本日は1952年に伊豆諸島南部の岩礁で噴火が発生した日であり、
噴火を発見した漁船の名から、翌日の18日「明神礁」と命名されました。
・明神礁は、伊豆諸島南部にある須美寿島の北約50km、
ベヨネース列岩の東約10kmに位置する海底火山であります。
海底火山体の本体は明神海山と呼ばれ、海底からの比高が約1600m、
直径約7×10kmの海底カルデラを形成しており、明神礁はこのカルデラの
外輪山北東部に形成された後カルデラ火山となっております。
ベヨネース列岩は西側カルデラ縁上にありますが、カルデラの形成よりも
先に形成された先カルデラ火山であります。また、カルデラ中央部には
高根礁とよばれる中央火口丘があり、山頂は水深330mにあります。
1952年9月17日午前の噴火を最初に報告した静岡県焼津市の
焼津港所属の漁船「第十一明神丸」に因んで命名されました。
長崎県の雲仙普賢岳などと同じデイサイト質の溶岩を噴出する火山で、
激しい爆発を伴った噴火を起こす性質があります。
激しい火山活動を度々引き起こし何度か標高200~300mまで達する
新島を形成しましたが、自らの爆発で消滅したり波浪に浸食されたりして
現在に至るまで安定した新島を形成できておりません。
しかし、公海上で新たに形成された島は第一発見国が領有を宣言できるため、
アメリカ/旧ソ連/中国/韓国/フィリピン等の艦船が頻繁に出没しておりました。
同年9月24日、噴火を観測中の海上保安庁の測量船「第五海洋丸」が消息を絶ち、
捜索の結果、噴火に巻き込まれた事を示す遺留品や船体の断片が発見され、
田山利三郎測量課長を始めとする31名が遭難、全員の殉職と認定されました。
付近の「高根礁」の爆発に巻き込まれたとの説もありますが、
生存者や目撃者が存在しないため真相は不明となっております。
1953年、東京水産大学の「海鷹丸」が観測を実施し、
以前の観測結果と合わせて明神礁付近の海底図を完成させました。
その後も付近では海水の変色などがたびたび発生し、
近辺海域に海底火山危険区域が設定されました。
なお、この指定は後の1999年に8月9日に解除されております。
その後、1989年に海上保安庁の自航式ブイ「マンボウ」による調査が行われ、
明神礁が明神礁カルデラのカルデラ縁上に位置する。
後カルデラ丘である事が確認されました。
1998年にも無人測量船「マンボウII」による調査が行われ、
この海域の詳細な地形が明らかにされております。
現在は目立った海水の変色などは確認されておりませんが、
活発な熱水活動や噴気が確認されております。
ジャパリパークは既に何度も書き込みをさせていただいている通り、
海底火山の噴火によって出現した島をそのまま活用した動物園施設であります。
日本列島の左右を下に曲げた形の島群は、それぞれの島がバスによる長距離移動や
長距離のモノレールの敷設を必要とするほど広大であり、
それほどの島が出現するほどの海底火山の噴火が
どれほど大規模なものであるかは想像し難いものであります。
地球内部の活動は私達の想像を絶するエネルギーが渦巻いており、
そのエネルギーは直接的または間接的に私達の生活に影響を与えております。
海底火山はその一端を感じさせてくれるものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。