考察というかまとまらないメタ視点妄想みたいな感じになるけど書くよ
最終回を見て実感したのは、このアニメはかなり教科書に忠実に演出されてるということ
古典的な演出手法として、食事シーンは「家族」のメタファーというのがある
5話では一緒に食事したかばんちゃんとお別れしたから、セオリー通りには演出しないかな?と思ったんだけど、最終的にはかばんちゃんも自分からサーバルたちに歩み寄って関係は復活していた
その後のメイン3人のラストシーンではキュルルとカラカルのお腹の音が鳴る=これから食事をすることを暗示していて
作品冒頭では主人公がお腹のなる音(キュルル)と名付けられたことから
けもフレ2は終始、おうち探し=家族探し=食卓を囲むことを一つのテーマにしていたと考えていいと思う
(カラカルがダメじゃないこれと言いながら辛い鍋がやみつきになってたのが良い演出ですねー)
(1期で最初にかばんちゃんと食事したのがトキで、周りに誰も居ない柱の上だったのも、ヒトを絶滅種扱いしてトキと食事させていると考えてると、これもけもフレの光と闇を兼ね備えた良い演出)
ここから本題
散々かわいそうかわいそう言われているイエイヌは、キュルルに紅茶を用意した上で食卓を囲むことを拒否されている
けもフレ2のテーマの一つが食卓を囲むことだとすると、これは戦ってボロボロになるとか、その上でお礼を言ってもらえないとか、そういうレベルすら超越するくらいひどい演出意図になる
愛するがゆえに自分の無力を受け入れて身を退くというイエイヌのキャラクター/ストーリーを表現するにしてもお釣りが来るくらいひどい
そこで、その「お釣り」はもしかすると、最終話Cパートのシーンで示めされてるのかもしれないと考えた
イエイヌが見ていたスケッチブックの1ページにはサーカラ、ミライさん、イエイヌも書かれていて
ミライさんがかばんちゃんに引き継がれていると考えると、イエイヌを含めて在りし日のジャパリパークが今も形を変えて生き続けていることを暗示している良いエンディングなんだけど
・・・でも、イエイヌはなんでそのスケッチブックの切れ端を持っていた?
なぜ、ヒトがあの場所にいると知っていた?
自分から出向かずにわざわざそれを探すことをWがスフィアに依頼した?
気にしなくてもいい程度かもしれないけどちょっとづつ引っ掛かるイエイヌの行動
これは、スケッチブックを使って「ヒトのようなもの」を生み出して
フウチョウコンビの言うように過去の記憶を失わせて(スケッチブック破いて)
もう一度ヒトと再開するために自作自演で仕組んでいたと考えられる気がしてくる
かばんちゃんがキュルルと出会って大して驚いたりしてなかったのも実はイエイヌがあの手紙を使って過去にも繰り返し・・・これ以上は恐ろしすぎて書けない