ってくるという話と理解しました。

7点差し上げます。

985

 課題2: 日本語表現の細かい問題はありますが、おおむねよろしいかと思います。
 課題3: 事例としては適切だと思います。今思ったのですが、文化差と認識されていることに、利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関が働いているということはないだろうか。

8点差し上げます。

984

 課題3: 事例は何のために出しているのかを考えた方がいいです。思考や認知の文化差を示したいために出したのであれば、その事例について語った方がいいです。しかし、違う話に移行している。イギリス人記者の投稿が炎上した話が始まったのに、それには触れず、なんでアメリカンジョークで結ぶのだろう。最初の記事は何だったのだろう。「言葉遊び」と「格差をからかう」ことの対比をしながら、これが「自己主張の強さ」の方向に行ってしまうのはなぜだろう。この対比が自己主張を起源とすると言いたいのですか。
 情報や知識をたくさん持っているのは長所ですが、それらを組み合わせる適切な方法がないと大きな損失です。文章構成の力を磨いていただきたいと切に希望します。もったいないです。

1点差し上げます。

983

 課題2: 「普段から日本のサッカーチームを応援している訳でもないのに」は不適切だと思います。何について語っているかがぼやけてしまう。応援していようがしていまいが、いいプレーはいいと評価しているのではありませんか。「日本のサッカーチームはいいプレーも悪いプレーもしているのに」であればわかる。
 「日本チームのプレーを高く評価するコメントであふれかえっている」ことが内集団バイアスの事例というのですね。そうであれば、「なぜなら、内集団バイアスとは自分の所属する内集団の成員をひいきして、外集団の成員と差別する現象である」という接続はおかしい。なぜなら理由の部分(「なぜなら」以下)で外集団と内集団の対比から内集団バイアスを定義しているにもかかわらず、挙げた現象がそうなっていないからです。「他国のプレーは誉めないくせに、自国のプレーは褒める」という事例であればわかる。
 自分が何を述べようとしているかを自覚し、それにふさわしい文言とふさわしくない文言を選べるようになってください。自己モニタリングせよ、ということです。思いついたことを書きつけるのはいけません。

1点差し上げます。

982

 課題1: ステレオタイプにポジティブなものとネガティブなものがあることはわかりました。それで、その情報は教科書の理解にどう貢献するのですか。「ステレオタイプは社会的に定着したイメージであり、偏見は主観に伴ったイメージである」こともわかりました。これについても同様に問いたいと思います。情報を増やすだけではいけない。

1点差し上げます。

981

 課題3: どこが思考の文化差なのかを明確に指示したほうがいいです。「幼稚園から高校生までの期間を「良い大学に合格するための準備期間」」と見ているのが韓国の方なのですね。日本人と対比するなら、日本人のその期間に対する認知を述べるべきです。しかしあなたは、「日本では韓国とは違い勉強のために部活が存在していない。そのようなことはなく、プロを目指すためにスポーツをする人以外にもたくさんいる」としか言っておらず、認知に触れていない。これでは思考の文化差について述べていることにはならないです。

2点差し上げます。

980

 課題2: 「練習してうまくなる人やアルトパートなどの低い音やハモリしか歌わない人」がいるのであれば、確かに「全員が歌がうまいとは限らない」ですね。私も合唱部へのステレオタイプに侵されていました。
 「特定の社会集団に関する期待によって」の部分を「合唱部という特定の社会集団に関する期待によって」にするとなおよかったと思います。

4点差し上げます。

979

 課題1: 「内的帰属・外的帰属の帰属という意味がよく分からず」調べて得た成果が、「帰属理論は、複数の人が唱えており、その内容がもとになり、できた理論があることや帰属理論なのかでも分類の仕方などが違」うことだったのですか。「内的帰属・外的帰属の帰属という意味」を理解することが目的だったのに、違う成果が得られています。そもそも内的帰属・外的帰属の帰属という意味がわからないままで、このような成果が得られるとは考えにくいです。それから、これらの情報は教科書理解にどう貢献するのですか。あなたの当初の目的通り、「内的帰属・外的帰属の帰属という意味」を理解するためにこの情報が必要だという書き方だったらよくわかったと思います。

1点差し上げます。

978

 課題2: それはステレオタイプではなく、あなたに対する「偏見」です。ひょっとして、あなたが中国の東北出身だから「けんかが上手で性格が悪い」と思われたと書きたかったのですか。そうであればステレオタイプです。中国の東北出身者という社会集団に対する集合的認知現象なので。
 課題3: それは行動の文化差です。認知や思考の文化差について述べてもらうのが、課題3です。

3点差し上げます。

977

 課題3: 行動の文化差だと思って読んでいましたが、「将来や先のことを優先して行動するか、今の気持ちを優先して行動するかという思考の違い」なのですね。なるほど、わかりました。面白い考察です。

4点差し上げます。

976

 課題2: ステレオタイプほど巷間に広まっている信念とは思えないです。それほど多くの人が「飛行機は危険だ」と考えているようには思えません。利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関の事例と考えた方がいいと思います。

2点差し上げます。

975

 課題2: ほんのささいなことによって、論理的な文章に読めません。文の順序がまずいのですね。ステレオタイプの定義をまず書いて、事例を出し、定義に沿って説明するといいと思います。すべてのパーツがあなたの文章にはあるのですが、組み合わせがよくないのです。私なら次のようにします。

 ステレオタイプとは、社会集団の中に浸透している思い込みや固定概念のことである。これに該当する一つの事例を私の体験から挙げる。中学生の時、先輩が私に、自分は血液型を当てるのが得意だと言ってきた。そして先輩は私を「O型っぽい」と言った。理由を聞くと、「おっとりしているから」だと言う。しかし、実際の血液型はA型であった。先輩が使用した「おっとりしている=O型」という解釈は、社会集団の中に浸透している血液型に対する固定概念である。すなわち、先輩はステレオタイプに基づいて、私の血液型を推論したのである。

 入れ替えだけで済むと思ったら、いろいろ付け足しや書き直しが必要だった。でも順番を変えて書けば、あなたにも同じことができたと思う。
 最初の文は、「私」が先輩から、先輩は「血液型を当てるのが得意」だよと言われたという意味ですね。「私」が得意だねと先輩に言われたとも読めてしまいます。

3点差し上げます。

974

 課題3: 行動の文化差のように見えます。思考や認知の文化差として読むのであれば、「話を遮ること」という行動の認知を問題にしていることがわかるように書くべきでしょう。
 「このような(事例)」という推論の書き方はいけないと何度か釘を刺しています。何を材料として推論しているのか、材料をどのように組み合わせて推論しているのかわからないからです。

3点差し上げます。

973

F22128
 課題2: わかりやすい文章構成です。ただし、後者は「錯誤相関」ですね。区別できているともっとよかった。また前者に関しても、「たった一回の失敗であるにもかかわらず」のような書き方がされているとよかった。多数回あったら、それは事実になると思いますので。

5点差し上げます。

972

 課題2: 適切な事例だと思います。利用可能性ヒューリスティックと錯誤相関を取り上げてくれました。
 「また、この問題があった次の年の入学者数は例年と比較しても少なくなっている。」は別の場所で述べた方がいいですね。ここに書いてあると、このことも利用可能性ヒューリスティクの中身だと思われてしまいます。これは利用可能性ヒューリスティクによって生み出された誤った認知(錯誤相関)であって、両者は区別した方がいいと思いました。

5点差し上げます。

130

 すみません、言われていることが何を指しているか、よく理解できないです。「現在の冤罪を訴えてるもの」、「罪を自供していた(言わされていた)もの」とはどれのことですか。弁護士が公判速記録を使用するように言った理由は、「現在は無罪を訴えているのでそっちの情報を使って欲しい」からでしたか。調書は須賀さんが何を言ったのかわからないから、須賀さんが何を言っているのか(これが「生の声」)がよくわかる公判速記録を使って欲しいと言ったのではなかったかと思いました。
 意見ではなく「感想」になっています。「聴取に慣れて嘘の記憶であっても本物だと思い込んでしまった場合を恐れてという点では、最初の方法も正しいなと思いました」で終わっているからです。どうして正しいと思ったのか、だから何なのかを書くと意見になったと思います。

2点差し上げます。

129

 「警察や検察官の調書や陳述書は、被告人を犯罪者と表現」するのは、警察や検察の仕事がそういうものだから仕方ないです。ただし、犯罪者かどうか(有罪かどうか)を決めるのは裁判ですので、その意味で警察や検察は被疑者を「犯罪者の可能性が高いが、違うかもしれない者」として扱うべきでしょうね。弁護人もそういう仕事です。異なる立場から陳述し、裁判官が総合的に判断を下します。法曹三者間でこういう役割分担をしているのです。証拠のすべてでなく、検察官が選別したものが証拠になるのは確かに問題です。残留記録を弁護側は見られないのでしたっけ? ここまでは心理学ではなく、法学の議論ですね。最後に心理学鑑定が不可欠であることを述べられていますが、それ以前に述べられた法曹三者の役割分担やそれぞれの仕事に対して、どういう意味で不可欠なのですか。ここを論じれば、裁判「心理学」の議論になったと思います。力点の置き場所が後ろの方にあるとよかったですね。

3点差し上げます。

128

 最初の二段落は感想ですが、本来どうするべきであったかなどを心理学を学んでいる者の立場から述べてくれると「意見」になったと思います。
 後から考えると、どうして気づかなかったのだろうと思いますが、なかなか気づかないものですね。「こういう視点で読んでみたらどうだろう」等、吟味の方針をいろいろ変えて試してみるしかないかも。個人の特性を理解することが証言をするときの違和感に気づくことにつながったのではありません。逆です。証言をするときの違和感から個人の特性が理解できたのです。「供述の違和感だけを追うのではなく個人を捉える」方法だと、次回の甲山や尼崎には難渋します。
 「素人」をどういう意味で使っていますか。心理学的知識や技能は心理学者との方が上というのは、さすがに裁判官でもわかると思います。裁判官の自由心証主義を侵すので嫌がられるのです。
 感想部分が多いので、次は意見になることを願っています。

4点差し上げます。

971

第10章「ストレスと心の病気」課題
課題1 攻撃的反応について、教科書では「欲求を阻止している障害を力ずくで打ち破ろうとする」と書かれているが、次のサイトでは「悪口による」も攻撃的反応になるが、「力ずくで打ち破る」という情報しか、教科書に書かれていないため追加する。急いでる時に、前をゆっくり歩いている人がいた場合、その人を押したりすると、力ずくで打ち破ろうとすると、攻撃的反応になるが、「早くどけよ」と言っても、打ち破ろうとしてはいないが、言葉によって打ち破ろうとしている。これらの情報は教科書に書かれていないため、攻撃的反応に追加する情報である。
(https://blog.counselor.or.jp/business_p/f235)

課題2 僕が高校の時ゲームをやりすぎて、成績が悪くなるという事があった。ゲームをやる時間が長くなると、勉強にかける時間が無くなり、「小テストの点数が悪くなる」という事が起こってしまった。この問題を解決するため、自分でゲームをできる時間を設定した。その結果、勉強する時間を確保でき、小テストの点数は上がった。だが、ゲームをする時間が短くなった事によって「イライラ」するという問題も発生した。この事例のストレス反応は、小テストの点数が悪くなるイライラの2つである。成績が悪くなった原因のゲームをやる時間が長いというストレッサーに対し、問題焦点型のコーピングをした。だが、ゲームをする時間が短くなった(さらなるストレッサー)ことで「イライラ」というストレス反応が起こった。更に良いコーピングとして「10分程度ゲームをする時間を延ばす」ことである。理由は、ゲームをする時間を少し長くできる上に、勉強にかける時間を確保できないという事は怒らなくなる。このため、2つのストレッサーを回避でき、ストレス反応も発生しないと考える。コービングのストレッサーの状況である、(ゲームをやる時間が長くなる)を(ゲームをする時間が短くした)。この事例から問題焦点型のコーピングであると考える。

970

10章 課題

課題2
私は今、飲食チェーン店でアルバイトをしているのだが、最近、新しく入るアルバイトの人に新人教育を行う立場を任されることが増えてきた。
私は説明がうまくできないが、できないなりに実践を交えてできる限り丁寧に教えている。しかし、何度教えても同じミスをしてしまうことが度々あり、アルバイト先の忙しさや従業員の少なさも相まって新人の人に対しイライラしてしまう。また、そのイライラが態度や声の低さに出てしまうことも多々ある。
そのような時私は、「まあ、自分が入った頃も全然できてなかったし」と考え、イライラの感情を和らげようと試みている。これは情動焦点型コーピングにあたる。
しかし、イライラを和らげたところで「忙しさ」というストレッサーは残ったままである。
そこで更なるコーピングとして、私が新人の頃に書いていた自作マニュアルをlineで送ったり実物を渡す、という方法を考える。
私は、やり方を忘れた時の対策として、可視化するという目的のもと自作した。そしてこれを活用した結果、「動きよくなったね」とアルバイト先の先輩に褒められることが増えた。
マニュアルを渡すことで、新人の成長を促し、戦力の一人として動いてもらい、一人当たりの負担を減らすことができる、と考える。
これは、問題焦点型コーピングにあたる。

969

10章の課題 

課題2
中学生の頃、夕方にコーヒーを飲んだせいで寝つけなくなることがあった。寝つきが悪いと寝不足になり、翌日の勉強や部活に「やる気が出ない」ということがよく起こった。そのため、午後6時以降はコーヒーを飲まないと決めた。すると、寝つけないという問題を解決することができた。しかし、好きなコーヒーを好きな時に飲むことができないため「イライラする」という別の問題が生じてしまった。
 この事例において、ストレス反応は「やる気が出ない」ことと「イライラする」ことの2つだ。自分は、「やる気が出ない」ことの原因である「寝つけない」というストレッサーに対して、「午後6時以降はコーヒーを飲まない」という問題焦点化型コーピングを行った。しかし、このコーピングでは「好きなコーヒーを好きな時に飲むことができない」(新たなストレッサー)ため、「イライラする」というストレス反応が生じてしまった。
 より良いコーピングとしては、「午後6時以降はカフェインレスコーヒーを飲むようにする」が考えられる。このコーピングならば午後6時以降でもコーヒー(カフェインレス)を飲むことができ、寝つけないという事態も起こらない。つまり、上記2つのストレッサーを回避することができるため、それに応じたストレス反応も生じないと考えられる。なお、このコーピングはストレッサーとなる出来事の状況(午後6時以降にコーヒーを飲む, 好きなコーヒーを好きな時に飲むことができない)を変えている(午後6時以降はカフェインレスコーヒーを飲むようにする)。そのため、これは問題焦点化型コーピングであるといえる。

968

 次回「ストレスと心の病気」の動画と資料、課題をmoodleに上げましたので始めて結構です。来週水曜の9時が採点対象となる投稿の締切です。
 「社会心理学」の採点対象となる投稿は締め切りました。お疲れ様でした。

127

 次回「甲山事件」の動画と資料をmoodleに上げましたので、始めて結構です。
 今回の採点対象となる投稿は締め切りました。お疲れ様でした。

126

「意見」
今回の講義から私は、心理学鑑定を行う際にこそ外部からの見方や当たり前に思ってることに振り回されることもあるのだと思いました。
特に足利事件の話で、鑑定に使う情報を現在の冤罪を訴えてるものではなく、罪を自供していた(言わされていた)ものを使用してしまったことについて、それは聴取直前の最も自然な情報を欲しいから、という話でしたが、それに対する弁護側の反応が、現在は無罪を訴えているのでそっちの情報を使って欲しいというものでした。
確かにそうだなと思う反面、聴取に慣れて嘘の記憶であっても本物だと思い込んでしまった場合を恐れてという点では、最初の方法も正しいなと思いました。

966

書き忘れていましたが、課題2の投稿です。

965

社会心理学
課題2
私は吹奏楽部に所属していたが、「吹奏楽部だからリコーダー吹けるはずだよね!教えてよ!」と言われたことがあった。吹奏楽部だからといって、誰もがリコーダーを吹くことができるわけではない。トランペットとリコーダーを比べると、吹き方も違うし、運指も違う。打楽器や弦楽器を担当している人は、吹く楽器ですらないため、リコーダーを吹くことができなくても全くおかしくない。これはステレオタイプの事例である。なぜならステレオタイプとは、その人をその人の所属している社会集団の一員として見て、ある種のイメージに基づいてカテゴリーに分類して見ることだからだ。先の事例の「吹奏楽部だから」という部分が社会集団の一員として見ていることであり、「リコーダーを吹けるはずだ」という部分がある種のイメージに基づいて判断していることであるから、この事例はステレオタイプの事例となる。
課題3
日本と欧米の挨拶の違いに私は文化差を感じた。日本は挨拶をする時に会釈をする。これは礼儀やねぎらいの気持ちを重んじているからだ。一方で欧米は挨拶をする時に握手やハグ、チークキス(頬と頬をくっつける挨拶)をする。これは親愛やフレンドリーさを表す目的でしているということであった。挨拶にも複数の方法があり、それをどういう意図でしているかも違ったため認知や思考の文化差を感じた。

963

課題2
私はステレオタイプを事例に挙げたいと思う。
始めにステレオタイプとは、特定の社会的集団に関する知識、信念、期待によって構成された知識構造の事、多くの人に浸透している固定観念やイメージ、思い込みの事である。以前友人内での飲み会を行った際、飲み会に来ていたメンバーの血液型は何型なのかあてるということをした。その時私に対して友人が「私(僕)はしっかりしているし、几帳面なところがあるから絶対A型だ。」と言ってくれた。ところが私自身血液型はO型であり、同席していた別の友人は逆にのんびりしてて、結構アバウトな性格だから、O型だと私含めみんなで予想したところ彼はA型だった。この事例である「A型はきちょうめんでしっかりしている」「O型はのんびりしてて、大雑把」という固定観念や知識によって発生した偏見であり、これは身近にある典型的なステレオタイプの事例だといえる。
課題3
私は日本と海外の働き方についての考え方、認知の違いに文化差を感じた。
 日本の場合は「集団行動」を大切にし、「同じ目標をみんなで目指す」という形で企業運営が行われている。しかし、海外は会社内での統率や秩序には多くの人が関心をほとんど持っていない。むしろ海外では個人個人の考え方が尊重され、「仕事か、プライベートか」といった優先順位については一人一人が決めるものと考えられている。
 具体例を何個か挙げるとまず日本の残業文化だ。日本でよく「サービス残業」と言われているものであり、日本人の残業は集団行動を目指すがゆえの残業に近くなってしまっており、無駄が多い。正直なところ、仕事の具体的な成果より「一生懸命働いている姿を見せる」ということを見せるための残業となっていることが多い。一方海外では、日本のようにプライベートな時間を犠牲にしてまで会社に尽くすという姿勢を、美徳とは捉えていない。海外で行われている残業はあくまで自分の成果を出すための残業である。
 また、オフィスづくりや自主性でも海外と日本では違いがある。オフィスづくりに関して日本は、休憩中など勤務時間外でさえ、どこかへ遊びに行くことに引け目を感じることがあるように仕事というものに縛られている傾向がある。一方海外では企業によってはキックボードでオフィス内を移動できるなど社員が遊べるオフィスづくりをする傾向がある。
自主性に関しても海外に企業では個人主義が強いため、何か不満があっても、はっきり自己主張をしない限り「不満はない」と見なされてしまう傾向がある。しかし日本では積極的に自己アピールをしなくても、「やりたくないと感じているのだろう」と、相手の心境を想像し、配慮する傾向がある。
 以上の事から日本と海外の働き方についての考え方、認知の違いに文化差を感じた。

962

社会心理学 課題3
 下記の問題を読んで、日本と他国にはそれぞれのジョークの文化があり、それに対する認知や思考に違いがあると感じた。
 日本のジョークと言えば、なぞかけなどの言葉遊びが考えられる。これは、仮名文字など古典的作品の歴史が今のジョークの文化へとつながっている考えられる。対して、アメリカでは他人との格差をからかうもの(ビゴーが書いたような皮肉が込められた風刺画)などが思い浮かぶ。民族や宗教などを混ぜた過激的な表現が目立つのは、自己主張の強さが関係していると考えられる。
アメリカンジョークが日本では笑えないようのは、そういった環境的要因が強いのだと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a8677c10715201613a4b46e65cc84f8310b25d9/comments

961

社会心理学 課題2
最近、サッカーワールドカップが行われている。Twitterでは、毎日トレンドに上がっているくらい日本中が熱中している。普段から日本のサッカーチームを応援している訳でもないのに、日本チームのプレーを高く評価するコメントであふれかえっている。これは内集団バイアスの事例である。なぜなら、内集団バイアスとは自分の所属する内集団の成員をひいきして、外集団の成員と差別する現象である。ワールドカップにおいて他国という明らかな対抗的グループを意識することで、無意識的に日本人という集団を高く評価する。この現象が、過激化すると炎上コメントや問題発言、他国を誹謗中傷する書き込みが増える。

960

社会心理学 課題1
 ステレオタイプについての追加情報
教科書の例として、看護師の女性は献身的で、優しく、芯の強い女性というイメージがあると書かれている。この事例は、ポジティブな事例であるがステレオタイプには、ネガティブな事例も構成されている。
 ネガティブな例として、「日本人は、自己主張が苦手である」をあげる。この事例は、日本の社会的に空気を読むことが求められることなどによってイメージづけられたからであろう。しかし、実際には日本人全員がそのような持っているとは限らない。
 似たような言葉として「偏見」があるが藤永(2013)によると、偏見とは自分にとって不適切な対象を過度に否定的に評価すると記載されている。ステレオタイプの説明について、教科書p141には特定の社会的集団に関する知識、信念、期待によって構成された知識構造と記載されている。つまり、ステレオタイプは社会的に定着したイメージであり、偏見は主観に伴ったイメージであるといえる。

 参照文献
 藤永保(2013)『最新心理学事典』平凡社

959

課題3
 私が思考には文化差があるなと感じたのは、韓国と日本の教育だ。
 韓国では小さい頃から「良い大学を卒業して、良い企業に就職して、良い暮らしをする」のを最優秀目標に、幼稚園から高校生までの期間を「良い大学に合格するための準備期間」として、必死に勉強や習い事を行う。そのため、学校が終わってから直行で学習塾に通ったり放課後自習を行うため、韓国には「部活動」が存在しない。放課後にスポーツをするのはプロを目指す学生のみである。それぞれが『将来良い暮らしをするため』に、幼いころから才能や技術、学力を磨くのが韓国流である。
 しかし、日本では韓国とは違い勉強のために部活が存在していない。そのようなことはなく、プロを目指すためにスポーツをする人以外にもたくさんいる。
 その話を友達から聞き、とても驚いた。その時に思考には文化差があると感じた。

958

課題2:ステレオタイプ
私は、ステレオタイプを事例に挙げる。私は、中学生のころ合唱部に入っていて、カラオケに友達と行くと「合唱部なんだから歌うまいよね」と言われ、歌を聞くとたまにがっかりされた。これを事例として挙げたい。合唱部では、練習してうまくなる人やアルトパートなどの低い音やハモリしか歌わない人もいるため、全員が歌がうまいとは限らない。ステレオタイプについて教科書の141ページの下か4行目には、「特定の社会的集団に関する知識、信念、期待によって構成された知識構造がステレオタイプ」であると解説されている。私があげた事例は、特定の社会集団に関する期待によって構成されて知識構造が当てはまると考えたため、ステレオタイプの事例に中学校で起きた出来事を挙げた。

957

課題1
追加情報:帰属
 本来はあいまいな因果関係を特定の原因に帰属させることを帰属過程という。帰属過程に関する理論の総称を「帰属理論」という。そして、この理論はハイダーが最初に提唱した。帰属理論は、抑うつのモデル理論の1つである。帰属理論は、ロッター・ワイナーなどが唱えている。
 ロッターは、「統制の所存」を提唱している。行動や評価の原因を自己や他人のどこに求めるかという概念である。「統制の所在」に関する心理検査もある。「統制の所在」には、内的帰属と外的帰属がある。
 ワイナーは、二元の原因帰属理論を提唱している。達成課題における成功と失敗の原因を何に帰属させるのか、人はあるスタイルを持つという考え方である。原因帰属のスタイルは、「統制(内的統制・外的統制)」及び、「安定性(安定・不安定)」の組み合わせの4つに分かれる。統制は、学習における強化が基礎となっており、「内的統制」とは自分能力や技術によって強化が統制されているという信念、「外的統制」は運や他社などの外部要因によって強化が統制されているという信念である。安定性のうち、「安定」はほぼ変わらない要因、「不安定」は変動する要因を意味する。
 例えば、試験で失敗した場合、
①内的統制・安定→「自分は頭が悪いから」
②内的統制・不安定→「勉強しなかったから」
③外的統制・安定→「今回は難しい問題が出たから」
④外的統制・不安定→「運が悪かった」
このような考え方である。

調べて深めたこと:今回、内的帰属・外的帰属の帰属という意味がよく分からず、調べてみようと思い調べました。帰属について調べたところ、帰属理論は、複数の人が唱えており、その内容がもとになり、できた理論があることや帰属理論なのかでも分類の仕方などが違いました。そこの部分を深めることができたと感じています。

URL:https://psychologist.x0.com/terms/163.html

956

 課題1: 「教科書では、東洋人と西洋人のものの見方の違いについてしか載っていない」とは言い過ぎかと思います。146から147ページにある程度言及があります。そこに足りないものは何かという視点で、この書評を活用したらよかったと思います。確かにあなたの提供情報は教科書に載っていないものです。しかし、この情報が教科書理解をどう深めるかが述べられていません。情報を増やすだけではいけません。
 バージの追加情報? この記事はバージについて書かれているものなのですか。

2点差し上げます。

125

 これと同じ疑問は動画の中でも発せられていたと思います。私の方こそ知りたいのです。精神鑑定について調べて教えてください。その前に動画の該当箇所を見返してみてね。「代償性」についても言及しています。

2点差し上げます。

955

課題2:ステレオタイプについて
 僕の出身地は中国の東北ですが、北京で大学を通っている、新しい講義を入ったばかり時、よくクラスメートにけんかが上手で性格が悪いと思われるということがあった。これはステレオタイプの事例である。なぜならステレオタイプとは、集団認知現象であり、簡単に言えば偏見である。先の事例の知ったばかりの人が私に記号をつけてくれたという部分は偏見である。初めて会ったのに、私の性格や経歴を知らず、話もしなかったのに、勝手に定義してくれた。この事例はステレオタイプの実例に他ならない。
課題3:
 文化差の例といえば、新型コロナウイルスに対する中国と他国の扱い方には大きな違いがあるに違いない。多くの国は自粛を強調しているが、中国は感染者が発見されれば1つの団地、さらには地域全体を強制的に封鎖する。

954

課題2
内集団バイアスとは、実際には優劣がない場合でも、自分の所属する集団やメンバーを肯定的に評価し、優遇する一方、外集団や構成員のことは不当に評価したり、差別したりすることである。

公共の場で大きな声で話している若者がいた。その際時目の前にいた高齢者2人の方が公共の場で静かにできないのかと2人が会話していた。

この事例では若者をひとくくりにし、高齢者から見た外周団(若者)の望ましくない行動を記憶している点や、内集団を優遇していることから、内集団バイアスの例としてあげられるだろう。

また、高齢者が若者という社会的集団に対して抱く印象が、特定の個人にも影響することからステレオタイプとも言えるだろう。

953

第9章
課題3
日本に観光に来る海外の人が日本のいいところを取り上げるときに道にゴミが落ちていないというところだとよく言っているのを聞く。日本と海外で道に落ちているゴミに差が出るのか考えたときに、日本はゴミを道に捨てる前にゴミを捨てたら道が汚くなってしまうという先のことを考えるが、海外は自分は今ゴミが捨てたいと思ったらそこが道であっても捨ててしまう。この差は将来や先のことを優先して行動するか、今の気持ちを優先して行動するかという思考の違いがあると感じた。

124

「意見」
  どんな資料も簡単に信用してはいけない。警察や検察官の調書や陳述書は、被告人を犯罪者と表現している。メディアで報道される内容のほとんどは日本の司法機関からの情報であり、弁護人が書く資料もひたすら弁護である。通常、警察や検察官は、裁判で出されなかった調書や捜査記録を残している。起訴後、これらの書類は刑事部検事から公判担当検事に移送されて選別され、有罪に適する有利な証拠のみが法廷に提出される。裁判所に提出されない証拠は、検察内部では残留記録と呼ばれる。証拠は真実を追うためにあるはずだ。しかし、捜査員の立件に便利なだけだ。検察は、残された記録を消極的証拠とまで呼び、「そんなことはいくらでもある」「意味がない」などと、当たり障りのない理由をつけた。誤審や記録が残っていることがポジティブな証拠であることに気づいても、耳が聞こえないふりをする。
 そのため現代では、取調べにおいて、捜査官による発問と被疑者の供述との相互検証、取調べ中の録音の必要性、供述の心理学的鑑定が、捜査や裁判のあり方に不可欠なことだと思う。