本日はドイツのユダヤ人哲学者/啓蒙思想家でいらっしゃる、
モーゼス・メンデルスゾーン氏の誕生日であります。
・1729年9月6日、ドイツのデッサウにてソーフェル(聖書筆写師)の
父親メンデル・ハイマン氏のご子息としてお生まれになりました。
母語はドイツ語ではなく西方イディッシュ語であり、
父親は「デッサウのメンデル」という意味で「メンデル・デッサウ」と呼ばれ、
モーゼス氏も「モーゼス・メンデル・デッサウ」などと呼ばれておりましたが、
後に「メンデルの息子」という意味でドイツ語風に
メンデルスゾーン姓を名乗られるようになりました。
ユダヤ人の貧困階層のため就学できず、父親とラビ(聖職者)の
ダーフィト・フレンケル氏から聖書やマイモニデス
(モーシェ・ベン=マイモーン氏)の哲学、タルムードなどの
教育を施された後、フレンケル氏がベルリンへ移住されたため、
後を追われる形でベルリンへ移り住まれ、ほぼ独学で哲学等を修得された他、
ラテン語/英語/フランス語なども修められました。
また、ジョン・ロック氏、クリスティアン・ヴォルフ氏、
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ氏、
バールーフ・デ・スビノザ氏などの哲学に親しまれました。
21歳の時、ユダヤ商人のイサーク・ベルンハルト氏から依頼された
子供達の家庭教師を4年間務められた後、ベルンハルトの絹織物工場にて
簿記係となられ、後には社員、そして共同経営者となられました。
1754年には劇作家ゴットホルト・エフライム・レッシング氏を知り合われ、
また、哲学者のイマヌエル・カント氏とも文通で交流を深められました。
レッシング氏の数々の劇作においてユダヤ人は非常に高貴な人物として描かれ、
(レッシング氏の代表作「賢者ナータン」のモデルはモーゼス氏)
これらはモーゼス氏に深い感動を与えると共に、
モーゼス氏を啓蒙思想へと導き、信仰の自由を確信させたといわれております。
その後、処女作としてレッシング氏を賞賛する著作を書かれ、レッシング氏も
モーゼス氏に対する哲学の著作を書かれ、互いに親交を深められました。
その後、1763年にはベルリン・アカデミー懸賞論文で、数学の証明と
形而上学に関する論文でカント氏に競り勝つなど、モーゼス氏の名声は高まり、
晩年には主として神の存在の証明に関する研究に没頭され、
著書「暁 − 神の現存についての講義」を執筆されました。
また、レッシング氏を巡って哲学者のフリードリヒ・ハインリヒヤコービ氏らと
汎神論論争を起こされ、その反論書「レッシングの友人たちへ」を刊行中の
1786年1月4日に風邪によって56年の生涯を閉じられました。
・モーゼス氏は、当時キリスト教徒から蔑視されていたユダヤ教徒にも
人間の権利として市民権が与えられるべき事を訴えられると共に、自由思想や
科学的知識を普及させ、人間としての尊厳を持って生きる事が必要と説かれ、
そうした目的の達成のためには信仰の自由の保証が必要であると説かれました。
そして、こうした考えを、体系的でない「通俗哲学」として表現され、
ユダヤ教徒の身分的解放という点でモーゼス氏は大きな役割を果たされました。
みんみ教は、みんみ様の慈愛と寛容の精神が下地となっており、
どなたであっても等しく迎え入れて下さるのも特徴の一つと言えます。
生み出された数多くの経典がそれを物語っており、
それらと合わせて穏やかな集まりを形成しております。
人々の心の拠り所である信仰は分け隔てなく守られるべきものでありますが、
それは人間らしい考え方や生活などに寄り添った存在である事が必須であります。
さすれば、信仰は真の意味で心の拠り所となる事でありましょう。
世界にみんみ様の御加護のあらん事を……
本日もお祈りいたします、みんみー。