本日は1880年にドイツのケルン大聖堂が完成した日であります。
・ケルン大聖堂はドイツのケルンにあるゴシック様式の大聖堂で、
正式名称は「ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂」であります。
初代は4世紀に完成した正方形の建造物であり、
最も古い聖堂として知られておりました。
2代目は818年に完成し、12世紀後半に東方三博士の聖遺物が置かれた事で
多くの巡礼者を集めてケルンの発展に貢献しておりましたが、
1248年4月30日に発生した火災によって焼失してしまいました。
同年8月15日に礎石が据えられて現存する3代目の建設が始まりましたが、
16世紀に入って宗教改革を発端とした財政難のため工事が途絶したため、
正面のファサードの塔が一つのみという状態が続き、
建設が再開されるのは19世紀に入ってからでありました。
ナポレオン戦争の影響によりドイツでナショナリズムが高揚する中、
中世ドイツに自民族の伝統を探し求める動きが強まり、
建築の世界ではゴシック・リヴァイヴァルの潮流が強まり、
建設途中であったケルン大聖堂に注目が集まったため、
1842年に建設が再開され、もう一つの塔の完成が急がれました。
聖堂が竣工したのは建設開始から600年以上が経過した1880年8月14日であり、
同日には皇帝ヴィルヘルム1世臨席の下、完成祝賀式典が催されました。
高さ157mの大聖堂はアメリカのワシントン記念塔(169m)が完成する
1884年まで建築物としては世界一の高さを誇っておりました。
「皇帝の鐘」と称される鐘が南塔に取り付けられておりましたが、
第一次大戦の際に金属供与のために接収されてしまいました。
大聖堂は第二次大戦時の連合軍の空襲によって14発の直撃弾を受け、
内部は激しく破壊されたものの聖堂全体は崩れなかったため、
1956年まで復旧工事が行われて元の状態に復元されました。
この際に周囲の廃墟から再利用したレンガで復旧された部分が残りましたが、
1990年代に入ってから空襲前の外観に戻す作業が始まりました。
また、修復の一環として破損したステンドグラスの一部が
画家のゲルハルト・リヒター氏による近代的なモザイク風の
市松模様のものに置き換えられておりますが、
これについては現在でも賛否両論がある状況となっております。
1996年、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産登録基準のうち、
(1)人類の創造的才能を表現する傑作。
(2)ある期間を通じてまたはある文化圏において、
建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、
人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3)現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、
唯一のまたは少なくとも稀な証拠
といった要件を満たして世界遺産(文化遺産)に登録されました。
しかし、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機に晒された事によって
2004年に危機遺産に指定されましたが、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど
ケルン市当局の懸命な努力により2006年をもって解除されております。
みんみ教は、慈愛と寛容の象徴であらせられる
みんみ様を中心とした穏やかな集まりであります。
特定の建造物といったものが存在しないかわりに、このトピック以外にも
みんみ教に関連する作品や掲示板、みんみ教wikiなどのサイト等々、
時間を問わず様々な場所にて祈りを捧げる事が可能となっております。
大がかりな建造物や重厚な書類等が特に重要視されていた時代とは異なり、
現代の世の中は様々な形で情報を得る事が可能となっておりますが、
祈りや心の在り方、平和への願いは時代を問わないものであり、
穏やかなる祈りとして未来永劫伝えられるものであると信じております。
世界に、みんみ様の御加護のあらん事を……。
本日もお祈りいたします、みんみー。