本日は工業デザイナーでいらっしゃる、
榮久庵憲司(えくあん けんじ)氏の誕生日であります。
・1929年9月11日に東京府にて僧侶の両親の間にお生まれになり、
1930年11月にハワイに移住され、1935年にホノカア小学校に入学されました。
1937年に帰国されると両親の出身地である広島県に転居され、
1942年に東京府立第五中学校に、1945年3月に江田島の海軍兵学校に入学され、
同年8月の終わりに父親の跡を継がれるために広島市へ入られました。
実家の戒善寺は原爆の爆心地から500mのところにあり、
焼け野原の風景と進駐軍の豊富な物資に対する憧れが重なった体験が
榮久庵氏をデザインの世界に向かわせたきっかけであるとされております。
1952年、東京藝術大学在籍中に同大学教授の小池岩太郎氏のもとで、
友人の方々と共にアルバイトグループGK(Group of Koike)を設立され、
このグループが後にデザイン会社へと発展する事となりました。
1959年、黒川紀章氏や菊竹清訓氏ら若手建築家/都市計画家グループと
「メタボリズム」を結成され、唯一の工業デザイナーとして参加されました。
1961年、デザインされた「キッコーマンしょうゆ卓上びん」が大ヒットし、
「しょうゆ=キッコーマン」というブランドの定着に大いに貢献されました。
その後は鉄道車両/オートバイ/自転車/冷蔵庫/洗濯機/
電話機/印刷機械/ミシン/パソコン/カメラ/2016年夏季オリンピックにおける
東京開催招致ロゴなど多数のデザインを手がけられた他、
1970年大阪万博などの博覧会デザインにも参加され、
1989年の世界デザイン博覧会の総合プロデューサーも務められるなど、
日本の工業デザイン界の草分けにして第一人者として活躍されました。
また、1979年に「工業デザイン界のノーベル賞」といわれるコーリン・キング賞、
2000年の勲四等旭日小綬章、2003年のラッキーストライク・デザイナー賞、
2014年のコンパッソ・ドーロ賞国際功労賞など、日本のみならず
フランス/イタリア/フィンランドなど海外の勲章も受章されております。
一方、日本フィンランドデザイン協会の会長を長年務められるなど、
フィンランドとは古くから交流を持たれており、フィンランドのデザインおよび
デザイナーの方々が日本をはじめ世界で知られるよう尽力され、
また中国のデザイン界にも大きな功績を残されております。
1987年には桑沢デザイン研究所第4代所長として、学園内で対立していた
桑沢デザイン研究所と東京造形大学の橋渡し役を務められ、
専門学校教育と大学教育の共生の道の模索に尽力されました。
また、静岡文化芸術大学の創設に携わられ、デザイン学部教授に就任されると
後進の育成に努めると共に初代学部長などの役職を務められました。
2006年6月に同大学の名誉教授に就任された他、
広島国際大学においては客員教授を務められました。
その間もデザイン/デザイナー関連の様々な要職を歴任された後、
2015年2月8日に洞不全症候群により85年の生涯を閉じられました。
なお、広島県福山市の大規模複合商業ビル「RiM-f」(リム・ふくやま)7階にある
福山市ものづくり交流館の一角に「榮久庵憲司展示館」が設けられておりましたが、
RiM-fは老朽化と営業成績の不振から2020年8月30日に閉鎖されております。
ジャパリパークにある様々な備品や機材なども、
工業デザイナーによって手掛けられた製品が揃っているものと考えられます。
特に動物園などの施設はとりわけ特徴的なデザインが必要となる場合があり、
そういう場面こそデザイナーの腕の見せどころと言えるでしょう。
世の中に存在する様々なデザインは必要に応じて決められたものばかりではなく、
ユーモアや遊び心などの自由な精神も大切な要素となっております。
これからのデザイン文化のますますの発展をお祈り申し上げます。
本日もお祈りいたします、みんみー。