3月28日
きょうはかんがえごとをしていたでござる。
だれかを好きになること、というのをかんがえていたでござる。
もちろん、せっしゃはヘラジカさまやみんなのことはだいすきでござる。
でも、その好きというかんじょうは あるフレンズにとっては『ちがう』ことらしいでござる。
せっしゃはみんなをしんらいできる仲、そしてせっしゃと同族でなくてもなかまどうぜんだと思っているのが好きというかんじょうだとおもっているのでござる。
でも、かちかんの『ちがい』で好きと言われるとたいへんなことにもなるフレンズがいるらしいのでござる。
そうやってなやんでいると、せっしゃの天敵(?)のタイリクオオカミさんがあらわれたでござる。
タイリクオオカミさんはニガテなひとだけど、おもしろいマンガをかけるひととしてそんけいしてるから"さん"をつけているのでござる。
せっしゃはさいしょ、にげようとしたでござるが、マンガをかいているタイリクオオカミさんなら好きというかんじょうの『ちがい』についておしえてもらえると思い、勇気をだしてしつもんしたでござる。
タイリクオオカミさんは
「好きというものはフツウなものと『ちがう』ものがあるんだ。
よくある好き、というかんじょうはそのたいしょうをしたしいもの、せいりてきにこのみやすいもの、がフツウの好きだと私は思っているよ。 だが、『ちがう』ものはそれをうわまわり、トクベツな思いをもつことになる。
いつもそのたいしょうをおもったり、 いっしょにいたいとおもうことがとくちょうのひとつにある。
だけども、これだけではまだわからないね。 ほんとうに『ちがう』ものはそれにムネのおくにくるものがあったりする。
そのたいしょうがいるだけでしんぞうのこどうが早くなってドウキを起こしたりするひともいる。
そんなのが『ちがう』すき なんじゃないかな? 病と言うものもいるが私はそのかんじょうはすばらしいものだと思うね。」
あまりよくわからないものがあったでござるが、好きのかんじょうが『ちがう』くなると、フツウとちがった思いをもつことになるということがわかったでござる。
すると、タイリクオオカミさんはなにか思いだしたらしく、こう言ったでござる。
「その『ちがう』すきは、こんなふうにも言うらしい。『こい』だってさ。」
好きとこいのくべつがついたところで、せっしゃはこう思ったでござる。
こいをするのは もしかするとかくごしなければならないものだと思ったでござる。
ぱんかめちゃんが大人の階段の存在を知ってしまった・・・
それはそれとして「せっしゃはさいしょ、にげようとしたでござるが」で噴いたwそこまで苦手なんかい(ぺしっ
久しぶりの日記更新ですねー