けものフレンズBBS NEO

みんみ教徒の集い / 3537

3592 コメント
views
90 フォロー
3537
流浪のみんみ教徒 2022/11/25 (金) 03:33:33 457e0@571b4

本日はロシア帝国・ソビエト連邦の植物学者/遺伝学者でいらっしゃる、
ニコライ・イヴァノヴィッチ・ヴァヴィロフ氏の誕生日であります。
・1887年11月25日にモスクワの商家にお生まれになり、
 1911年にモスクワ農業大学を卒業されました。
 1912年まで応用植物学研究所や植物病理学研究所に勤務され、
 1913年から翌年にかけてウィリアム・ベイトソン氏(「遺伝学」の命名者)
 のもとへ留学されて植物の病害抵抗性の研究を行われました。
 1917年にサラトフ大学農学部教授に就任され、
 1919年にはコムギのさび病に対する抵抗性の研究に携わられ、
 1920年には栽培植物の「平行変異説」で注目されました。
 1921年、ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)の
 応用植物学研究所(後の連邦植物栽培研究所)の所長に就任され、
 1926年にはレーニン賞を受賞されました。1930年代にはモスクワの
 ソビエト科学アカデミー遺伝学研究所所長や連邦地理学会会長などの
 要職を兼任され、ソビエトの作物改良研究の責任者となられました。
 ヴァヴィロフ氏は食糧の安定確保のためにも多様な遺伝資源を確保する事が
 肝要と考えられ、世界各地への大規模な農学・植物学調査旅行を行われました。
 この成果に基づき、遺伝的多様性が高い地域(遺伝子中心)がその作物の
 発祥地であると考えられ、栽培植物の起原についての理論を発展させました。
 更に当時では世界最大の植物種子コレクションを創設されました。
 研究の結果は著作「栽培植物発祥地の研究」に纏められております。
 しかし同じ1930年代に、メンデル遺伝を否定される
 トロフィム・ルイセンコ氏が政治的に勢力を拡大され、
 真っ向から反する形のヴァヴィロフ氏の学説を否定されました。
 1940年に解任/逮捕される憂き目に遭われ、1943年1月26日に
 サラトフ監獄にて栄養失調のため55年の生涯を閉じられました。
 1955年にヴァヴィロフ氏の名誉は回復され、ソビエト科学アカデミーは
 ヴァヴィロフ賞(1965年)とヴァヴィロフメダル(1968年)を創設しております。
・ヴァヴィロフ氏は1929年に日本を訪れており、北は北海道から、
 南は当時日本の植民地であった台湾や朝鮮まで赴かれ、
 日本の学者の方々との交流を行なわれました。
 札幌では北海道帝国大学の明峯正夫教授に会われ、
 寒冷地の北海道で栽培されている稲品種の種子を求められましたが、
 明峯教授はこれを拒否されました。京都では京都帝国大学の小麦の遺伝学者で
 お互いに親しい仲でいらっしゃった木原均教授に会われ、
 「栽培植物の起源」と題する講演を英語で行なわれました。
 九州では九州帝国大学の盛永俊太郎教授(稲の遺伝・品種学)に会われ、
 「稲の研究はあなたに任せる。」といった事を述べられたとされております。
ジャパリパークでは独自に農作物が生産されており、
ジャパリまんの原料確保などのために活用されておりますが、
その開始当初は敷地の土壌や農作物に対する様々な影響など様々な苦労があり、
専門家の意見など多くの助言が参考となった事が想像できます。
現在様々な地域で栽培されている農作物は多くの改良の末に生まれたものであり、
そこに至るまでには数えきれないほどの試行錯誤があったはずであります。
農業の発展のために尽力しておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

通報 ...