本日はオーストリア・ハンガリー帝国(現在のチェコ)・プラハ出身の
生化学者でいらっしゃる、ゲルティー・コリ氏の誕生日であります。
・1896年8月15日にユダヤ人のご家庭にてお生まれになり、
女子の学校に入るまでは家庭にて教育を受けられました。
小児科医を営まれている叔父が医学部を勧められた事から、
1914年にプラハ・カレル大学に入学され、カール・コリ氏と出逢われました。
卒業後の1920年にカール氏と結婚され、カトリックに改宗されました。
1922年、夫妻はニューヨーク・バッファローのロズウェルパーク癌センターに
勤務されるためにアメリカに移住され、1928年に帰化されました。
アメリカでは体内でのエネルギーの生成機構の研究に取り組まれ、
生化学的な観点からグルコースの代謝経路を研究されました。
コリ夫妻はロズウェルにいる間に50の学術論文を出版した。
また、ゲルティー氏単独で11の論文も発表されました。
1929年、夫妻は筋肉→肝臓→筋肉という体内でのエネルギーの流れを示した
概念を発表され、自身の名前を冠して「コリ回路」と名付けられました。
夫妻は炭水化物代謝の論文をまとめた後にロズウェルを後にされ、
夫婦一緒に働く事を最優先とし、それができない仕事は断っておりました。
1931年にミズーリ州セントルイスに引越され、
カール氏はセントルイス・ワシントン大学医学部の生理学の教授に就任され、
ゲルティー氏にはカール氏の助手のポストが与えられたのみでありました。
1947年にカール氏が生化学科の科長に就任されたの同時に
ゲルティー氏も教授に就任され、晩年まで務められました。
また、この年にはエネルギーの貯蔵や消費におけるグリコーゲンの分解や
再生成の機構を解明した「コリ回路」が評価された事により、夫のカール氏や、
アルゼンチンの生理学者のバーナード・アルバート・ウッセイ氏と共に
1947年度のノーベル生理学・医学賞を受賞されております。
これによってゲルティー氏は女性としては3人目の、
アメリカ人女性として初の自然科学分野でのノーベル賞受賞者となられました。
1948年にはGarvan-Olinメダルを受賞されております。
ゲルティー氏は1957年10月26日に61年の生涯を閉じられました。
なお、セントルイスの「Walk of Fame」には夫婦揃って飾られており、
月にある「コリ・クレーター」はゲルティー氏の名前に因んだものであります。
フレンズの皆様にとっての主食であるジャパリまんは、
フレンズの元となる動物に必要な栄養素を参考に作られたものであります。
様々な分析結果から得られた数多くのデータから最適のバランスを選び出し、
用いられる原料からこだわって製造されているものであると考えられ、
そこにはコリ夫妻の研究結果も活かされているものと想像できます。
私達の生活は数々の栄養素によって支えられており、それに関する
様々な研究を行われている研究者の方々には頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。