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みんみ教徒の集い / 3429

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流浪のみんみ教徒 2022/08/23 (火) 00:03:03 457e0@27f30

本日はフランスの博物学者でいらっしゃる、
ジョルジュ・キュヴィエ氏の誕生日であります。
フルネームは「バロン・ジョルジュ・レオポール・クレティアン・
       フレデリック・ダゴベール・キュヴィエ」氏であります。
・1769年8月23日、神聖ローマ帝国・ヴュルテンベルクのメンペルガルト
 (現在のモンベリアル)にある、退役将校の家庭のご子息としてお生まれになり、
 その当時は「ヨハン・レオポルト・ニコラウス・フリードリッヒ・キューファー」
 というお名前でありました。シュトゥットガルトのカルルスシューレ
 (当時設立された軍人養成校)にて4年間学ばれた後、
 エリシー伯爵家にて家庭教師を担当されました。エリシー伯爵は例年
 フェカンの近くで夏を過ごされておりましたが、それが縁で当時フェカンに
 蟄居されていたアンリ=アレクサンドル・テシエ氏の知遇を得られました。
 テシエ氏がパリに住む友人の方々宛に紹介状を書かれた結果、キュヴィエ氏は
 博物学者のエティエンヌ・ジョフロワ・サンティレール氏と文通された後、
 1795年に国立自然史博物館の比較解剖学教授の助手に採用されました。
 また、同年に設立されたフランス学士院の会員に選出され、
 1796年からはパンテオン中央学校にて自然史ないし博物学の教師に就任され、
 4月の学士院の集会にて古生物学の論文となる文章を発表されました。
 これは後の1800年に出版される事となる著書
 「現存および化石のゾウ種についての覚書」の原型となるものでありました。
 1798年に初の著書「動物の自然史基礎編」を出版され、
 1799年に博物学者のルイ・ジャン=マリー・ドバントン氏の後継で
 コレージュ・ド・フランスの自然史教授に就任されました。
 その翌年に出版された「比較解剖学教程」(全5巻)は、
 初め2巻がアンドレ・デュメリル氏の、残り3巻が
 ジョルジュ・ルイ・デュヴェルノワ氏の協力のもと執筆されたものであります。
 1802年にパリ植物園の正規の教授に就任され、その同年には学士院代表として
 公教育の視学監督官に任命されて南フランスを視察されましたが、
 1803年初頭に学士院の物理学および自然科学部門の終身書記に選出された結果、
 視学監督官の職を辞任されてパリへと戻られました。
 主要な古生物学と地学の調査結果は最終的に2つの別々の研究として発表され、
 その一つは1812年にパリで出版された著書で、1821年と1825年に改訂された
 「Recherches sur les ossements fossiles de quadrupedes」で、
 もう一つは1825年にパリで出版された著書である
 「Discours sur les revolutions de la surface du globe」であります。
 キュヴィエ氏はこの研究で現生及び化石動物での全調査結果を具体化され、これは
 昆虫学者ピエール・アンドレ・ラトレイユ氏の支援によるものでもありました。
 1821年、キュヴィエ氏は出版された著書の中で
 「大型哺乳動物の新種発見はもはや有り得ないだろう」と述べられましたが、
 その声明以降もアカカンガルー/ジャワサイ/ニシゴリラ/ジャイアントパンダ/
 オカピなど体長1mを超える多くの新種が発見されており、1823年には
 キュヴィエ氏自身もツキノワグマを新種記載される結果となりました。
 また、動物学と古生物学の独自調査とは別に、学士院の終身秘書及び
 全体の公教育の関連として仕事を行なわれ、後にそれらの殆どが出版されました。
 1808年、ナポレオン・ボナパルト公の命により、フランスへ加えられた
 アルプスとライン川の向こうの地区のより高い教育樹立状況を調査されて、
 中央の大学と提携する方法を報告される任務で帝国大学の評議会へ配属されると
 その議長を務められ、これについて3つの別々の報告書が発表されました。
 再び学士院終身秘書の地位で多数の物理学/自然科学史の報告書の筆者となられ、
 それらの最重要部分の殆どが1810年に出版されました。
 ナポレオン公の没落に先立って国務院ないし護憲元老院議会に認められ、
 その後は学長に就任され、その地位で公教育評議会の仮の会長として活動され、
 その一方でルター派としてプロテスタント神学部を監督されました。
 1819年には内政委員会の会長に任命され、晩年までその職を務められました。
 1826年にレジオン・ドヌール勲章を授与され、七月王政期の1831年には
 ルイ・フィリップ公により貴族に昇格され、貴族院議会議長に任命されました。
 1832年の初めに内務相に指名されましたが、
 その年の5月13日にコレラによって62年の生涯を閉じられました。
ジャパリパークにお住まいのフレンズの方々の中には、
珍しい種類や個体数の少ない動物のフレンズの方々もいらっしゃいます。
そして、キュヴィエ氏が手掛けられた比較解剖学や古生物学が
パーク内の研究施設にて活かされているものと考えられます。
動物に関しては現代においても様々な調査が行われており、
今までにない発見も続々と発表されております。
日々調査や研究をされている研究者の方々には頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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