本日は1991年に、イギリスの計算機科学者でいらっしゃる
ティモシー・"ティム"・ジョン・バーナーズ=リー氏が、
自身が開発された「World Wide Web」に関する情報を
ネットニュースで公開され、世界初のWebサイトを開設された日であります。
ティモシー・"ティム"・ジョン・バーナーズ=リー氏は1955年6月8日、
黎明期の電子計算機の一つ「Manchester Mark I」の開発チームに
参加されていた数学者の夫妻コンウェイ・バーナーズ=リー氏
メアリー・リー・ウッズ氏との間にロンドンでお生まれになり、
1973年にロンドンのエマニュエル校を卒業された後、オックスフォード大学の
ザ・クイーンズ・カレッジに進学されて物理学を専攻されました。
在学時には自身最初のコンピュータをはんだごてとTTLゲート、
M6800プロセッサ、中古のテレビ受像機を使って組み立てられました。
1976年に卒業後、イギリスのプレッセイ電信電話会に2年間勤務され、
分散トランザクションシステム/メッセージ転送/バーコード技術などを
担当されました。1978年にD・G・ナッシュ社に転職され、
インテリジェントプリンタ用ソフトやマルチタスクOS等を開発されました。
D・G・ナッシュ社を退職された後は個人でコンサルタントを営まれ、
1980年6月にスイス・ジュネーヴの欧州原子核研究機構(CERN)に
ソフトウェア技術のコンサルタントとして6ヶ月間在籍されました。
バーナーズ=リー氏は数千人に上る研究者や参加者に
効率よく情報を行き渡らせるためのシステム開発を命じられましたが、
折しもバーナーズ=リー氏は個人的開発作業の一環として、ランダムに
他の文書と連結できる仕組みを持ったENQUIREを開発しておられました。
公表こそされませんでしたが、これがWWWの概念の基礎となるものでありました。
1981年からの4年間はイメージ・コンピュータ・システムズ社の技術デザインの
責任者を務められた後、1984年にCERNへ復帰されると科学データ閲覧のための
分散リアルタイムシステムに関する業績でフェローシップを贈呈されました。
1989年3月、後にWWWへ発展する事となる、CERN内の情報にアクセスするための
グローバルハイパーテキストプロジェクトの提案を公式に行われました。
上司のマイク・センドール氏や同僚のロバート・カイリュー氏による
支援も受けられ、1990年11月にはより具体化した提案書
"WorldWideWeb:Proposal for a HyperText Project"を提出されました。
同年12月にNEXTSTEP上で世界初のWebサーバであるhttpdと
世界初のウェブブラウザ・HTMLエディタであるWorldWideWebを構築され、
1990年12月20日、世界最初のウェブサイトである
「http://info.cern.ch/」を公開されました。
1991年8月6日には「World Wide Webプロジェクトに関する簡単な要約」を
alt.hypertextニュースグループに投稿され、CERNは1993年4月30日、
WWWを誰に対しても無償で開放する事を発表されました。
また、URL、HTTP、HTMLも最初の設計もバーナーズ=リー氏でありました。
1994年、マサチューセッツ工科大学に着任した直後に
「World Wide Web Consortium」(W3C)を設立されました。
これはWWWの仕様や指針、標準技術を策定/開発する事で、
WWWの可能性を最大限に導く事を目的としております。
1999年、MITコンピュータ科学研究所内の3Com創業者会会長に就任され、
2004年12月にはサウサンプトン大学電子コンピュータ科学部の
学部長及び教授に就任され、次世代のWeb技術として、
Semantic Web技術の標準化を進められております。
2009年には「World Wide Web Foundation」を設立されております。
けものフレンズの始まりである旧アプリ版はサービスを終了しておりますが、
それに関する情報は現在でもWeb上で確認する事が可能となっております。
また、けものフレンズは特にテレビアニメが広く知られておりますが
そのきっかけはインターネット上にて大きな話題を呼んだ事でありました。
これらの下地にはバーナーズ=リー氏による技術が活かされております。
今や、インターネットは世界における主要な情報伝達手段であり、
Web上における様々な技術を開発される方々には頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。