本日はロシアのイラストレーターでいらっしゃる、
イヴァン・ヤーコヴレヴィチ・ビリビン氏の誕生日であります。
・1876年8月16日にサンクトペテルブルク郊外にお生まれになり、
1898年にミュンヘンのアントン・アシベのアトリエへ留学され、
帰国後は画家/彫刻家のイリヤー・エフィーモヴィチ・レーピン氏のもとで
研鑚を積まれました。1899年にロシアのお伽話に基づく
斬新な挿絵を発表されて高い評価を得られました。1905年革命の間は
革命に関する戯画を描かれ、1902年から1904年にかけて北ロシアへの
民族調査に参加されて古い木造建築やロシアの伝承を調査されました。
その調査の成果を研究論文「ロシア農村の芸術遺産」「北ロシアにおける民衆芸術」
「16-17世紀におけるロシア衣服についての一言」を発表され、
更に日本の浮世絵からも大きな影響を受けられました。
ロシア革命時にら革命に相容れないものを感じられてソ連を脱出され、
カイロとアレクサンドリアに短期間逗留された後に、
1925年に定住されたパリでは私邸や教会の装飾職人として働かれました。
1936年にソ連大使館の模様替えを終えられるとソ連に帰国され、
1941年までソ連美術アカデミーにて教鞭を執られました。
第二次大戦時のレニングラード包囲戦の最中の
1942年2月7日に75年の生涯を閉じられました。
・1980年にイヴァンゴロド美術館が開業し、ビリビン氏の作品や
北ロシアからの採集物(作品の資料)が所蔵されております。
その他、ロシア民族学博物館にも採集物が保管されておりますが、
こちらではごく一部しか一般公開されておりません。
日本においては、手塚治虫氏が筒井康隆氏の著書「イリヤ・ムウロメツ」にて
描かれた挿絵が「ビリービン様式」をほぼそのまま倣っている他、
宮崎駿氏もアニメーション作品における手法として
ビリビン氏の挿絵を参考にされているなど、日本の漫画やイラストレーションに
大きな影響を与えていると考えられておりますが、
一般にはあまり認知されていないのが現状であります。
しかし、ビリビン氏の手法が後世に影響を与えているのが確かである事から、
20世紀初頭で最も影響力のあるイラストレーターの一人といわれております。
けものフレンズには数々の漫画作品も出版されており、
そこには昔から用いられてきた様々な手法が活かされております。
日本の漫画は手塚治虫氏が開発された手法が現代でも広く用いられており、
そこにはビリビン氏の挿絵から発展した手法も活かされている事と考えられます。
文化は代々受け継がれる他、その精神はそのままに様々な形へと発展して、
世界中に広がって新しい時代へと進んでおります。
その精神はどのような武力よりも強く逞しいものであると信じております。
本日もお祈りいたします、みんみー。