本日はフランスのバレエダンサー/振付家でいらっしゃる、
ジュール・ジョゼフ・ペロー氏の誕生日であります。
・1810年8月18日にリヨンにてお生まれになり、バレエダンサーとしての
キャリアを重ねられた後に、スウェーデン/イタリアのバレエダンサーの
マリー・タリオーニ氏など同時代の偉大なバレリーナの方々と共演されました。
1835年にパリ・オペラ座を離れられ、ロンドン/ミラノ/ウィーンなど
ヨーロッパの各都市を公演でまわられました。
ナポリでにてバレエダンサーのカルロッタ・グリジ氏を見いだされ、
1836年に自身のパートナーとしてグリジ氏とロンドンで共演されました。
また、同年から振付の仕事を始められ、「ジゼル」の振付が成功すると、
「アルマ」や「妖精の名付け子」をイタリアのバレエダンサー/振付家の
ファニー・チェッリートのために振付を担当されました。次の6年間は
ロンドンのハー・マジェスティーズ劇場のため定期的に振付をされ、
「オンディーヌ」「エスメラルダ」「パリスの審判」「パ・ド・カトル」を手掛けられ、
特に「パ・ド・カトル」はペロー氏の振付の中でも傑作とされております。
1850年代にはダンサーとしてサンクトペテルブルクの帝立バレエと契約され、
後にバレエ監督に就任されました。その間に帝立劇場学校の生徒の
カピトリーヌ・サモヴスカヤ氏と結婚されて2人の子供を授けられました。
帝立バレエから退任された後は余生を送るためにパリへと戻られ、
1892年8月29日にペロー氏は82年の生涯を閉じられました。
けものフレンズにおいてダンスや振り付けで思い浮かぶ方々といえば、
やはりPIPおよびPPPの皆様かもしれません。
旧アプリ版およびそれ以降の作品で異なる部分がありますが、
メンバー自身によって振り付けや曲目の選定などが行われ、
後にマネージャーとしてマーゲイ様も加わられて以降も、
ステージを精力的にこなされている場面はとても印象深いものであります。
ダンスは楽しみながら全身運動ができる方法の一つであり、
学校教育の一環としても広く行われているものでもあります。
これからダンス文化が更なる広がりを見せる事を期待しております。
本日もお祈りいたします、みんみー。