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みんみ教徒の集い / 3407

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流浪のみんみ教徒 2022/08/05 (金) 00:03:03 457e0@eb9ed

本日はイギリスの発明家/技術者でいらっしゃる、
トーマス(トマス)・ニューコメン氏の命日であります。
・1664年2月24日、イングランド南西部デヴォン州ダートマスにて、
 金物商でいらっしゃる父親のイライアス氏と母親のサラ氏が授かられた
 5人兄弟姉妹の3番目(次男)としてお生まれになり、
 セント・セイヴィア教会にて洗礼を受けられました。
 1678年頃からエクセターへ金物商の徒弟奉公に出られて、
 1685年頃にダートマスへ戻られて家業の金物商を務められました。
 また、コーンウォールやデヴォンの鉱山をしばしば訪れ、
 鉱山産業のための機器の製造/販売も手掛けられました。
 当時の鉱山では坑道内での排水が大きな課題となっていた事から、
 ニューコメン氏は排水方法の改善に従事されるようになりました。
 この頃、ダートマスの配管工でガラス職人のジョン・コウリー氏と出会われ、
 その後、共同で鉱山の排水のための機関の開発を行われるようになりました。
 ニューコメン氏とコウリー氏は10年余りの思考と実験の末、トマス・セイヴァリ
 1710年頃には蒸気機関をほぼ開発できたといわれております。
 確認されている最初の成功した機関は、1712年にスタッフォードシャー州の
 ダドリー城近くのコウニーグリー炭鉱で建造された機関であり、
 鉱山主の間で評判を呼び、イギリス及びヨーロッパ各地から訪問者が訪れ、
 他の炭鉱所有者がニューコメン機関を採用する方向へ動き出しました。
 実用的な蒸気機関を製作されたニューコメン氏でありましたが、
 ニューコメン氏自身は一切特許を取得されておりませんでした。
 それに先駆ける1698年にイギリスの発明家/技術者のトマス・セイヴァリ氏が、
 「火力によって揚水する装置」という広い特許を保持されておりました。
 この特許はいわば基本特許である上に1733年まで有効とされ、
 原理も形式も大きく異なっているニューコメン機関は
 セイヴァリ機関として建造販売せざるを得ない状況でありました。
 後にニューコメン氏とセイヴァリ氏は直接出逢われて協力関係を成立され、
 ニューコメン氏にとって不利益なものではなかったと考えられております。
 ニューコメン氏による機関は1720年に建造された
 ホイール・フォーチュンの機関が最後となり、後にニューコメン氏は
 ビジネスでロンドンに滞在される日が多くなりましたが、そこでのパートナーで
 友人のエドワード・ウォリン氏の自宅にて2週間病床に伏された後、
 1729年8月5日に熱病によって65年の生涯を閉じられました。
 ニューコメン氏が亡くなられた後も、多くのニューコメン機関が建造され、
 最後まで動いていた機関は1950年代まで稼働しておりました。
 1920年にロンドンに設立された科学史の学会は、ニューコメン氏の名に因んで
 「ニューコメン協会」という名前となり、1922年より機関誌
 「Transactions of the Newcomen Society」を発行しております。
 その後、アメリカ等にも支部(合衆国ニューコメン協会)が設立されております。
ジャパリパークがある世界においても様々なテクノロジーが活躍しておりますが、
そこに至るまでの時代には蒸気機関などの方法も存在していたと想像できます。
また、蒸気機関は廃れたとしても、それに使用されている機械的手法は
後の時代の様々なテクノロジーに活用されているはずであります。
現代の主要な産業において運用されているテクノロジーについて、
蒸気機関が活躍する場面はもはや限られておりますが、
現代に生きる技術の源流には昔から伝わる技術の礎があり、
そこには先人の方々による試行錯誤の歴史があります。
テクノロジーを生み出される方々には頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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