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みんみ教徒の集い / 3526

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流浪のみんみ教徒 2022/11/14 (月) 00:03:03 修正 457e0@e46fd

本日は1901年に、オーストリアの病理学者/血清学者でいらっしゃる、
カール・ラントシュタイナー氏がABO式血液型を発表された日であります。
なお、この時点で血液型はA型/B型/C型(後のO型)の3つに分類されておりました。
・カール・ラントシュタイナー氏はオーストリア出身の病理学者/血清学者で、
 ABO式やRh式など複数の血液型を発見された人物でいらっしゃいます。
 1868年6月14日にオーストリア北東部のバーデン・バイ・ウィーンにて、
 父親で記者/新聞編集者/法学博士のレオポルト・ラントシュタイナー氏と
 母親のファニー・ヘス氏との間にユダヤ人としてお生まれになりました。
 父親と6歳の時に死別された後は母親によって育てられ、
 1891年にウィーン大学で医学の学位を取得され、ドイツの化学者
 エミール・フィッシャー氏らの下で学ばれた事により化学にも精通されました。
 1900年にABO式血液型を発見され、翌年11月14日に論文を発表されました。
 なお、ラントシュタイナー氏が発見されたのはAB型以外の3つであり、
 発表時点ではA型/B型/C型とされておりました。
 この功績により1930年にノーベル生理学・医学賞を受賞されました。
 1908年にウィーン大学の病理学の教授に就任され、
 同年のうちにポリオの病原体、ポリオウイルスを発見されました。
 その後、第一次大戦から逃れるためにオランダへと移られて、
 1922年にはニューヨークのロックフェラー研究所に所属され、
 1937年には弟子アレクサンダー・ウィーナー氏と共にRh因子を発見されました。
 この間にアメリカ国籍を取得され、1939年に研究所を退職された後も
 終生にわたってニューヨークで過ごされました。
 後の1943年6月26日、実験室にて心臓発作で75年の生涯を閉じられました。
 その後、1997年から2002年にユーロの流通が開始されるまでの間、
 当時発行されていた1000オーストリア・シリング紙幣に
 ラントシュタイナー氏の肖像が使用されておりました。
・ABO式血液型は血液型の分類法の一種であります。
 血液型は初め血液の型として出発したのでこの名前でありますが、
 その後に進められた研究において血液のみに関わらず
 一個人の細胞/臓器/体液はもちろん、毛髪などの硬組織にも分布する
 個人を血清学的に識別できる方法である事が判明しております。
 赤血球の表面には250種以上の表面抗原がありますが、
 A/B型抗原はその代表的な抗原であります。赤血球の表面にA抗原があるとA型、
 B抗原があるとB型、ABの両抗原があるとAB型、両抗原が無いとO型であります。
 先の遺伝子型ではAA・AOがA型、BB・BOがB型、ABがAB型、OOがO型となります。
 逆に血漿中には各抗原に反応する抗体があり、
 通常A型の血漿中には抗B抗体があり、B型の血漿中には抗A抗体があり、
 AB型の血漿中には抗A抗体も抗B抗体のどちらも無し、
 O型の血漿には抗A抗体と抗B抗体両方が存在します。
 血漿中の抗体を調べる事で血液型を判定する方法は裏試験とも呼ばれ、
 表面抗原に、それぞれ対応する抗体が反応すると赤血球は凝集してしまいます。
 研究はイギリスの病理学者でいらっしゃるシャタック氏の
 「肺炎患者の血球と血清(それぞれ別人)を混ぜていた際に凝集があった」
 との報告を受けられたカール・ラントシュタイナー氏による試験から始まり、
 1930年代には現在の分類がほぼ確立されております。
動物にも血液型は存在し、フレンズの皆様も例外ではないと考えられます。
この場合、血液成分が元の動物と同様の場合はそれに応じた扱いが必要であり、
そこには獣医師の知見が活かされるであろうと考えられます。
なお、いわゆるUMAや伝承系と呼ばれるフレンズの皆様に関しては、
既存のデータが充分にあるいは全く活かせない場合が考えられるため、
機会を見計らって調べる必要があると思われます。
血液型は身体の健康状態を知るための基本情報の一つであり、
医療の現場にとっても重要な情報の一つであります。その血液型に関して
様々な研究に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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