第百三十七回:Tak.さんとるうさんとメモやタスク管理とその道具についての四方山話 - LISTEN 第百三十七回:Tak.さんとるうさんとメモやタスク管理とその道具についての四方山話 - 知的生産の技術
るうさんの記事についてのメモ・所感
ノートは『今日のこと』『明日以降のこと』『やったこと』の3枚を柱にVivaldiで縦3列にタイリング配置してあります。
Vivaldiも触ったことがあるしScrapboxも使っていますが、Vivaldi×Scrapboxという掛け合わせは考えなかったのでなるほどと思いました。Scrapboxの欠点がスッキリ解消されますね。
仕事の大半が通年のルーティン行事の繰り返しなのに、何故かスケジューラーやタスク管理ソフトの年次送り機能ではうまくいかなかったのです。おそらく細かく日にちを指定しないと先送り出来ない事と個々のタスクを週単位、年単位で俯瞰しにくいせいだと思います。
これは本当にそうなんですよね。年内のアポイントメントならいいですが、未来の予定ってそんなピンポイントじゃないことの方が多いというか、「時期」で考えていることの方が多いしその方が感覚的にナチュラルですよね。
6:21 Obsidian及びMarkdownとの距離感の話
以前Obsidianの記事をnoteに書いたりしていましたが…。 Obsidianで人生が変わる(予定)|のらてつ 今は結局使っていないですね。ただこれに関してはObsidianとの相性がどうこうではなく、自分の環境だとなんでか重くなってしまって動作の面でストレスになってしまったのが最大の要因でした。 (どうでもいいけど今この記事を読み返すと自分のテンションが気持ち悪くてなんか無理という感じがする。noteは本当に無理をしていた。)
プログラミングの勉強を始める前と後でmdファイルに対する距離感は全く違っていて、JavaScriptと仲良くなってからは基本的にjsonで全てを完結させたいので個別にmdファイルを作るということはもう全然なくなりました。 でも見た目を作るのがやりやすいので、本文に当たる部分はMarkdownで書いています。jsonの中にMarkdown書式のテキストが入っている状態。なので書式としては常にMarkdownを使って書いてはいますね。まあそんなにゴリゴリに駆使しているわけではないですけども。
11:55 倉下さんのタスク管理
プログラムがバリバリ活躍していてすごい。 ファイルを日付単位で作るとそこに取り残されたもののサルベージがほぼ無理になってしまうと感じるので、そうやって簡単に掬い取る仕組みがあると「デイリー単位でやる」ということの感触がだいぶ変わってきますね。
24:59
倉下:2年前の手帳を見たら、もう紙が色褪せてるし、ペンも滲んでるから、やっぱり古い情報という感覚が生まれるわけですよね。 でもデジタルツールの場合ってそういう劣化がないから、ありありと今、これはお前のやることだぞというメッセージ性を持ってしまうのは、いいこともあるでしょうけど、人間という有限的な存在から考えると、デメリットも多いかなというようなことがありましたね。
そう、物質的な劣化って大事ですよね。劣化というか「老化」と言ったほうがいいかもしれない。情報も老いなくてはいけないのだと思う。
いや、「老化」はあんまり適当ではないかもしれない。「古びる」必要は感じる。
27:23
Tak.:(Workflowyについて)あれはやっぱりね、安易なデジタル化だと、例えば今フォーカスしているところを中心に表示するようにだんだんずらしていくみたいなことをやっちゃってもおかしくなかったんですよね。でもそれをやらないからある種のアナログ感が残っているというか。
なるほど。ちょっと面白そうと思ってしまったけど、多分感覚としては上にも下にも無限に続く螺旋階段の中で今どの辺にいるか全然わからないというような感じになってしまって駄目でしょうね。 RPGのダンジョンでもそういう構造は迷うし、ダンジョンで迷うならアウトライナーでも迷うと思う(謎理論)。
28:25
倉下:自分がどこにいるのかが分かる、分からなくなるっていうのは、情報ツール使っている上でも結構重要なんですけど、だから情報が増えたり残ったりすると、そういう感覚そのものが狂ってくる。
そうそう、以前(二年半くらい前まで)アウトライナーがうまく使えなかったのも、根っこ状に広がっていくその先に情報を置きに行かなきゃいけないしそこから取ってこなきゃいけないみたいな感じになってきて、どこに何があるかわからないし今どこにいるかもわからないという感覚になってしまったからなんですよね。 だから肥大化し続けるアウトラインは作っちゃいけないなと。特にインデントが深くなる方向に肥大化すると大変になる。
29:40
るう:(デジタルで)うまくいかなかったのが、1月から12月までっていうノートを作って、それぞれにそっち行って書く、こっち行って書くとか、4月になったら4月のノートに行って書くとか。そういうことを何て言うかな、昔の紙だったらみんな当たり前じゃないですか、手帳で動いていく。
そうなんですよね。そのうまくいかなさ本当によくわかります。 やっぱり手帳というのは無限に広がっているわけではなくて「1冊」というコンパクトな世界だからいいんですよね。 デジタルはどこからどこまでが1冊とかなくて、無限に広がってしまう。仮にここからここまでを1冊と解釈するということを試みたとしても、やっぱり物としてあるのとは全く違っていて、身体的にそれを1冊と認識できないから紙の手帳のようにはうまくいかない感じがしますね。
30:29
倉下:12月分のノートを作っていって、それを例えば更新日順とかにしてしまうと、ホーム感という居場所感っていうのがやっぱりなくなってきますし。
そう、更新日順っていうのが曲者なんですよね…。カード的に書き溜めている情報なら、色々と順番を変えて見るのが刺激になったり取り出しやすさに貢献したりとメリットが多いですが、そうふらふらされると困る情報というのがあって、それはちゃんと「留める」ように考えて場所を選ばないといけないですよね。
33:17
Tak.:(先々までデイリーの欄を用意してしまうと)スケジュール代わりに使っちゃうんですよね、それやると。カレンダー代わりになっちゃうんですけど、それはすごい危険なので、カレンダーでないものをカレンダー代わりに使うのはものすごい危険なのでやめました。カレンダーはカレンダーに書くべきだろうと。
あ~そうそう、スケジュール的なものを書き始めるとまずいのとてもわかります。結局全貌の把握に貢献しないというか。 「危険」という表現が面白いと感じましたが、確かに「危険」なんですよね。事故が起こる。
51:28
Tak.:僕ね、掃除をするっていうのをリピートにしたらダメでしたね。月曜日の朝には必ずトイレ掃除をするみたいなことをやり始めるとダメなんですよ。 (略) で、しなくてもいいじゃないですか。別に月曜の朝にしなくてもいいわけですよ。しなくてもいいということは、自分の選択に任されているはずなんですけど、それを「やる」って出てくるとすごく嫌になるんですよね。
わ、わかる~~~。こういう頻度で掃除したらいいだろうなと思ってセットすると本当駄目ですね。 掃除は自分の中でやりたさの波が上がった時に勢いでやるべきだと思い直し、もう全く「予定」としては立てなくなりました。放っておくとやらないだろうという自分への信用のなさによって、予め思い出させてやろうとセットしたりするわけですけど、自分を信じて、そろそろやるかと腰を上げるタイミングが必ず来るはずだからと思うようにしました(実際適当なタイミングで掃除をやっている)。
55:36
Tak.:だから逆に言えば、その裁量の範囲があまりにも広い場合は、いわゆるタスク管理っていう、「管理」っていう考え方があまり向かないんじゃないかとは思いますね。やっぱりタスク「管理」ってね、自分の外からタスクが降りかかってくるものをどう扱うかっていうイメージなんですよね。
なるほど。ベルトコンベアで流れてくるものを、流れている間に如何に捌くかみたいな感じですよね。捌けないと働く権利を失うから頑張って捌く。 でも自分に裁量があるというのはベルトコンベアじゃなくてまな板が目の前にどんとあるみたいな感じで、同じ「捌く」でも「捌く」の意味が違うというか。
1:01:47
るう:(自分自身への宣言について)なんか自分は多分そういうふうに書いてあっても、「またまたぁ(笑)」とかっていう、ちょっと他人ぽく思っちゃうっていうか。
そう~~~なんですよね~~~~~。私も宣言系はうまくいったためしがないですね。どんどん虚しくなっていく。
でも、この後にあった「作業記録を公開している」という話を踏まえると、まあ確かにブログにやるって書いちゃったらやるよなというのはあるので、やっぱりたとえ「自分に言い聞かせる」ということ自体の効力が薄くても、見えるところに書いちゃうと「なんとなくやらないままになる」というのを防ぐ効果はいくらかあるなと思いました。
あーでも、私は自分を二つに分けて本当に会話するように自己対話するということを時々やるんですが、そこで自分Aと自分Bの間で「じゃあこうしようと思う」「それがいいと思う」と納得したようなことは(本当にこういう台詞で書きます)、普通にやれている感じがあります。何らかの理由で実現できなかったとしても、「言葉が空虚になった」ということはなくて、実現に向けて真剣に再考するところからスタートできる。明確に対話形式にするというのが私には有効のようです。 多分それはこの後Tak.さんが語られていた「欲望と現実を接続する」ということに繋がっているんだと思います。
1:31:13 Microsoftは偉い、のくだり
Microsoftは本当に偉い。
1:33:42
るう:倉下さんよくツイッターとかにカードに書いたメモなのか、手書きのメモとかをよく上げられてるじゃないですか。ああいうのはどうしてるんですか。 倉下:写真に撮ってScrapbox。
あー、そうか。なるほど。
1:36:18
倉下:この一元管理という言葉のマジックというか、勘違いしやすいところなんですけど、すべてを一つの場所に入れたら駄目なんですね。
うんうん。 以前は本当、全てのものを一箇所に集約できたら最強だとか思ってましたが(Evernoteのせいだと思う)、なんか最近は全然そんな感じじゃなくなりました。 日記なら日記は一箇所に集約したいけど、日記と日記じゃないものが一緒にあってほしいとは今は全然思わない。でも前はそう思ってたんですよね。
面白かったです😃
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るうさんの記事についてのメモ・所感
メモ
所感
Vivaldiも触ったことがあるしScrapboxも使っていますが、Vivaldi×Scrapboxという掛け合わせは考えなかったのでなるほどと思いました。Scrapboxの欠点がスッキリ解消されますね。
これは本当にそうなんですよね。年内のアポイントメントならいいですが、未来の予定ってそんなピンポイントじゃないことの方が多いというか、「時期」で考えていることの方が多いしその方が感覚的にナチュラルですよね。
6:21 Obsidian及びMarkdownとの距離感の話
以前Obsidianの記事をnoteに書いたりしていましたが…。
Obsidianで人生が変わる(予定)|のらてつ
今は結局使っていないですね。ただこれに関してはObsidianとの相性がどうこうではなく、自分の環境だとなんでか重くなってしまって動作の面でストレスになってしまったのが最大の要因でした。
(どうでもいいけど今この記事を読み返すと自分のテンションが気持ち悪くてなんか無理という感じがする。noteは本当に無理をしていた。)
プログラミングの勉強を始める前と後でmdファイルに対する距離感は全く違っていて、JavaScriptと仲良くなってからは基本的にjsonで全てを完結させたいので個別にmdファイルを作るということはもう全然なくなりました。
でも見た目を作るのがやりやすいので、本文に当たる部分はMarkdownで書いています。jsonの中にMarkdown書式のテキストが入っている状態。なので書式としては常にMarkdownを使って書いてはいますね。まあそんなにゴリゴリに駆使しているわけではないですけども。
11:55 倉下さんのタスク管理
プログラムがバリバリ活躍していてすごい。
ファイルを日付単位で作るとそこに取り残されたもののサルベージがほぼ無理になってしまうと感じるので、そうやって簡単に掬い取る仕組みがあると「デイリー単位でやる」ということの感触がだいぶ変わってきますね。
24:59
そう、物質的な劣化って大事ですよね。劣化というか「老化」と言ったほうがいいかもしれない。情報も老いなくてはいけないのだと思う。
いや、「老化」はあんまり適当ではないかもしれない。「古びる」必要は感じる。
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なるほど。ちょっと面白そうと思ってしまったけど、多分感覚としては上にも下にも無限に続く螺旋階段の中で今どの辺にいるか全然わからないというような感じになってしまって駄目でしょうね。
RPGのダンジョンでもそういう構造は迷うし、ダンジョンで迷うならアウトライナーでも迷うと思う(謎理論)。
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そうそう、以前(二年半くらい前まで)アウトライナーがうまく使えなかったのも、根っこ状に広がっていくその先に情報を置きに行かなきゃいけないしそこから取ってこなきゃいけないみたいな感じになってきて、どこに何があるかわからないし今どこにいるかもわからないという感覚になってしまったからなんですよね。
だから肥大化し続けるアウトラインは作っちゃいけないなと。特にインデントが深くなる方向に肥大化すると大変になる。
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そうなんですよね。そのうまくいかなさ本当によくわかります。
やっぱり手帳というのは無限に広がっているわけではなくて「1冊」というコンパクトな世界だからいいんですよね。
デジタルはどこからどこまでが1冊とかなくて、無限に広がってしまう。仮にここからここまでを1冊と解釈するということを試みたとしても、やっぱり物としてあるのとは全く違っていて、身体的にそれを1冊と認識できないから紙の手帳のようにはうまくいかない感じがしますね。
30:29
そう、更新日順っていうのが曲者なんですよね…。カード的に書き溜めている情報なら、色々と順番を変えて見るのが刺激になったり取り出しやすさに貢献したりとメリットが多いですが、そうふらふらされると困る情報というのがあって、それはちゃんと「留める」ように考えて場所を選ばないといけないですよね。
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あ~そうそう、スケジュール的なものを書き始めるとまずいのとてもわかります。結局全貌の把握に貢献しないというか。
「危険」という表現が面白いと感じましたが、確かに「危険」なんですよね。事故が起こる。
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わ、わかる~~~。こういう頻度で掃除したらいいだろうなと思ってセットすると本当駄目ですね。
掃除は自分の中でやりたさの波が上がった時に勢いでやるべきだと思い直し、もう全く「予定」としては立てなくなりました。放っておくとやらないだろうという自分への信用のなさによって、予め思い出させてやろうとセットしたりするわけですけど、自分を信じて、そろそろやるかと腰を上げるタイミングが必ず来るはずだからと思うようにしました(実際適当なタイミングで掃除をやっている)。
55:36
なるほど。ベルトコンベアで流れてくるものを、流れている間に如何に捌くかみたいな感じですよね。捌けないと働く権利を失うから頑張って捌く。
でも自分に裁量があるというのはベルトコンベアじゃなくてまな板が目の前にどんとあるみたいな感じで、同じ「捌く」でも「捌く」の意味が違うというか。
1:01:47
そう~~~なんですよね~~~~~。私も宣言系はうまくいったためしがないですね。どんどん虚しくなっていく。
でも、この後にあった「作業記録を公開している」という話を踏まえると、まあ確かにブログにやるって書いちゃったらやるよなというのはあるので、やっぱりたとえ「自分に言い聞かせる」ということ自体の効力が薄くても、見えるところに書いちゃうと「なんとなくやらないままになる」というのを防ぐ効果はいくらかあるなと思いました。
あーでも、私は自分を二つに分けて本当に会話するように自己対話するということを時々やるんですが、そこで自分Aと自分Bの間で「じゃあこうしようと思う」「それがいいと思う」と納得したようなことは(本当にこういう台詞で書きます)、普通にやれている感じがあります。何らかの理由で実現できなかったとしても、「言葉が空虚になった」ということはなくて、実現に向けて真剣に再考するところからスタートできる。明確に対話形式にするというのが私には有効のようです。
多分それはこの後Tak.さんが語られていた「欲望と現実を接続する」ということに繋がっているんだと思います。
1:31:13 Microsoftは偉い、のくだり
Microsoftは本当に偉い。
1:33:42
あー、そうか。なるほど。
1:36:18
うんうん。
以前は本当、全てのものを一箇所に集約できたら最強だとか思ってましたが(Evernoteのせいだと思う)、なんか最近は全然そんな感じじゃなくなりました。
日記なら日記は一箇所に集約したいけど、日記と日記じゃないものが一緒にあってほしいとは今は全然思わない。でも前はそう思ってたんですよね。
面白かったです😃