本日はイギリスの鉱山技師/地震学者でいらっしゃる、
ジョン・ミルン氏の命日であります。
・1850年12月30日にイギリスのリバプールにてお生まれになり、
1876年に工部省工学寮教師に招かれて来日されました。
1877年、函館にて研究調査を行われた後に、アジア協会誌に
「渡島の火山を訪れて」と題した報告論文を発表されました。
また、浅間山に登られた後にイギリスにてその事の報告を行われました。
1878年、アメリカの動物学者エドワード・シルヴェスター・モース氏、
イギリスの博物学者トーマス・ライト・ブレーキストン氏らと共に
函館の貝塚を発掘された後に、根室市の弁天島にて貝塚を発見され、
縄文時代の大森貝塚の絶対年代を2640年前と推定されました。
1880年に日本地震学会を創設され、
1881年に願乗寺(西本願寺函館別院)の住職・堀川乗経氏の
長女トネ氏と結婚され、「日本の石器時代についての論文」を発表されました。
1886年、東京帝国大学の工学部にて鉱山学/地質学を担当され、
著書「地震とその他の地球の運動」を出版されました。
1887年に王立協会フェローに選出され、1892年にスコットランドの写真家
ウィリアム・キニンモンド・バートン氏との共著で、
前年10月28日に発生した濃尾地震による被害についての写真集
「THE GREAT EARTHQUAKE OF JAPAN」を出版されました。
1894年に「ミルン水平振子地震計」を制作された後、
1895年に夫人と共にイギリスに帰国され、住居を南イングランドの
ワイト島シャイドに構えられて研究を続けられました。
その後、東京帝国大学名誉教授の称号を授与され、
1898年に著書「地震学」を出版されました。
1913年7月31日、イギリスにて63歳の生涯を閉じられました。
ジャパリパーク設立の発端は、海底火山の噴火によって
大規模の島が出現した事でありました。となれば、パークを含めた地域は
火山活動が活発な状態が維持されている事が考えられます。
また、アニメ一期では山からのサンドスター噴出が度々発生しており、
これも地殻内の活動が活発な状態である事の証左となっております。
日本を含めた環太平洋地域は環太平洋火山帯と重なっており、
それに伴う形で世界有数の地震発生地帯に入っている以上、
私達の生活は常日頃から地震のリスクと隣り合わせとなっております。
いつどこで発生するか判らない地震に対して、
日頃から様々な準備をしておくのに越した事はないのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。