本日は九十九島(くじゅうくしま)の日であります。
「く(9)じゅう(10)く(9)」の語呂合わせに因んで、
九十九島のある長崎県佐世保市によって1999年に制定されました。
大小208の島々からなる風光明媚な景勝地である九十九島の魅力を、
国内のみならず海外に向けてその魅力を発信していく事が目的としております。
・九十九島(くじゅうくしま/つくもじま)と呼ばれる場所は日本各地にあり、
長崎県にも「くじゅうくしま/つくもじま」がそれぞれ存在しますが、
今回は西海国立公園に含まれる場所について書き込みをさせていただきます。
西海(さいかい)国立公園は、長崎県西北部に位置する国立公園で、
1955年3月16日に日本で18番目となる指定を受けました。
「島々の王国」がキャッチフレーズで、24646haの面積を有する指定区域は
九十九島地域、平戸・生月地域、五島列島地域の3つに分かれております。
第二次大戦以前までは特に九十九島地域において軍港に近いために
写真撮影が禁止されるなどの種々の制限があった事から、観光地としては
あまり知られていない地域であったために実現を疑問視する声がありましたが、
1949年に当時の佐世保市長の中田正輔氏による国立公園指定へ向けた動きが
県や周囲の町村を動かす事となり、1950年に一市五十三町村からなる
「西海国立公園指定期成会」が設立されました。
1951年には西海国立公園の実現を公約に掲げた西岡竹次郎氏が知事に就任され、
市は東京大学/京都大学/長崎大学に周辺の地理/歴史/風俗などの調査を依頼し、
また厚生省に幾度も陳情し同省の官僚や国立公園審議会の委員を招き、
県は国立公園指定の請願書を衆議院及び参議院へ提出する運びとなりました。
また、当時毎日新聞社が行った日本観光地百選において
九十九島が海岸の部で3位に入賞するという動きもありました。
そうした努力が評価された事から、1954年8月の国立公園審議会では
満場一致で国立公園指定が決定され、翌1955年3月に政府が公式発表を行い、
同月16日に「西海国立公園」が誕生する事となりました。
・九十九島は長崎県の佐世保市/平戸市にかけての北松浦半島西岸に連なる
リアス式海岸の群島で、全域が西海国立公園に指定されております。
全て旧北松浦郡に属しており、島の総数は現在公式には208とされております。
これは佐世保市等による「九十九島の数調査研究会」の
2001年時点での調査によるものであるが、島の定義等により異説もあります。
「西海国立公園 九十九島全島図鑑」著者の澤恵二氏による実地調査では、
満潮時に他の陸地から独立して海面上にあり、
植物が生えているという基準で216あるといわれております。
殆どは無人島や岩礁で、人が住む有人島は黒島、高島、
それに本土から橋で行き来できる前島と鼕泊(とうどまり)島の4つであります。
平戸藩主の松浦静山氏が、秋田県の象潟九十九島に倣って名づけられたとされ、
測量に訪れた際に正月を相浦の内山六右衛門宅で迎えられた伊能忠敬氏は、
「七十に 近き春にぞ あひの浦 九十九島を いきの松原」と狂歌を残されました。
佐々川河口を境として北側を「北九十九島」、南側を「南九十九島」と呼ぶ事があり、
南九十九島は遊覧船「パールクィーン」が佐世保市鹿子前(かしまえ)の
西海パールシーリゾートから出航している他、
シーカヤックやヨット等のマリンスポーツも盛んとなっております。
また、風光明媚な景観から日本百景にも選定されております。
他にも、天然/養殖含めたカキの生産地でもあり、
冬場には地元漁協によるイベントも行われております。
佐世保市は1999年より9月19日を「九十九島の日」としており、この日の前後に
西海パールシーリゾートでは「九十九島の祭典」が開催されております。
2018年4月20日には「世界で最も美しい湾クラブ」への加盟が認定されました。
海底火山の噴火によって出現した島をそのまま活用したジャパリパークは、
必要な設備の配置以外は極力手を加えない措置が施されていると考えられ、
場所によっては国立公園などに指定されるほどの
風光明媚な景観を有している可能性も考えられます。
島国である日本には大海原を含めた美しい景観が数多く存在しております。
その風景をいつまでも美しく残しておくためにも、
私達の日々の取り組みの積み重ねが重要となるのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。