どうしてこうなってしまったのだろう……。
私は頭を抱えていた。
私のことを非常食とまで言ったあの少女が今、私のすぐ横にいるのだ。
それも、お互いの肩が触れてしまうほどに近くに。
こうなった原因は……私にもあるのだと思う。
少し前に遡る
彼女は何かと話題を見つけて話をふってくる。
だが私はそれら全てを無視しし続けていた。
そうすれば彼女は諦めてくれるだろうと思ったから。
しかし、私の目算は外れてしまったのだ。
私に無視され続けた彼女はどう思ったのか、おもむろに立ち上がり、こちらまで歩いてくると、私の真横に腰を下ろした。
意味がわからない。
彼女の行動が意味不明なら、次に私がとった対応も意味不明だ。
彼女の奇行を見届けた私は、こんな状況に陥ってもなお、無視を続けることを選んだのだ。
私は……正しい判断が出来なかった。
彼女は私が何も反応を示さなかったのを見て、隣に座るのを許されたと思ったらしい。
時間とともに段々と小さくなっていって、ようやく聞こえなくなった彼女の声が、再び私の名を呼ぶ。
「ササコ?」
…………。
これはさっき知ったことなのだが、彼女の名前はゴイシシジミというらしい。
ついさっき、彼女が唐突に自己紹介をしてきた時に聞いた。
その際に「イシちゃんって呼んでもいいのよ?」などと言ってきたが、私が彼女のことを親しみを込めた愛称で呼ぶ日はおそらく来ないだろう。
ちなみに、私の名前も彼女に知れてしまっている。
教えるつもりはなかったが、あまりにしつこく聞いてくるので言わざるをえなかった。
「うん?…んー……あ、ササちゃん!」
「……」
それにしても、……近い。
馴れ馴れしいなんてもんじゃない。
実際の距離もそうなのだが、さっきから私のことをササコ、ササコと呼び、やたらと距離を詰めてこようとする。(私の名前はササコナフキツノアブラムシという)
自分でも長い名前だとは思うし、略して呼ぶことは別段気にはしないのだが……。
なのだが……彼女にその名で呼ばれるのは、なんだか癪に障るのだ。
「ねぇ」
私はゴイシシジミの言動や振る舞い一つ一つがとても腹立たしく感じてしまう。
その明確な理由を探しても、やはり見つからない。
「ねーえー」
そこまで考えたところで、初めて彼女に会った時のことを思い出した。
あの時感じた苛立ちの正体……それは恐怖だった。
でもよくよく考えたら、それだけではなかったように思う。
感情ひとつではとても言い表せないような嫌悪感。
ふと、本能という言葉が頭によぎった。
私は……本能的に彼女を嫌っているのだろうか。
「ねえってば」
「……なんですか?」
さっきからしつこく話しかけてくる声を無視し続けていたのだが、一向に諦める気配がないので、私は仕方なく返事をした。
「なんだ、喋れるのね。声が出せないのかと思って心配してたのよ?」
「別にあなたと話したいこともないですし」
結果的にゴイシシジミの思い通りになったのが面白くなくて、私はトゲのある言葉で返事をした。
だが、彼女は冷たくあしらう私をお構いなしに言葉を続けた。
「あら、見かけによらず冷たいのね」
「それ、どういう意味ですか……?」
「気になるのかしら?」
自分の言葉に私が興味を持ったのを知ると、ゴイシシジミは目を少し細めてそう言った。
「……」
私はこのまま会話を続ける気はなかったので、沈黙でもってして否定の意を伝えた。
だが、相手は沈黙を別の意味にとらえたようだった。
「私のお友達にね、あなたが似てたの」
「そうですか」
「そうよ」
「……」
「……」
気まずい沈黙。
ゴイシシジミは自分から話し始めたくせに黙り込んだ。
どうやら彼女は、私の次の言葉を待っているようだ。
「だったら、そのひとのところへ行けばいいじゃないですか」
私がそう言うと、ゴイシシジミは少し困ったような顔をした。
私の返事が彼女の望んでいた形でなかったことは、彼女の微妙な表情から容易に想像できた。
「……無理よ。だって、……あの子はもう……」
ゴイシシジミは寂しそうに呟いた。
彼女の様子から、その人がもういない事が分かる。
今のは失言だった。
だから、私は今からでも彼女に気遣いの言葉を……。
「……その人、実は貴方が食べちゃったんじゃないですか?」
私は冷たく言い放っ……ていた。
無意識に口をついて出たのは、最悪な言葉。
自分でも信じられないほどの暴言。
今のは、いくらなんでも酷すぎる。
いきなり理不尽な暴言を吐きかけられた彼女は、言葉を失ったようだった。
「……すみません」
私はうまく組み上がらない感情の中、なんとか謝罪の言葉を紡ぎ出した。
「ぁ…あはは、あなた酷いこと言うのね…………うん、あなたは思ったことをそのまま口に出せる正直者のいい子。そう…思うことにするわね」
今のは怒ってもいい所だ。
それなのに、彼女は無理に笑った。
…………。
こんなやさしいひとを嫌うなんて……私は、……。
「……あ、でも、あまりひとに酷いことを言っちゃダメよ? 私は気にしないからいいけど、中にはすごく怒る子も居るんだから。あなた、そんな事ばっかり言ってると、いつか殺されちゃうわよ?」
そうだ、彼女は私に言ったじゃないか。
お前は非常食だと、確かに言った。
そんなことを言うようなひとがいいひとなわけがない。
……本当に、そう言っていたのだろうか?
もしかして、何かの聞き間違いだったり…?
非常食
ひじょうしょく
ヒジョウショク……?
"あなたは暇つぶし兼……非常食なの。"
聞き間違いなんかじゃない。
彼女は確かに言っていた。
言っていた……はず。
おかしいのは、私の方なのかな?
「心配しなくても、私がこんなこと言うのはあなたくらいですよ」
私は投げやりに言った。
自分のことすら信じられなくなったという不安感から、私はどうやって逃れればいいのだろう。
「私のこと特別扱いしてくれてるの? 嬉しいわね」
ゴイシシジミは相も変わらず、私にとって都合のいい言葉をかけてくれる。
……。
いっその事、自分の使命や自分自身すらも全部忘れて、彼女の為だけに生きるのもいいかもしれない。
そんなあるはずのない未来に思いを馳せてみる。
ゴイシシジミは遊びが好きなようだから、きっと色んな遊びを知っている。
二人で、思いつく限りの遊びを試してみよう。
へとへとになるまで遊んで、疲れたら木陰で休憩。
ちょうどお腹がすいてくる頃だ。
ご飯を食べるのももちろん一緒。
同じものを食べて、おいしいねって言って、そうだねって……。
そして、お腹がいっぱいになったら、急に眠くなってきちゃって……そのまま木陰でお昼寝をする。
気づいたら夢の中で、隣にはあなたがいて。
夢の中でも一緒で、二人で……なんだかおかしいねって……笑いあって…………。
それは、とても幸せな未来だ。
……それなのに本能が、恐怖と怒りの感情がその未来の邪魔をする。
恐怖も、怒りも、そんな得体の知れないものは捨ててしまえばいい。
そうすれば、もう悩まなくてよくなる。
死すらも快く受け入れられるようになるだろう。
───ダメだ。
私は、焦げ付いて駄目になってしまった思考回路ごと頭をブンブンと振った。
すると、遠のきかけていた理性が戻ってくる。
何もかもが信用出来なくなった時、最後の最後に頼るべきは本能なのだ。
その本能を疑うなんてどうかしていた。
熱くなってしまった頭を冷やすために、私は深く息を吸う。
体内に取り込んだ空気は生暖かったけど、私の熱を冷ますにはこのくらいで十分……?
……少なくとも、もう先程のように変な気を起こすことはないと思う。
少しだけ冷静になった頭で考える。
私はどうして、どうしてこんなにも心を乱されているのだろう?
…………。
本当のことはわからない。
だけど、自分の中で一応納得がいくだけの答えらしきものは用意できた。
私が彼女に絆されてしまいそうになったのは……。
…………それは……きっとこの雨のせいだ。
根拠なんてない。
ただ漠然と、そう思った。
この雨粒の一つ一つが、いつか私たちの凍てついた関係を、…どろどろに溶かしてしまうんだ。
……。
私はそんな未来を否定する。
でも……雨が降ることと同じで、私が彼女に惹かれていくのも、自然なこと…なのかな?
「……ううん、違う」
私はぽつりと、その最良の未来を否定する言葉を呟いた。
「……? いまなんて言ったの?」
「内緒、です」
私は怪訝な顔をするゴイシシジミにそう言った。
すると彼女は「そっか」と言って、それ以上聞いては来なかった。
……雨の音だけが聞こえる。
ちらりと視線を横の方へやると、ゴイシシジミは空を見上げていた。
何か声をかけてみてもいいかもしれない。
「何をしてるんですか?」
「……太陽を探してるの」
「太陽……?」
私は彼女に倣って空を仰ぐ。
…………。
空は重い灰色で覆い尽くされていて、とても太陽が探せるような状態ではなかった。
私は、彼女の興じているよく分からない遊びをそうそうに切り上げた。
すると、ゴイシシジミも太陽を探すのを諦めたようだった。
それからは、お互いに言葉を交わすことはなかった。
だけど、先程のような気まずい沈黙ではない。
互いに、無言であることを受け入れていたから。
しとしと、ぴちゃぴちゃ。
しばしの間、透き通った雨音に耳を傾ける。
いつもは鬱陶しいだけなのに、今はこの雨の音が心地いい。
私たちは小さな木の下で隣り合い、降り注ぐ雨音たちをいつまでもいつまでも眺めていた。
二人の元動物を調べてみたら、兵士ちゃん(ササコ、ササコナフキツノアブラムシ)の反応は当然だったし、ゴイシシジミの言葉も事実だったりするんですね
元はそんな関係にありながらも、優しくササコに接するゴイシシジミの思いがいつか届いてほしいと思いました
原作の二人も雨の日は笹の葉の裏で一緒にいると思うとエモさがあります
毎度感想ありがとうございます。
そういったエモさもこれから追求していけたらなって思ってます。
ゴイシジミちゃんから何かこう迫ってくるような圧を感じますね・・・イシちゃんとササコちゃんは一体どういう関係だったんだろう
非常食・・・?
コメントありがとうございます
彼女の高圧的な態度は結構意識して書いてました。
非常食……あ、そういえば家に非常食とか備蓄してないじゃん!!(露骨な話題の切り替え)
えっと……詳しいことはまだ言えないんですすみません
俺前にも読んでるじゃん!
ゴイシジミちゃんは少し影のあるフレンズのようですね
過去にいったい何があったのだろう
お帰りなさいませ! 多重感想コメント、大いに結構です(聞いてない)
ゴイシシジミちゃんの過去が明かされるのはまだ先になりそうですね……
4話までに出てきた情報だけではまだ推測することも難しいかと思われます