(ひとまず前半部分まで)
26:10 筆記具の話
Tak.: 体調が悪いといつも気に入っているものが使えなくなったりとか。
これはありますね…。字の上手い下手も日々違ってしまう。自分の状態に合わせて色々選択肢を持っておくのは大事ですよね。
最近のマイブームは極細水性ペン(プロッキーなどの細い側)。さらさら書けるのが良い。筆圧をかけて書きたい期と筆圧無しで書きたい期が時々入れ替わる感じがある。 あと「あかあおえんぴつ」を使っている。教育現場で使われているだけあって、今更ながらなかなかの優れものだなと思う。
21:07 デジタルツールだと縦のリスト系表示が多いよねという話
倉下: でもやっぱりこうテーブル表記というか、横を使うことの意味ってね、僕結構高いと思うんですね。(中略)表形式の表現っていうものの価値はやっぱりちょっとね、僕は再検討した方がいいなと思いますね。
本当にそうなんですよね。ずーーーーっと思っている。MicrosoftのOfficeアプリケーションはやっぱりその点優秀で、横長の「面」で考えたい時は本来の用途を無視してでもOffice系ソフトを使ってあれこれやりたくなる。
18:30 ロータスオーガナイザーについて(システム手帳の画面をそのまま再現したアプリケーション)
Tak.: 僕ね、ちょっと反省したのは、その当時すごい僕それを馬鹿にしてたんですよ。(中略)アナログをある部分までシミュレートするってことはやっぱり決して意味のないことじゃないっていうのは最近すごく強く感じていることで、やっぱりアナログっぽい見た目をしているから馬鹿にするっていうのはすごく浅はかな考えだったということを、のらてつさんのあれを見て改めて思いましたね。
ロータスオーガナイザー、非常に興味深いですね。 多分今新登場したなら「逆にいいよね、実際使えるのって結局こういうのだよね」と思うけれど、やっぱり当時見ていたらTak.さんと同じように感じたと思う。 アナログ回帰はデジタルを追究して限界を悟ってからのことだからこそ成り立つのだろう。デジタルの可能性を知るにはやはりアナログのメタファーから完全に離れてみる必要がある。で、自分の中でデジタル神話を崩壊させてからアナログの道具を見てみるとそこで初めて感動を覚えるということがあるんでしょうね。
16:03 Noratetsu Lab: デジタルなノートを作った ツールを取り上げていただきありがとうございます!
倉下: 人間、集中したい時はもちろんワンノート(1画面)がいいんですけれども、何か考え事とか作業する時って複数の情報を並列で並べることも普通に必要なので、
デジタルツールでいつも気になっていたのがこの問題で、やっぱり何かする時は「参照する」ことが必要なので二つの画面を扱えるようであってほしい。 でもなぜか大抵のアプリケーションがそのようにはなっていない。技術的にそんなに難しいこととは思えないけれど、なぜかそのようになっていない。スマホは仕方ないとしても(それでも上下半分ずつの2画面はあり得ると思う)、パソコン画面なんて明らかに横長なのだから左右に2画面にして作業するのは普通の発想なんじゃないかと思う。 ちなみに今WebブラウザはEdgeを使っていますが、Edgeは左右の画面分割が簡単にできるようになっていて作業効率が非常に高まりました。2窓より自然なのでやりやすい。
第百四十四回:Tak.さんと2023年の振り返りと2024年の目標について - 知的生産の技術 第百四十四回:Tak.さんと2023年の振り返りと2024年の目標について - うちあわせCast - LISTEN
いや、「老化」はあんまり適当ではないかもしれない。「古びる」必要は感じる。
面白かったです😃
1:36:18
倉下:この一元管理という言葉のマジックというか、勘違いしやすいところなんですけど、すべてを一つの場所に入れたら駄目なんですね。
うんうん。 以前は本当、全てのものを一箇所に集約できたら最強だとか思ってましたが(Evernoteのせいだと思う)、なんか最近は全然そんな感じじゃなくなりました。 日記なら日記は一箇所に集約したいけど、日記と日記じゃないものが一緒にあってほしいとは今は全然思わない。でも前はそう思ってたんですよね。
1:33:42
るう:倉下さんよくツイッターとかにカードに書いたメモなのか、手書きのメモとかをよく上げられてるじゃないですか。ああいうのはどうしてるんですか。 倉下:写真に撮ってScrapbox。
あー、そうか。なるほど。
1:31:13 Microsoftは偉い、のくだり
Microsoftは本当に偉い。
1:01:47
るう:(自分自身への宣言について)なんか自分は多分そういうふうに書いてあっても、「またまたぁ(笑)」とかっていう、ちょっと他人ぽく思っちゃうっていうか。
そう~~~なんですよね~~~~~。私も宣言系はうまくいったためしがないですね。どんどん虚しくなっていく。
でも、この後にあった「作業記録を公開している」という話を踏まえると、まあ確かにブログにやるって書いちゃったらやるよなというのはあるので、やっぱりたとえ「自分に言い聞かせる」ということ自体の効力が薄くても、見えるところに書いちゃうと「なんとなくやらないままになる」というのを防ぐ効果はいくらかあるなと思いました。
あーでも、私は自分を二つに分けて本当に会話するように自己対話するということを時々やるんですが、そこで自分Aと自分Bの間で「じゃあこうしようと思う」「それがいいと思う」と納得したようなことは(本当にこういう台詞で書きます)、普通にやれている感じがあります。何らかの理由で実現できなかったとしても、「言葉が空虚になった」ということはなくて、実現に向けて真剣に再考するところからスタートできる。明確に対話形式にするというのが私には有効のようです。 多分それはこの後Tak.さんが語られていた「欲望と現実を接続する」ということに繋がっているんだと思います。
55:36
Tak.:だから逆に言えば、その裁量の範囲があまりにも広い場合は、いわゆるタスク管理っていう、「管理」っていう考え方があまり向かないんじゃないかとは思いますね。やっぱりタスク「管理」ってね、自分の外からタスクが降りかかってくるものをどう扱うかっていうイメージなんですよね。
なるほど。ベルトコンベアで流れてくるものを、流れている間に如何に捌くかみたいな感じですよね。捌けないと働く権利を失うから頑張って捌く。 でも自分に裁量があるというのはベルトコンベアじゃなくてまな板が目の前にどんとあるみたいな感じで、同じ「捌く」でも「捌く」の意味が違うというか。
51:28
Tak.:僕ね、掃除をするっていうのをリピートにしたらダメでしたね。月曜日の朝には必ずトイレ掃除をするみたいなことをやり始めるとダメなんですよ。 (略) で、しなくてもいいじゃないですか。別に月曜の朝にしなくてもいいわけですよ。しなくてもいいということは、自分の選択に任されているはずなんですけど、それを「やる」って出てくるとすごく嫌になるんですよね。
わ、わかる~~~。こういう頻度で掃除したらいいだろうなと思ってセットすると本当駄目ですね。 掃除は自分の中でやりたさの波が上がった時に勢いでやるべきだと思い直し、もう全く「予定」としては立てなくなりました。放っておくとやらないだろうという自分への信用のなさによって、予め思い出させてやろうとセットしたりするわけですけど、自分を信じて、そろそろやるかと腰を上げるタイミングが必ず来るはずだからと思うようにしました(実際適当なタイミングで掃除をやっている)。
33:17
Tak.:(先々までデイリーの欄を用意してしまうと)スケジュール代わりに使っちゃうんですよね、それやると。カレンダー代わりになっちゃうんですけど、それはすごい危険なので、カレンダーでないものをカレンダー代わりに使うのはものすごい危険なのでやめました。カレンダーはカレンダーに書くべきだろうと。
あ~そうそう、スケジュール的なものを書き始めるとまずいのとてもわかります。結局全貌の把握に貢献しないというか。 「危険」という表現が面白いと感じましたが、確かに「危険」なんですよね。事故が起こる。
30:29
倉下:12月分のノートを作っていって、それを例えば更新日順とかにしてしまうと、ホーム感という居場所感っていうのがやっぱりなくなってきますし。
そう、更新日順っていうのが曲者なんですよね…。カード的に書き溜めている情報なら、色々と順番を変えて見るのが刺激になったり取り出しやすさに貢献したりとメリットが多いですが、そうふらふらされると困る情報というのがあって、それはちゃんと「留める」ように考えて場所を選ばないといけないですよね。
29:40
るう:(デジタルで)うまくいかなかったのが、1月から12月までっていうノートを作って、それぞれにそっち行って書く、こっち行って書くとか、4月になったら4月のノートに行って書くとか。そういうことを何て言うかな、昔の紙だったらみんな当たり前じゃないですか、手帳で動いていく。
そうなんですよね。そのうまくいかなさ本当によくわかります。 やっぱり手帳というのは無限に広がっているわけではなくて「1冊」というコンパクトな世界だからいいんですよね。 デジタルはどこからどこまでが1冊とかなくて、無限に広がってしまう。仮にここからここまでを1冊と解釈するということを試みたとしても、やっぱり物としてあるのとは全く違っていて、身体的にそれを1冊と認識できないから紙の手帳のようにはうまくいかない感じがしますね。
28:25
倉下:自分がどこにいるのかが分かる、分からなくなるっていうのは、情報ツール使っている上でも結構重要なんですけど、だから情報が増えたり残ったりすると、そういう感覚そのものが狂ってくる。
そうそう、以前(二年半くらい前まで)アウトライナーがうまく使えなかったのも、根っこ状に広がっていくその先に情報を置きに行かなきゃいけないしそこから取ってこなきゃいけないみたいな感じになってきて、どこに何があるかわからないし今どこにいるかもわからないという感覚になってしまったからなんですよね。 だから肥大化し続けるアウトラインは作っちゃいけないなと。特にインデントが深くなる方向に肥大化すると大変になる。
27:23
Tak.:(Workflowyについて)あれはやっぱりね、安易なデジタル化だと、例えば今フォーカスしているところを中心に表示するようにだんだんずらしていくみたいなことをやっちゃってもおかしくなかったんですよね。でもそれをやらないからある種のアナログ感が残っているというか。
なるほど。ちょっと面白そうと思ってしまったけど、多分感覚としては上にも下にも無限に続く螺旋階段の中で今どの辺にいるか全然わからないというような感じになってしまって駄目でしょうね。 RPGのダンジョンでもそういう構造は迷うし、ダンジョンで迷うならアウトライナーでも迷うと思う(謎理論)。
24:59
倉下:2年前の手帳を見たら、もう紙が色褪せてるし、ペンも滲んでるから、やっぱり古い情報という感覚が生まれるわけですよね。 でもデジタルツールの場合ってそういう劣化がないから、ありありと今、これはお前のやることだぞというメッセージ性を持ってしまうのは、いいこともあるでしょうけど、人間という有限的な存在から考えると、デメリットも多いかなというようなことがありましたね。
そう、物質的な劣化って大事ですよね。劣化というか「老化」と言ったほうがいいかもしれない。情報も老いなくてはいけないのだと思う。
11:55 倉下さんのタスク管理
プログラムがバリバリ活躍していてすごい。 ファイルを日付単位で作るとそこに取り残されたもののサルベージがほぼ無理になってしまうと感じるので、そうやって簡単に掬い取る仕組みがあると「デイリー単位でやる」ということの感触がだいぶ変わってきますね。
6:21 Obsidian及びMarkdownとの距離感の話
以前Obsidianの記事をnoteに書いたりしていましたが…。 Obsidianで人生が変わる(予定)|のらてつ 今は結局使っていないですね。ただこれに関してはObsidianとの相性がどうこうではなく、自分の環境だとなんでか重くなってしまって動作の面でストレスになってしまったのが最大の要因でした。 (どうでもいいけど今この記事を読み返すと自分のテンションが気持ち悪くてなんか無理という感じがする。noteは本当に無理をしていた。)
プログラミングの勉強を始める前と後でmdファイルに対する距離感は全く違っていて、JavaScriptと仲良くなってからは基本的にjsonで全てを完結させたいので個別にmdファイルを作るということはもう全然なくなりました。 でも見た目を作るのがやりやすいので、本文に当たる部分はMarkdownで書いています。jsonの中にMarkdown書式のテキストが入っている状態。なので書式としては常にMarkdownを使って書いてはいますね。まあそんなにゴリゴリに駆使しているわけではないですけども。
るうさんの記事についてのメモ・所感
ノートは『今日のこと』『明日以降のこと』『やったこと』の3枚を柱にVivaldiで縦3列にタイリング配置してあります。
Vivaldiも触ったことがあるしScrapboxも使っていますが、Vivaldi×Scrapboxという掛け合わせは考えなかったのでなるほどと思いました。Scrapboxの欠点がスッキリ解消されますね。
仕事の大半が通年のルーティン行事の繰り返しなのに、何故かスケジューラーやタスク管理ソフトの年次送り機能ではうまくいかなかったのです。おそらく細かく日にちを指定しないと先送り出来ない事と個々のタスクを週単位、年単位で俯瞰しにくいせいだと思います。
これは本当にそうなんですよね。年内のアポイントメントならいいですが、未来の予定ってそんなピンポイントじゃないことの方が多いというか、「時期」で考えていることの方が多いしその方が感覚的にナチュラルですよね。
第百三十七回:Tak.さんとるうさんとメモやタスク管理とその道具についての四方山話 - LISTEN 第百三十七回:Tak.さんとるうさんとメモやタスク管理とその道具についての四方山話 - 知的生産の技術
そもそもとかそうは言ってもとかいうのは、そこに「見逃されていること」が含まれている場合であってこそ人の目を覚まさせる効果が出るのであって、ただわかりきったことを言われても「で?じゃあこの現状はどうするの?」以外に返せる言葉はない。
バランスを取ろう的な意図によって議論を後退させると、多分相手は相当頭に来るのではないか。んなことはわかっとるんじゃと思われるだろう。バランスを取るなら議論をバランスが取れる方向に「前進」させることを試みた方がいい。
面白かったです!
1:29:30
Tak.:(コウさんは)やっぱり書けてるんですよね。ただその、実際に人が見て書けてるって思うことと書き手が自分は書けてるって思うことってやっぱ違うんですよね。だからそこのせめぎ合いをどう解決するのかって結構書く人にとって重要なことなんだなと思いますね。 人の文章だからこんなことが言えるけれども自分のに関してはそう思えないんですよね。 倉下:あっはっはっはっは(笑) (中略) 倉下:他人がいるから言えることっていうのがあって自分のことを棚にあげてはいけないっていうのでは多分何も教訓的なものって生み出せないと思うので。お互いに棚にあげてお互いのことをアドバイスし合うというのは大変良いことではないかなと個人的には思いますね。
お互いに棚に上げてアドバイスし合うというのは本当に重要というか、倉下さんが仰る通り「大変良いこと」だなと思いますね! やっぱり批判的な目を向け合うみたいなのは辛くて、「お互い棚に上げる」ことが許される、つまり「仲間」的な間柄でお互いに言及し合うのは大事だと思います。(not「容赦なく言う」)
1:27:53
倉下:でもやっぱりモチベーションは上がるけどプレッシャーは上がらないなんていう楽園は多分なくて(笑)、上がっていくものなので仕方がないですね。
厳しい現実…笑
1:23:02
Tak.:ブログはそんなにこなれさせようとしない、かなりぎこちない状態をむしろ前に出してたりすることがあって。そのぎこちなさのことを時々褒めてくださる方がいるというか、例えばそのコウさんがどこかで独特の空気感と言っていただいていることもあるんだけど、それってぎこちなさのことかもしれないんですよね。
倉下:そうですね。だから流れ派で言うと、流れてなければダメだし、文章を書くときは流れで想定しているから、飛躍のあるような繋がりを見ると「とても自分はこんなん書けない」っていう感じがするんですね。流れ派からすると。なんかすごい技法が後ろに働いているように見えるわけですよ。
そうそうそう。まさに「なんかすごい技法が後ろに働いているように見える」んですよね。 この件について前に書いた記事→Noratetsu Lab: 飛躍を作るということ、飛躍を作れないということ
1:11:01
Tak.:削除する勇気がないから未使用に落とすと思ってたけど、未使用に落とす勇気がないときはどうしたらいいんだろう。 (中略) 鞘戸:私が結局、文章を動かすということに慣れていないために、未使用に落としてしまったらもう出番がないみたいな感じになっちゃうんです。
これ、もし「未使用」が視覚的に下ではなく上とか横にあったらどうなんだろう? 「落とす」って言うともうそこから這い上がってくるのは大変な感は確かにあるんですよね。 私は「使うかもしれないもの」は上に、明らかな「没」(別の書き方で言い換えたのでもう要らなくなったもの、矛盾が発生してしまったので書けなくなったものなど)は下に置くことが多いです。
1:01:33
Tak.:思うのが、アウトライナーの中にメモの断片をどんどん蓄積していって、これをあれこれいじると文章ができたりするといいなって思うんですけど、できないじゃないですか大体それって。 メモの断片を蓄積するってそれカードでも同じことが起こると思うんですけど。むしろそのメモの断片というよりも書きかけの記事でそれをやったほうがおそらくうまくいく。 これはもう全然経験からしか言ってないんですけど、何でかわかんないんですけど、書きかけの記事っていうのはやっぱりどこかに向かいたいという、倉下さんの言い方で言うと矢印があるんですけどね。それが途中でブツッと切れてるんですけど、矢印があるから、それが指し示している方向にある何かを別の機会に書いたときにそれと接続しやすいとか。もしくはその同じ方向を向いている矢印を持った別のもの、同じ方向のものだから、接続というよりも並列しやすいとか、そういうことが起こるんですよね。 でも最初からこれはメモ、メモの断片と思って書いたものをいくら貯めてもそういうことってあんまり起こらないんですよね。だからむしろ何か書きかけの文章の方が何て言うんでしょうね。生産性が高いという言い方変ですけど。
これはわかる気がします。 なので、「一度Twitterに呟いたもの」は再利用しやすいんですよね。矢印ができているので。 で、再利用しやすいものをTwitterにどんどん放流できているからと、非公開のメモも充実するに違いないと思っていると、ところがどっこいうまくいかない。矢印の力が弱いのでしょう。
50:19
倉下:だから、ドライブする気持ちっていうことが多分一番大切で、というか、それが文章を書くことの意義だと思うので。文字を埋めることは多分文章を書くことの意義じゃないと思うので。 ドライブする気持ちと筆が乗る気持ちとのタイミング、リズムを合わせていって、文章が書けたらもうそれでハッピーで、時間が取れなかったら書けないのもしょうがないし、気分が乗らなかったら書けないのもしょうがないっていう、ものすごく諦めの話が多いですけど、この仕事をずっとやってきて感じるのは、人間というもののどうしようもなさですよね。コントロールできないものなので、その性質に合わせてぼちぼちやっていくしかない。
「ドライブする気持ちと筆が乗る気持ちとのタイミング、リズムを合わせていって」というのが重要なポイントだなと思いました。努力すべきところは、他の何でもなく、この「合わせていく」ことだということ。
48:27
倉下:時期によってメルマガの書き方って違うんですけど、1週間に5つの記事を載せていた時期は、1日1記事2000字くらいなので、1日に1記事書く2000字書くを1週間、月から金まで5日続ければ一応メルマガ1号本が出来上がるじゃないですか。 で、それぞれの記事は1回ずつ切れているわけですから、僕はそれを終わりまで書いてるわけですね、その1日ごとに。で、書き上げて完成するっていうパターン。で、たまに1号まるまる同じテーマの回とかがあるんですけど、あれは1日で書いてます。 3日に分けて3000字で1万字とかじゃなくて、1万字の記事書くときは朝から書いて夕方までで1万字に仕上げてる。だから結局連続性でないと書けないっていう感じがあって、いかにそれを担保するかっていうのを苦心してるという感じですね。
なるほどなるほど。まあやっぱりそうですよね、流れ派としては。だから村上春樹さんの書き方には信じられない気持ちになる。
42:38
倉下:慣れてない作業がきっとあって、文章を書く中でも書き換えるとか粒度を整えるとかっていうことは多分あんまりこれまでやられてこなかったと思うんですよ。なぜやらなかったかというと、書けちゃうからなんですね。初めからそれなりに形の整った文章が書き出せてしまうから、もうそれ以上手を加えるという、ある種のトレーニングをしなくても済んだ。
なるほど。
30:23
Tak.:例えばあの記事にコウさんが全面的に満足しているのかしていないのかわからないですけど、仮にしていなかったと、仮にしたときに、そうやってこのアウトラインの形で書いてしまったことを俯瞰したときに、自分はこういう流れでこういうことを書いたんだなと。 (中略) まずは文章を普通に書いてみて、その後で何を書いちゃったかを確認して、それで良ければもちろんそのままいけばいいし、良くなかったらどう良くないのか、それでどう直したらいいのかっていうのを考えやすくなるっていう、(アウトラインというのは)そういう装置なんじゃないかなという気がしてますね。
そういえば、自分が文章を書いた時には、自分なりに文章の出来を点検する尺度があるわけですが、自分が自分の文章に当てるべきその物差しがいかなるものかを考えるというのも必要なことかもしれないですね。 問題があるとかないとかいうのを判定する基準がないと、見直してもどこにもいけないので、「こういう文章は嫌だ」チェックリストみたいなものを持っておくとか。明文化しないとしてもイメージとして持っておくというか。
26:05 Tak.さんの課題(?)について
提案とか意見というわけでは全然ないんですが、なんとなく思ったのは、共著とか編集者の強力な導きというのはこういうところで威力を発揮するんだろうなと。 後半でも少し内容の強調についてのお話がありましたが、全く同じことを書いていても強調するポイントの強弱で読み手の頭の中での残り方が違うという難問に対して、それを的確に指摘する存在がいると本の印象というのは色々違ってくるのでしょうね。
24:02
倉下:そうですね。だからフリーライティング、その僕らが言ってるフリーライティングは、その「書けない」、そのコウさんのように書ける人でも「書けない瞬間」があると。で、そのときになぜ僕は書けないのかっていうところから始めましょうみたいな感じなんですね、要するに。
そうですよね。私も、(フリーライティングをやろうと思って頭から出しているというのではないですが、)フリーライティング的に自分の状態に焦点を当てるところからスタートする習慣ができたことで書きやすくなりました。 例えば「書けない」という状態の時に、いきなり「どうやったら書けるのか」に行くのではなく、「今の自分に於ける『書けない』とは何か」からスタートする。 私の場合はそれ自体を記事にする趣味があるのでそれが習慣づいた、ということになると思います。
23:00~ うちあわせCast133回を聞いて考えたこと - 思考遊戯の森について、これを文章にするのは難しい、という話
他人の目で見ると、各ページの項目に全部句点をつけて繋げればそのまま文章になるんじゃ?と思うわけですが、そういうことではないんですよね多分。
関連するようなしないようなですが、「アウトライン(らしきもの)は作ったが記事にならない」ことについて前にちょっと考えたことがあったなと思い出しました。 Noratetsu Lab: ブログの書き方ド下手問題⑦~考えが整ったのに記事にしにくいものたち~
21:40~ 手法に乗っかることで安定的に書けるんじゃないか、のくだり
一時期文章術の本を探し回っていたのですが、その時の私が求めていたのもまさにそれなんですよね。でも大抵の「文章術」は、そういうことではなく、文章の組み立てとか読者を説得する書き方を説明している。それはもちろん大事ですが、それはもう目的が定まっているステージの話で、読んでも読んでも結局ピンとこないという。 つまるところ核にある問題は「文章術」の問題ではないのだと思いますが、自分の気持ちとしては「文章が書けない」という表現にならざるを得ないので、「文章の書き方」を求めてしまうという。
(ひとまず前半部分まで)
26:10
筆記具の話
これはありますね…。字の上手い下手も日々違ってしまう。自分の状態に合わせて色々選択肢を持っておくのは大事ですよね。
最近のマイブームは極細水性ペン(プロッキーなどの細い側)。さらさら書けるのが良い。筆圧をかけて書きたい期と筆圧無しで書きたい期が時々入れ替わる感じがある。
あと「あかあおえんぴつ」を使っている。教育現場で使われているだけあって、今更ながらなかなかの優れものだなと思う。
21:07
デジタルツールだと縦のリスト系表示が多いよねという話
本当にそうなんですよね。ずーーーーっと思っている。MicrosoftのOfficeアプリケーションはやっぱりその点優秀で、横長の「面」で考えたい時は本来の用途を無視してでもOffice系ソフトを使ってあれこれやりたくなる。
18:30
ロータスオーガナイザーについて(システム手帳の画面をそのまま再現したアプリケーション)
ロータスオーガナイザー、非常に興味深いですね。
多分今新登場したなら「逆にいいよね、実際使えるのって結局こういうのだよね」と思うけれど、やっぱり当時見ていたらTak.さんと同じように感じたと思う。
アナログ回帰はデジタルを追究して限界を悟ってからのことだからこそ成り立つのだろう。デジタルの可能性を知るにはやはりアナログのメタファーから完全に離れてみる必要がある。で、自分の中でデジタル神話を崩壊させてからアナログの道具を見てみるとそこで初めて感動を覚えるということがあるんでしょうね。
16:03
Noratetsu Lab: デジタルなノートを作った
ツールを取り上げていただきありがとうございます!
デジタルツールでいつも気になっていたのがこの問題で、やっぱり何かする時は「参照する」ことが必要なので二つの画面を扱えるようであってほしい。
でもなぜか大抵のアプリケーションがそのようにはなっていない。技術的にそんなに難しいこととは思えないけれど、なぜかそのようになっていない。スマホは仕方ないとしても(それでも上下半分ずつの2画面はあり得ると思う)、パソコン画面なんて明らかに横長なのだから左右に2画面にして作業するのは普通の発想なんじゃないかと思う。
ちなみに今WebブラウザはEdgeを使っていますが、Edgeは左右の画面分割が簡単にできるようになっていて作業効率が非常に高まりました。2窓より自然なのでやりやすい。
第百四十四回:Tak.さんと2023年の振り返りと2024年の目標について - 知的生産の技術
第百四十四回:Tak.さんと2023年の振り返りと2024年の目標について - うちあわせCast - LISTEN
いや、「老化」はあんまり適当ではないかもしれない。「古びる」必要は感じる。
面白かったです😃
1:36:18
うんうん。
以前は本当、全てのものを一箇所に集約できたら最強だとか思ってましたが(Evernoteのせいだと思う)、なんか最近は全然そんな感じじゃなくなりました。
日記なら日記は一箇所に集約したいけど、日記と日記じゃないものが一緒にあってほしいとは今は全然思わない。でも前はそう思ってたんですよね。
1:33:42
あー、そうか。なるほど。
1:31:13 Microsoftは偉い、のくだり
Microsoftは本当に偉い。
1:01:47
そう~~~なんですよね~~~~~。私も宣言系はうまくいったためしがないですね。どんどん虚しくなっていく。
でも、この後にあった「作業記録を公開している」という話を踏まえると、まあ確かにブログにやるって書いちゃったらやるよなというのはあるので、やっぱりたとえ「自分に言い聞かせる」ということ自体の効力が薄くても、見えるところに書いちゃうと「なんとなくやらないままになる」というのを防ぐ効果はいくらかあるなと思いました。
あーでも、私は自分を二つに分けて本当に会話するように自己対話するということを時々やるんですが、そこで自分Aと自分Bの間で「じゃあこうしようと思う」「それがいいと思う」と納得したようなことは(本当にこういう台詞で書きます)、普通にやれている感じがあります。何らかの理由で実現できなかったとしても、「言葉が空虚になった」ということはなくて、実現に向けて真剣に再考するところからスタートできる。明確に対話形式にするというのが私には有効のようです。
多分それはこの後Tak.さんが語られていた「欲望と現実を接続する」ということに繋がっているんだと思います。
55:36
なるほど。ベルトコンベアで流れてくるものを、流れている間に如何に捌くかみたいな感じですよね。捌けないと働く権利を失うから頑張って捌く。
でも自分に裁量があるというのはベルトコンベアじゃなくてまな板が目の前にどんとあるみたいな感じで、同じ「捌く」でも「捌く」の意味が違うというか。
51:28
わ、わかる~~~。こういう頻度で掃除したらいいだろうなと思ってセットすると本当駄目ですね。
掃除は自分の中でやりたさの波が上がった時に勢いでやるべきだと思い直し、もう全く「予定」としては立てなくなりました。放っておくとやらないだろうという自分への信用のなさによって、予め思い出させてやろうとセットしたりするわけですけど、自分を信じて、そろそろやるかと腰を上げるタイミングが必ず来るはずだからと思うようにしました(実際適当なタイミングで掃除をやっている)。
33:17
あ~そうそう、スケジュール的なものを書き始めるとまずいのとてもわかります。結局全貌の把握に貢献しないというか。
「危険」という表現が面白いと感じましたが、確かに「危険」なんですよね。事故が起こる。
30:29
そう、更新日順っていうのが曲者なんですよね…。カード的に書き溜めている情報なら、色々と順番を変えて見るのが刺激になったり取り出しやすさに貢献したりとメリットが多いですが、そうふらふらされると困る情報というのがあって、それはちゃんと「留める」ように考えて場所を選ばないといけないですよね。
29:40
そうなんですよね。そのうまくいかなさ本当によくわかります。
やっぱり手帳というのは無限に広がっているわけではなくて「1冊」というコンパクトな世界だからいいんですよね。
デジタルはどこからどこまでが1冊とかなくて、無限に広がってしまう。仮にここからここまでを1冊と解釈するということを試みたとしても、やっぱり物としてあるのとは全く違っていて、身体的にそれを1冊と認識できないから紙の手帳のようにはうまくいかない感じがしますね。
28:25
そうそう、以前(二年半くらい前まで)アウトライナーがうまく使えなかったのも、根っこ状に広がっていくその先に情報を置きに行かなきゃいけないしそこから取ってこなきゃいけないみたいな感じになってきて、どこに何があるかわからないし今どこにいるかもわからないという感覚になってしまったからなんですよね。
だから肥大化し続けるアウトラインは作っちゃいけないなと。特にインデントが深くなる方向に肥大化すると大変になる。
27:23
なるほど。ちょっと面白そうと思ってしまったけど、多分感覚としては上にも下にも無限に続く螺旋階段の中で今どの辺にいるか全然わからないというような感じになってしまって駄目でしょうね。
RPGのダンジョンでもそういう構造は迷うし、ダンジョンで迷うならアウトライナーでも迷うと思う(謎理論)。
24:59
そう、物質的な劣化って大事ですよね。劣化というか「老化」と言ったほうがいいかもしれない。情報も老いなくてはいけないのだと思う。
11:55 倉下さんのタスク管理
プログラムがバリバリ活躍していてすごい。
ファイルを日付単位で作るとそこに取り残されたもののサルベージがほぼ無理になってしまうと感じるので、そうやって簡単に掬い取る仕組みがあると「デイリー単位でやる」ということの感触がだいぶ変わってきますね。
6:21 Obsidian及びMarkdownとの距離感の話
以前Obsidianの記事をnoteに書いたりしていましたが…。
Obsidianで人生が変わる(予定)|のらてつ
今は結局使っていないですね。ただこれに関してはObsidianとの相性がどうこうではなく、自分の環境だとなんでか重くなってしまって動作の面でストレスになってしまったのが最大の要因でした。
(どうでもいいけど今この記事を読み返すと自分のテンションが気持ち悪くてなんか無理という感じがする。noteは本当に無理をしていた。)
プログラミングの勉強を始める前と後でmdファイルに対する距離感は全く違っていて、JavaScriptと仲良くなってからは基本的にjsonで全てを完結させたいので個別にmdファイルを作るということはもう全然なくなりました。
でも見た目を作るのがやりやすいので、本文に当たる部分はMarkdownで書いています。jsonの中にMarkdown書式のテキストが入っている状態。なので書式としては常にMarkdownを使って書いてはいますね。まあそんなにゴリゴリに駆使しているわけではないですけども。
るうさんの記事についてのメモ・所感
メモ
所感
Vivaldiも触ったことがあるしScrapboxも使っていますが、Vivaldi×Scrapboxという掛け合わせは考えなかったのでなるほどと思いました。Scrapboxの欠点がスッキリ解消されますね。
これは本当にそうなんですよね。年内のアポイントメントならいいですが、未来の予定ってそんなピンポイントじゃないことの方が多いというか、「時期」で考えていることの方が多いしその方が感覚的にナチュラルですよね。
第百三十七回:Tak.さんとるうさんとメモやタスク管理とその道具についての四方山話 - LISTEN
第百三十七回:Tak.さんとるうさんとメモやタスク管理とその道具についての四方山話 - 知的生産の技術
そもそもとかそうは言ってもとかいうのは、そこに「見逃されていること」が含まれている場合であってこそ人の目を覚まさせる効果が出るのであって、ただわかりきったことを言われても「で?じゃあこの現状はどうするの?」以外に返せる言葉はない。
バランスを取ろう的な意図によって議論を後退させると、多分相手は相当頭に来るのではないか。んなことはわかっとるんじゃと思われるだろう。バランスを取るなら議論をバランスが取れる方向に「前進」させることを試みた方がいい。
面白かったです!
1:29:30
お互いに棚に上げてアドバイスし合うというのは本当に重要というか、倉下さんが仰る通り「大変良いこと」だなと思いますね!
やっぱり批判的な目を向け合うみたいなのは辛くて、「お互い棚に上げる」ことが許される、つまり「仲間」的な間柄でお互いに言及し合うのは大事だと思います。(not「容赦なく言う」)
1:27:53
厳しい現実…笑
1:23:02
そうそうそう。まさに「なんかすごい技法が後ろに働いているように見える」んですよね。
この件について前に書いた記事→Noratetsu Lab: 飛躍を作るということ、飛躍を作れないということ
1:11:01
これ、もし「未使用」が視覚的に下ではなく上とか横にあったらどうなんだろう?
「落とす」って言うともうそこから這い上がってくるのは大変な感は確かにあるんですよね。
私は「使うかもしれないもの」は上に、明らかな「没」(別の書き方で言い換えたのでもう要らなくなったもの、矛盾が発生してしまったので書けなくなったものなど)は下に置くことが多いです。
1:01:33
これはわかる気がします。
なので、「一度Twitterに呟いたもの」は再利用しやすいんですよね。矢印ができているので。
で、再利用しやすいものをTwitterにどんどん放流できているからと、非公開のメモも充実するに違いないと思っていると、ところがどっこいうまくいかない。矢印の力が弱いのでしょう。
50:19
「ドライブする気持ちと筆が乗る気持ちとのタイミング、リズムを合わせていって」というのが重要なポイントだなと思いました。努力すべきところは、他の何でもなく、この「合わせていく」ことだということ。
48:27
なるほどなるほど。まあやっぱりそうですよね、流れ派としては。だから村上春樹さんの書き方には信じられない気持ちになる。
42:38
なるほど。
30:23
そういえば、自分が文章を書いた時には、自分なりに文章の出来を点検する尺度があるわけですが、自分が自分の文章に当てるべきその物差しがいかなるものかを考えるというのも必要なことかもしれないですね。
問題があるとかないとかいうのを判定する基準がないと、見直してもどこにもいけないので、「こういう文章は嫌だ」チェックリストみたいなものを持っておくとか。明文化しないとしてもイメージとして持っておくというか。
26:05
Tak.さんの課題(?)について
提案とか意見というわけでは全然ないんですが、なんとなく思ったのは、共著とか編集者の強力な導きというのはこういうところで威力を発揮するんだろうなと。
後半でも少し内容の強調についてのお話がありましたが、全く同じことを書いていても強調するポイントの強弱で読み手の頭の中での残り方が違うという難問に対して、それを的確に指摘する存在がいると本の印象というのは色々違ってくるのでしょうね。
24:02
そうですよね。私も、(フリーライティングをやろうと思って頭から出しているというのではないですが、)フリーライティング的に自分の状態に焦点を当てるところからスタートする習慣ができたことで書きやすくなりました。
例えば「書けない」という状態の時に、いきなり「どうやったら書けるのか」に行くのではなく、「今の自分に於ける『書けない』とは何か」からスタートする。
私の場合はそれ自体を記事にする趣味があるのでそれが習慣づいた、ということになると思います。
23:00~
うちあわせCast133回を聞いて考えたこと - 思考遊戯の森について、これを文章にするのは難しい、という話
他人の目で見ると、各ページの項目に全部句点をつけて繋げればそのまま文章になるんじゃ?と思うわけですが、そういうことではないんですよね多分。
関連するようなしないようなですが、「アウトライン(らしきもの)は作ったが記事にならない」ことについて前にちょっと考えたことがあったなと思い出しました。
Noratetsu Lab: ブログの書き方ド下手問題⑦~考えが整ったのに記事にしにくいものたち~
21:40~
手法に乗っかることで安定的に書けるんじゃないか、のくだり
一時期文章術の本を探し回っていたのですが、その時の私が求めていたのもまさにそれなんですよね。でも大抵の「文章術」は、そういうことではなく、文章の組み立てとか読者を説得する書き方を説明している。それはもちろん大事ですが、それはもう目的が定まっているステージの話で、読んでも読んでも結局ピンとこないという。
つまるところ核にある問題は「文章術」の問題ではないのだと思いますが、自分の気持ちとしては「文章が書けない」という表現にならざるを得ないので、「文章の書き方」を求めてしまうという。