ここの書き込みとか、他所の感想とか見てて思ったんですけど、9話に肯定的な人と否定的な人とでは、着眼点がまるで異なるんじゃないでしょうか?
肯定的な人の意見を見ると、「イエイヌという動物について考えさせられた」とか、そういうテーマ的な側面で評価してる方が多く見受けられます。
一方、今回の話で特に叩かれてるのって、イエイヌがボロボロになったこと自体より、それに対するキュルルの対応だと思うんですよ。
(肯定派、否定派共に全員がそうとは言いません)
>> 302で書いたようなことの他にも、イエイヌを手当てしてあげるとか、家まで送り届けてあげるとか…あちこちで言われてるのが、「こういう時こそ絵を渡してやれよ!」ってことなんですよね。
そうでなくても、イエイヌを家に帰す時に「守ってくれてありがとう」とか「また遊びに行くからね!」とか、一言付け加えるだけでかなり印象が変わったはずじゃないですか。
でも実際にはそれすらなくて、ただイエイヌに言われたままに「おうちにおかえり」しか言ってないから、キュルルがえらく薄情者に見えてしまうんですよ…。
そんなわけで、この両者が意見をぶつけ合ったところで、お互い納得のいく答えは得られないと思います。
だってそもそも見てるところが違うから。
肯定派がいくら「この話にはこういう深いテーマが込められているんだ!」と語ったところで、否定派からしたら「でもキュルルが酷いのは変わりないし、やっぱり胸糞悪いよね」って感想になってしまうんですよ。
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いや普通に加点式/減点式で説明できるような?
低評価の人は、キュルルに「イエイヌの忠義に報いる」という役割を期待したんじゃないかな
そうじゃなかったから減点、と。
ぶっちゃけ低評価の人が減点要素を挙げても、それが意味あるパーツと評価できるなら加点要素になる
「見ているところが違う」のでは無いと思うよ。
それ以前にその減点要素は難癖じゃ…と思うのもあるけど。
キュルルがイエイヌを労ってないとかは正直前提を理解していないと疑う
着眼点と言うか否定的な人はイエイヌばかりに感情移入しすぎてキュルル視点から見えてないのかなと思う。確かにイエイヌからだけで見たらキュルルがひどい奴って言うのは分からなくもないけど、キュルルの視点に立って見たらキュルルの行動も何となく理解できると思う。まあキュルルは子供特有の空気の読めない言動があったのも事実だけど