「それで、……なんで隠れてたの?」
「……」
彼女の問いかけに私は答えない。
その術を持たなかったから。
体が硬直していて、声も出ないのだ。
「もしかして、私に会いたくなかったのかしら?」
目の前の少女の声が胸に刺さり、心臓がドキリと跳ねた。
彼女の言ったことは真実だった。
「んー?」
ここで下手な行動に出れば、確実に……殺される。
だから私は、彼女の機嫌を損ねないように振る舞わなくてはいけない。
なのに……
「……」
自分の言葉に、完全な無視を決め込む少女を見下ろす彼女は、次第に不満げな顔になってゆく。
そんな一方的に不機嫌になられても困る。
声が出ないのだから、仕方がないではないか。
「ねぇ」
彼女の声は先程よりも低く、鋭い。それは、かなりの怒りを帯びているように聴こえた。
もしかして私は、このまま殺されてしまうのではないか……?
何も出来ずに、誰にも知られずに、一人で……。
───嫌だ。
「……? いま、なんて……」
たった今、体にかかった呪縛が解けたのを直感した。
今ならきっと動ける。
相手はこちらから攻撃されるなんて思ってはいないだろうから、その隙をついて逃げよう。
やつを突き飛ばして、そのまま走る。
私は決意が揺るがないうちに、これを行動に移すことにした。
………………。
タイミングを見計らう為に相手をじっと見つめる。
すると、彼女も無言でこちらを見つめ返してくる。
このように黙られると、急に彼女が言葉の通じる相手ではないように思えてきて、恐怖感を増長させる。
……だが、言葉を用いた対話など端からするつもりはないので、何も問題は無い。
非常に不気味だが、ここは我慢するしかない。
それに、むしろこれは好都合だ。
私の思考の邪魔をするノイズが消えたと、そう考えよう。
……………………
機をうかがいすぎるのは危険だ。
だからこそ私は、慎重に相手を見据える。
一瞬の隙も見逃せない。
もしそれを見逃してしまえば、彼女が次に隙を見せるのは私を殺した後かもしれないのだ。
私が内心焦りを感じ始めてから、相手が隙を見せるまで、それほど時間はかからなかった。
ふいに強い風が吹いたのだ。
風を全身で受けた彼女はというと、片手で髪をおさえ、目を瞑っている。
…………今しかない…!
あまりに無防備な少女の姿を前に、一瞬自分のすべきことを忘れそうになってしまった。
これを逃したら、もうあとはないだろう。
私は覚悟を決めて、作戦を実行する。
ばっしゃん!
私は大きな水音とともに立ち上がり、その勢いのまま敵との距離を詰めた。
そして、今につき飛ばそうとした時に、彼女の私とそう変わらない姿が目に入り、一瞬の躊躇いが生まれてしまう。
ぽすっ
躊躇いは勢いを殺し、……私を殺す。
相手を突き飛ばすための体当たりには体重が乗らず、突き飛ばすつもりが、あろうことかそのまま抱きとめられることになってしまった。
この状況は敵の腹の中にいるのとなんら変わらない。
彼女がその気になれば、なんの労もなく即座に私を噛み殺せてしまえる体勢だ。
私はすぐさま、そのやわらかな拘束を振り払った。
そしてもう一度、彼女へ体当たりを試みるが、やはりブレーキがかかってしまう。
私は彼女への攻撃を諦め、全力で逃げる姿勢に移った。
攻撃ができないのなら、逃げる他ない。
「待って!」
彼女に背を向け、今に駆け出そうとした時に、後ろから静止の言葉が投げられた。
その言葉が足に絡まり、地に根を張ってしまう。
私をこの場に縛り付けた少女は、ゆっくりとこちらへと近づいて来る。
私は見えない根っこを強引に引きちぎり、少女と距離を取ろうとすた。
が、彼女は既に真後ろまで来ていた。
「私から逃げようとしたのね?」
「そんな、こと……」
はいそうですと言う訳にもいかず、私は曖昧な返事をした。
「いいわよ」
「……え?」
「逃げてもいいわよ」
少女はそう言うと、私の正面に回り込んできた。
「でもその前に、私の遊びに付き合ってもらうけどね」
「……遊び……?」
「鬼ごっこって知ってる? 誰かが鬼とかいうのになって、他のひとが逃げるの」
「……」
「あなたが私から逃げ切れたら、そのまま見逃してあげる」
「…に、……逃げきれなかったら……」
「そうね……じゃあ、こういうのはどうかしら? あなたが鬼に捕まったら……足を一本、もがれるの。あなたが二度と逃げられないように…ね」
「そんなのって……」
あまりに横暴な話に言葉を失ってしまう。
彼女は遊びだと言っていたが、負けて足をもがれるなんて、そんな遊びがあってたまるか。
「嫌ならしなくてもいいのよ? 私はあなたとずーっと一緒にいられれば、それで満足なんだから」
彼女はそう言って楽しそうに笑う。
いつかは殺して食べるつもりのくせに、よくもそんなことが言えたものだ。
いつ来るかも分からない最後の日に怯えながら生きていくなんて、私は真っ平御免だ。
……どうやら、彼女と遊ぶ以外の選択肢は無いらしい。
「わかりました。……その条件で構いません」
「ぅ……じゃあ、私が…今から十秒数えるから、その間に逃げてね」
彼女はそれだけ言うと、十秒を数え始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やつはもう十秒を数え終えただろうか……?
ただの十秒だったら、だいたいわかる。
だが、彼女にとっての一秒は私の知る一秒とは違った。
彼女が数え始めて直ぐに走り出したので、あまり聞こえなかったが、あの数え方は明らかにズレていた。
いーーーち。
にーーーーぃ。
こんな感じだったと思う。
一秒を数えるのに三秒はかかっていたような気がする。
彼女の数える一秒は、どういう訳か……長いのだ。
だからこそ私は、これだけの距離を離すことができたのだが……。
ここはあまり深く考えずに、猶予が伸びたことを喜ぶべきだろうか?
……もし、アレを意図的にやっていたとしたら……そこにはどんな意味があるのだろうか……?
さっきからずっと何かが引っかかっているが、この得体の知れない不安感の正体がわからない。
本当は考えたくなんかない。
でも、これは知っておかなくてはいけないことのような気がする。
私は立ち止まることなく考え続けた。
考え続けて、そして……気づいた。
重要なことを聞いていないことに今更気づいた。
いつまで逃げればいいのか、その説明がされていないではないか。
相手は私を捕まえれば遊びは終わる。
でも私が無事にこの遊びを終わる方法が思いつかない。
今の今までそんなことにも気が付かないなんて……。
この遊びのルールをちゃんと理解していなかった時点で、私の負けは最初から決まっていたようなものだ。
……そもそも、こんな遊びに付き合うべきではなかったのだ。
全てを悟った今ならわかる。
やつがあんなにもゆっくりと十秒を数えたのは、最初から私を逃がすつもりなどなかったからだ。
やつにとっては、文字通りただの遊び。
私を殺す前の暇つぶしだったんだ。
……やめよう。
今更そんなことがわかったからって、私のすべきことは変わらない。
今は一歩でも遠く、逃げるんだ。
私はただ、走る。
足元だけを見て走る。
ちゃんと前を見て走らないと危ないことぐらい分かっている。
でも……今の私はもう、前を向いて走ることなんてできそうにないから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もうどれだけ走ったのだろう。
全身にかなりの疲労感を感じる。
私の体はもうとっくに限界をむかえていて、歩いているのか走っているのか分からないほどの速度で……やっぱり歩いていた。
私は全身の疲労に耐えきれずにその場にしゃがみ込んだ。
身体中から汗が流れている。
そのうちのひとつ、頬を伝う汗が今、落ちた。
私はぼーっと、それを眺めていた。
滴が水たまりに落ちて、消えた。
すると突然、足元がぱっと明るくなった。
視界の急な変化に驚き、思わず顔を上げた。
辺りを見渡すとそこは、開けた場所。
私は知らないうちに、薄暗い森をぬけていたようだった。
そして私はその景色を見てまもなく絶望した。
森をぬけた先には何も無かった。
地面すらも。
そこは崖だった。
崖の下を覗き込むと、そこには大きな大きな水たまりがある。
底が見えないほどに深い水の城。ここに落ちたら間違いなく助からないことは考えるまでもなかった。
これ以上進むことはできない。
そうと分かれば引き返す他ないのだが、今引き返したら追跡者と鉢合わせしてしまう可能性が高い。
だからといって、大人しく捕まる訳にはいかない。
危険が当たり前のように徘徊しているこの世界で、片足を失うこと。
それは死と同義だ。
私は崖に背を向け、ナイフを強く握りしめた。
戦うつもりはない。
彼女はセルリアンのように言葉の通じない相手ではないから、脅しに使えればそれで十分。
こんな追い詰められた状態での脅しが意味を持つのかは分からないが、今の自分にできることはこれくらいしかない。
私が決意すると、それが揺るぐほどの間隙もなくやつが姿を現した。
彼女は相変わらず気味の悪い笑みを浮かべていたが、こちらの明確な敵対の意思に気がつくと、直ぐに表情を曇らせた。
「あなた……それ……」
相手に動揺の色が見えた。
私はこの隙を見逃さない。
「ここで足を失うくらいなら、私は全生命をかけてでも抵抗します。…私が死ぬ気で戦ったら、あなたも無傷ではいられないはずです」
「あれは…ほんの冗談よ。……非力な私に、あなたの足…を、どうこうできるわけないわ」
「……非力…あなたが? それこそ冗談じゃないですか…?」
「……ねぇ、あなたのそれも…冗談、なんでしょ……? それ、あんまり面白くないわよ?」
「冗談なんかじゃありません」
「あ、あんまりしつこいと怒るよ…?」
「それはこわいですね。きっと私なんかは、すぐに殺されちゃいますね」
「そんなこと……」
私の言葉を聞き、言い淀む少女。
彼女の興味は、いつしか私から私の言葉へと移っていた。
どうやら脅しの効果はあったようだ。
それなら、と私は更にお粗末な脅し文句を続けようとしたが、少女が次にが放った一言に全て飲み込まれてしまった。
「そこから……動かないでね」
そう言うと、彼女は伏し目がちににこちらへ向かってくる。
「こ、これ以上近づいたら、宣戦布告とみなします……!」
私は威勢のいいことを言ってはいたが、ナイフを持つこの手は震えていた。
……もしかしたら、声も震えていたかもしれない。
「私は……本気です。」
最後に付け足すように言った言葉が、無意味な威嚇を更に安っぽいものへと変える。
私はそれからも、思いつく限りの脅しを口にした。
途中、ただの悪口や、目を背けたくなるような酷いことも言ったかもしれない。
それだけ必死だった。
でも彼女にはそれら全てが、脅しではなく、ただの命乞いにしか聞こえなかったことだろう。
私の脅し、もとい命乞いを全て無視し、ついに彼女が止まることはなかった。
私のすぐ目の前まで歩んできた彼女は、こちらへ真っ直ぐと両手を伸ばす。
そして、凶器を持つ手にそれを重ねた。
その手からは、ナイフをどうにかしようという意思は感じられない。
子どもを諭すように、そっと優しく包み込む。
そして言った。
「つかまーえたっ。……行こ、ここは危ないわ。」
私は、その言葉に逆らうことが出来なかった。
頭が真っ白になり、彼女の言葉の意味がうまく理解できない。
結局私は、手を引かれるまま断崖を後にしたのだった。
私の手を引きどこかへ向かう途中、彼女はずっと何かを言っていたが、その内容は思い出せない。
ただ、ずいぶんと楽しそうな声だな、と思ったことだけを覚えている。
「約束……だからね」
「……ぇ…?」
「これで私たちは、ずっと一緒ね」
兵士ちゃんはセルリアンともそれ以外の敵ともある程度戦った経験があってそれ故にその冗談をすぐには信じられなかったんだろうというのと、相手の白い子は本当に遊びで兵士ちゃんと鬼ごっこをして捕まえた後も前々から友達だったかのように優しくて兵士ちゃんは安らいでいるなと思いました。
オリフレスレとかあまり覗けてないので既に出ているかも知れませんが、この話を読んで白い子がどんなフレンズか見ていきたいと思います。
一応は二人ともオリフレスレに上げたことがありますけど、見た目も性格も微妙に違うので、あっちは全然気にしなくてもOKです。
どんな事を書いたかあんまり覚えてませんが、この先の展開のネタバレとかがあったりするかもしれないので完結するまでは見つけてもスルーして頂けるとありがたいです。
ちょっとからかっただけで本当はいい子なのかな
現時点ではどちらともわからないが・・・
どうでしょうね〜
こればっかりは続きを読まないと分かりませんね〜