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みんみ教徒の集い / 3455

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流浪のみんみ教徒 2022/09/15 (木) 00:03:03 457e0@deba5

本日は1929年に、当時の鉄道省によって特別急行列車に
初めて列車愛称(「富士」・「櫻」)が命名された日であります。
・列車愛称とは列車に付けられる愛称の事であります。
 似たものに車両愛称がありますが、車両愛称が鉄道車両そのものや
 そのグループ(形式)を象徴する物として付けられるのに対して、
 列車愛称はあくまで列車(停車場外の線路を運転させる目的で組成された車両)
 につけられるところが異なります。
 列車愛称が付けられる理由は様々ありますが、大体以下のように集約できます。
  ・個々列車の識別  ・座席指定券販売における便宜
  ・列車の周知徹底  ・列車の宣伝
 1929年9月、昭和金融恐慌など関東大震災以来の不況が続き、
 利用客が減少していた鉄道に活況をもたらそうと、
 鉄道省は当時欧米で広まっていた「列車愛称」を
 日本の列車にもつけて親しみを持ってもらおうと考えた結果、
 当時日本で東京駅~下関駅間の2往復(1・2列車と3・4列車)しか存在せず、
 文字どおり特別な存在であった「特別急行列車」(特急列車)に、
 一般公募によって愛称「富士」「櫻」を命名する事となりました。
 1944年4月、「富士」を最後に特急列車が全廃し、他の愛称列車もこの頃までには
 戦況の悪化で全廃され、内地での列車愛称は消滅する事となり、
 1945年8月の敗戦により「ひかり」「興亜」を最後に外地での愛称も消滅しました。
 1949年6月に公共企業体日本国有鉄道が発足し、戦後の混乱が次第に落ち着いた
 同年9月に特急列車を東京駅~大阪駅間で1往復復活させる事となりました。
 愛称は暫定的に加賀山国鉄副総裁が平和を願う意味「へいわ」とされましたが、
 後に公募によって正式な愛称を決定する事となり、またこの時、
 同区間を運行していた夜行急行列車1往復にも「銀河」という愛称が命名され、
 初めて本土の国鉄で急行列車に愛称が付けられた。
 1949年10月、東京駅~伊東駅間を運行する週末運行の温泉客向け準急列車に
 国鉄準急列車初の愛称となる「いでゆ」と命名し、その2ヵ月後には
 「いでゆ」の姉妹列車として「いこい」も設定されました。
 1950年1月、「へいわ」を公募結果に基いて「つばめ」と改称した事により
 戦前の優等列車の名前が復活し、同年6月には姉妹列車「はと」も新設され、
 国鉄快速列車でも「あかぎ」等の愛称を命名した列車が登場する事となりました。
 同年11月、急行列車12往復に「明星」「日本海」などの愛称が与えられて以後、
 特急列車や急行列車に関しては原則として愛称が付けられるようになり、
 準急列車/快速列車/普通列車でも観光地列車には愛称が付けられ始めました。
 なお、特急列車には日本を象徴するものか鳥の名前が、昼行急行列車
 (昼行と夜行の両時間帯にまたがるものも)には地域名や名物が、
 夜行急行列車には天体名が付けられる事が原則となっておりました。
 1957年10月に準急列車「東海」が運行を開始し、同列車は「○○1号」「○○2号」
 といった番号による列車識別を初めて採用した例となりました。
 1958年11月、151系特急形電車を用いた「こだま」運行開始に際しての公募で
 「はやぶさ」「さくら」「平和」「初雁」(はつかり)の名称が佳作に選出され、
 これは後に特急列車に用いられる事となりました。
 1961年10月に大規模ダイヤ改正により列車が大増発され、
 この頃より愛称の原則も崩れ始めました。その原因としては、
  ・同一区間を走る同一種類/車両の列車でもそれぞれ別の愛称を命名していた。
  ・愛称の数が増えた事から、愛称の題材も尽きてきていた。
  ・地域からの要望による命名が増えた。
  ・命名基準の統一も図られていなかった。……などが挙げられます。
 1964年10月:東海道新幹線が開通する。この時、同路線では新幹線だけでなく
 在来線での以後の愛称付け方針にも重要な影響を与える画期的な命名法とられ、
 それは下記のようなものでありました。
  ・愛称を速達タイプ(当時の呼称としては超特急)のものに「ひかり」、
   各駅停車タイプ(当時としては特急)のものに「こだま」というように、
   最小限識別に必要なものだけに絞る。
  ・列車個々の識別を「○○号」方式による番号識別とし、
   発車順に下り列車には奇数番号、上り列車には偶数番号をつける。
 1966年3月、運行距離が100kmを超える準急列車が全て急行列車に格上げされ、
 それにより若干の運行距離の違いで準急/急行が分かれ、結果的に別の愛称を
 増やさなければならない事態(「富士川」→「富士川」「白糸」など)や、上りと下りで
 同一愛称でも準急/急行と種別が異なる事態(「ひるぜん」など)も発生し、
 無秩序・不統一による氾濫で国鉄在来線列車の愛称の数はピークを迎えました。
 1968年10月に大幅なダイヤ改正が行われた事により国鉄では準急列車が消滅し、
 代わって特急列車や急行列車の大増発が図られた。そして、国鉄では
 座席指定席管理システム「マルスシステム」による指定券販売の支障になる事から
 氾濫を極めた列車愛称の整理をこれを機に断行し、列車愛称はそれまでの
 359種類から268種類となり、その整理方法は以下の通りでありました。
  ・似通った運行系統・区間ごとに、できるだけ愛称をまとめる。
  ・同一区間を走る列車に関して、特急列車では昼行と夜行で
   原則として別愛称、急行列車では同一愛称をつける。
  ・定期列車と季節列車(この時誕生した臨時列車)は原則として同一愛称。
  ・同一系統・種類の列車が多数(1往復超)存在する場合、
   発車時刻順に番号によって区分する。
  ・臨時列車には「○○51号」と50番台で始まる列車番号を発車時刻順につける。
 1974年7月に指定席のある普通列車に愛称が付いてマルスでの予約が可能となり、
 1978年10月に大規模ダイヤ改正が実施され、在来線でも新幹線と同様に
 識別番号を「下り奇数・上り偶数」とされました。
 この時の国鉄の列車愛称は262種類でありましたが、
 この後は急行列車の特急格上げによる統合などで愛称は減っていき、
 国鉄分割民営化直前の1986年11月ダイヤ改正時には132種類となりました。
 1988年以降は「スーパー○○」「おはよう○○」「ホームタウン○○」など
 冠詞を重ねるものも存在するようになりましたが、
 この場合は「ハイパーサルーン」など車両愛称を重ねる事例もあったため、
 総体的に優等列車の愛称が減少傾向にある事は否めないものとなりました。
けものフレンズにおいて列車といえば、アニメ二期に登場した
ジャパリラインでありますが、どちらかといえば車両愛称かもしれません。
おそらく命名には様々な案が検討されたと思われますが、
呼びやすさや簡略化などを様々な要素を含めた結果、
「ジャパリライン」という比較的手堅い愛称に収まったと考えられます。
列車の愛称は単に車両を区別するためのものに留まらず、
その名前は鉄路の思い出と共に印象を残す象徴でもあります。
名前に込められた想いが、いつまでも輝かしいものとなる事を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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