ペナトピ・Deracine版

雑記帳 / 164

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晩御飯 2023/07/04 (火) 14:26:31

野球との関わり(小学3年)

少年野球チーム(軟式)に入団。
いきなり背番号「32」をもらって、めちゃめちゃ嬉しかったのを覚えてる。

3~6年生の各学年に10人程度しか所属してないチームだったので、
6年、1~10番
5年、11~20番
4年、21~30番
3年、31~40番
といった具合に割り振られていた記憶がある。

最初の頃こそ「いつか上級生になったら、かっこいい背番号ひと桁をつけたい」と思っていた。
当時は「1」「3」「7」あたりが人気の番号だったような気がする。

でも「32」を背負ってるうちに、段々と「むしろ大きい番号のほうがイケてる」と感じるようになっていった。
おそらくこれは、掛布の影響かとw

正規のチームに入ったのと同時に、クラスメートだけの草野球チームが自然発生的に結成された。
というのも、3年に進級したタイミングで、学区付近にあった4つの少年野球のチームに数名ずつが加入。
クラスの男子の約半数が、4つのチームいずれかに入ったことで、
野球が完全に「遊びの王道」の地位を占めることになり、それは飽きることなく小学校を卒業するまで続いた。

平日の放課後は誰かが場所取りに走りグラウンド、
または子供が野球をするのにちょうどいいサイズの広場をキープ。
昼休みの間に他のクラスのリーダーと交渉し、「今日は3組と対戦だ」「今日は5組とだ」と、
雨が降らない限り、ほぼ毎日のように日が暮れるまで野球をしていた。

小学3年と言えども、今にして思えば結構ちゃんと野球をしていたように思う。
道具は3年前に高校野球でも解禁になった金属バットやら、
ファーストミット、左利き用グローブ、キャッチャーミットにキャッチャーマスクまで、
みんなで持ち寄れば何でも揃った。

もちろん正規のチームに入ってる子ばかりではない。
野球がやりたければ誰でも歓迎。
決して運動が得意とは言えないような子も参加してた。
みんな野球が大好きだった。

正規のチームに入ってたり、その中でも特に上手な子ばかりが出しゃばるような事もなかった。
守備位置に関しては、さすがに適材適所に配置せざるを得なかったが、
少なくとも打つほうに関しては、みんなに平等に出場機会を設けた。
一番ヘタクソだった奴がヒットでも打とうものなら、全員で飛び跳ねて歓んだ。

いま振り返ってみると、あの小学3年の放課後の野球が一番楽しかったように思う。

週末になると一転、それぞれ所属の野球チームで基礎的な練習、または先輩たちの試合の応援。
まだ小3にて公式試合に出るようなことはなく、これといった思い出はない。

クラスでは主にファーストを守っていたけど、
正規のチームではまだ決まったポジションは指定されていなかったように思う。
日曜は早朝6時から練習。僕はそこでいったい何してたんやろ・・。球拾いかな?w
それでも休むことなく通った。とにかく野球が大好きだった。

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