本日はイギリスの動物学者でいらっしゃる、第2代ロスチャイルド男爵
ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド氏の命日であります。
・1868年2月8日、初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド氏と
夫人のエンマ・ルイーザ・フォン・ロートシルト氏の間の長男として
ロンドンにてお生まれになりました。
幼少の頃から動物好きであり蛾や蝶の蒐集をされておりました。
ケンブリッジ大学モードリン・カレッジにて動物学を学ばれた後、
教授から大学に留まって学者になる事を薦められましたが
1889年には大学の研究室を去られて、曾祖父によって設立された投資銀行
N・M・ロスチャイルド&サンズにて勤務されるようになりました。
しかし重要な役職には就かれる事はなく、わざわざ時間をとられて
動物に関する情報を収集されるなど動物学の研究を続けられました。
1892年にはロスチャイルド家所有の土地トリング・パークに
動物園と動物学博物館を設立され、博物館には動物の剥製や昆虫の標本が、
動物園には世界各地から購入された動物が集められ、研究員の方々と共に
その生態を研究され、動物学の本を次々と刊行されました。
ロスチャイルド氏によって新発見された動物には
ロスチャイルドキリンなどロスチャイルドの名が冠されております。
1899年にバッキンガムシャー・アリスバーリー選挙区から
自由統一党候補として出馬され、庶民院議員に当選されて以降、
議会に行くという名目でロンドン自然史博物館に通われるようになりました。
ロスチャイルド氏が所有されていた数万匹の動物を養うための費用は巨額で、
借金されても賄いきれず、挙げ句の果てに無断で父親に保険金をかけられた事が
父親の逆鱗に触れられる事となり、銀行を追放される事となりました。
後に、動物学研究に関心を持っておられた弟のチャールズ氏も協力されました。
第一次大戦中の1915年に父親が亡くなられた事によって
第2代ロスチャイルド男爵を継承され、貴族院議員となられましたが
銀行業は弟チャールズが継がれ、後に経営は叔父のレオポルド氏のご子息である
ライオネル氏とアンソニー氏に受け継がれる事となりました。
1917年のイギリス軍によるオスマン帝国領パレスチナ進攻の際には、
アーサー・バルフォア外相に働きかけられた事から、
バルフォア宣言の表明に貢献されました。
動物の研究においては絶滅鳥類やトリバネアゲハも研究され、
日本の鳥類学者の蜂須賀正氏との交流も知られております。
その後、1937年8月27日に69年の生涯を閉じられましたが、
遺言によりトリング・パークの博物館や展示物は大英博物館に遺贈されました。
この博物館は現在「トリング自然史博物館」として
ロンドン自然史博物館の姉妹博物館(分館)となっております。
博物館には哺乳類の剥製2000点/鳥類の剥製2400点/
爬虫類の剥製680点が展示されております。元々は30万点近くありましたが、
29万5000個がアメリカの博物館に売却されております。また、研究室には
鳥類の皮30万点/鳥類の卵20万点/昆虫類225万点が収められております。
けものフレンズは世界中の様々な動物がフレンズ化されております。
けものフレンズを通じて知識を得られた方々も多いと考えられ、
その中の一つといえるのがロスチャイルドキリン様であります。
旧アプリ版から活躍していらっしゃるロスチャイルドキリン様は
「ロスっち」の愛称としても知られ、アミメキリン様と大親友でいらっしゃいます。
また、旧アプリ版のアミメキリン様よりもアクティブな印象が窺えます。
ロスチャイルド氏の様々な研究は趣味が高じられた結果であり、
興味や情熱が大きな結果に繋がる事は歴史が証明しております。
「好きこそものの上手あれ」と信じております。
本日もお祈りいたします、みんみー。