私は思い出していた。昨日の、血の匂いを纏った恐ろしい少女との出会いを。そして、彼女が去り際に残した一言を。
"またね"
彼女は言った。「またね」と。再開の約束を口にした。……それはつまり、私の前に再び彼女が現れるのは、彼女自身によって決められたことであって…………。
背筋に冷たいものが走る。
今この瞬間も、やつは私のことを探してこの辺りを徘徊しているかもしれないのだ。
ピチャン……
その時遠くから微かに足音が聞こえた。……気がした。
私は目を閉じて耳を澄ませた。
ピチャン…ピチャン……
気の所為ではない。確かに聞こえた。何者かの足音が。
そしてその音は次第にハッキリと聞き取れるようになってきている。
「っ!」
私は咄嗟に木陰に隠れた。
ピチャン、チャプン、ポチャン……
ピチャン、ピチャン……
荒くなりそうな呼吸を必死に抑える。
足音は私の存在を知ってか知らずか、僅かな迷いも持たず、容赦なくこちらへと向かってくる。
姿が見えず、迫って来る足音だけが聞こえるというのは、とても恐ろしい。
ちらりと顔を覗かせて足音の正体を確かめることも出来たが、そうする事によってこちらの位置がバレるかもしれないというリスクを冒してまですることではないと思う。
結局私は、その場で息を殺し、足音が過ぎ去るのを待つことにした。
ピチャン…パシャン…ピチャン……
ピチャン…ピチャン…ピシャン……
足音がすぐそばを通る。私と足音の近さは距離にして僅か1メートルほどだ。
……今日に限って、私の気配を消してくれる雨音が……ない。
つまり、私が物音ひとつ立てようものなら、即座に居場所がバレてしまうことになる。
足音の主は特別大袈裟に音を立てて歩いている訳では無い。
それにもかかわらず、こんなにも存在感を持って私の耳を刺激してくる。
相手も私と同じ、もしくはそれ以上の聴覚を持っているならば、こちらが立てた物音に気づかないはずがないのだ。
私は目をギュッと閉じ、ただ足音が遠ざかるのを待った。
………………。
……心臓がバクバクとうるさい。
これ以上強く拍動してしまったら、その音を聞かれてしまうなんてことも実際に起こりうるだろう。
私は動悸が激しくならないようにと、心を無理矢理に落ち着ける。
この時ばかりは心臓が止まってもいいと思った。
…………………………
どれだけの時間が過ぎただろう。もしかすると、ほんの数秒のことだったのかもしれない。
……いや、間違いなくそうだと言える。
私がまだ息を止めていられることがその証明だ。
私は10秒も息を止めて居られない。
だから必然的に、これは数秒の出来事ということになる。
緊張した私の頭が、実際の時間を何倍にも引き伸ばして見せているに違いない。
……だから、……何もおかしなことなんて、ない。
たとえ遠ざかる足音が、……聞こえなくとも。
おかしいことなんてなにもないんだ。
恐怖でどうにかなってしまいそうな自我を必死な言い訳でなだめる。
ピチャン…ピチャン…パシャッ。
酸欠で意識を手放してしまいそうと言う時に、足音が聞こえた。遠ざかっていく足音が。
ずっと待ち望んでいた音ということもあってか、とてもはっきりと聞こえた。うるさいくらいに。
ぷはっ
もう自分の意思で息を止めていられる限界だったようだ。
すぅー
私は静かに息を吸った。
そこでようやくまともな思考能力を取り戻せた。
……取り戻してしまった、というほうが正しいかもしれない。
たった今恐怖から解放されたばかりの私を、さらなる恐怖へと突き落とすであろう違和感に、気づくことになってしまったのだから……。
違和感の正体。
やけにはっきりと聞こえた遠ざかる足音。
それだけなら敏感になった聴覚が過敏に反応したと言うだけのことで説明がつく。
だが奇妙なのはその後だ。
遠ざかっていく足音が、一瞬で途絶えたのだ。ほんの、二三歩で。
たったの二三歩じゃ、1メートルほどしか歩けないはず……。
"1メートル"という言葉が頭に浮かんだ瞬間、最悪な想像が頭をよぎった。
1メートル。……足音の主と、私との距離がちょうどそのくらい"だった"。
そこを1メートルいどうしたというのだから……。
酸欠で頭に十分な酸素が行き渡ってなかったが故の、致命的な勘違い。
足音は遠ざかってなんかなかった。
それどころか今、……私のすぐ側で、冷や汗を額にうかべる間抜けな少女を見下ろしているに違いないんだ。
今の私に出来るのはもう、私が隠れるべきだと判断した対象が、白と黒だけで構成されたひらひらを纏っていないことをただ祈ることだけだった。
私は全てが悪い想像であることを願いつつ、ゆっくりと目を開け……。
「何を……してるの?」
突然、冷たい声が降ってきた。
足音の主は、私が決心して目を開けるのを待ってはくれなかった。
……私の嫌な想像は、……全て当たっていたようだった。
恐る恐る目を開けると、凍てつくような視線。
その目は私のよく知るものであった。
今すぐ立ち上がって逃げないと……!
しかし体がすくんでしまって、動けない。
……声も、出ない。
そんな私の姿を見てどう思ったのか、やつはこう言葉を続けた。
「大丈夫? 」
2話まで拝読しました
サイレントホラー的緊迫感があるのに、声の主のかける言葉は優しいものばかりで、主人公が精神的に追いつめられているのが伝わってきます
兵士ちゃん(主人公のことです)の覚悟が自身を苦しめてしまっているのではないかと心配になりますが、今後の展開を見続けていきたくなりました
続きも楽しみです!
ご感想ありがとうございます
ちゃんと書けているか不安だったので、とても嬉しいです
主人公の名前が出るのはもう少し先になると思いますが、
それまではそのまま兵士ちゃんでお願いします。
(兵士ちゃんって呼び方かわいい)
最後に
返信遅れて本当にすみません
こわいこわいこわい!
迫ってくるスリルの演出が上手でとても参考になります
怖がっていただけたようで何よりです
あの挿絵も読んだ人怖がらせたろって思ってこさえたので
ただ、挿絵が最初から見えてしまっているのがちょっと残念ですね……