本日は鳥類学者でいらっしゃる、山階芳麿氏の誕生日であります。
・山階芳麿(やましな よしまろ)氏は日本を代表する鳥類学者のお一人で、
山階鳥類研究所の前身となる山階家鳥類標本館の創設者でもいらっしゃいます。
1900年7月5日、当時の東京市麹町区にて皇族・山階宮菊麿王の
第2子としてお生まれになり、昭和天皇(範子妃)、
香淳皇后とは継母(常子妃)を通じての従兄にあたります。
幼い頃から鳥に興味を持たれていた事から、
6歳の誕生日に一つがいのオシドリの剥製を贈られました。
1907年に学習院初等科入学され、学習院中等科在籍時に、
明治天皇からの沙汰により陸軍中央幼年学校予科に入られました。
陸軍中央幼年学校本科、陸軍士官学校(33期)を経られて
陸軍少尉に任官されて、砲兵将校となられました。
1920年7月5日に勲一等旭日桐花大綬章を受章された同日に、
貴族院皇族議員に就任されましたが、皇室の内規に従い臣籍降下を願い出られ、
7月20日の皇族会議で認められました。7月24日、大正天皇から山階の家名と
侯爵の爵位を与えられると同時に従四位に叙せられ、
貴族院議員を退任されました。後に陸軍砲兵中尉には任官されましたが、
動物学研究の望みを断ち難い事から軍を退役されました。
1925年4月21日に伯爵の酒井忠道氏(旧小浜藩)の次女・寿賀子氏と結婚され、
同年7月4日に貴族院侯爵議員に就任され、1929年4月に東京帝国大学理学部
動物学科選科(のちの東京大学大学院)に入学されて、
2年にわたって動物学の基礎を学ばれ、1931年3月に修了されました。
1932年に山階鳥類研究所の前身である山階家鳥類標本館を設立され、
1939年に北海道帝国大学(後の北海道大学)の小熊捍(おぐま まもる)教授の
指導を受けられ、鳥類の雑種における不妊性の研究に取り組まれ、
1942年に「鳥類雑種の不妊性に関する論文」によって北海道大学から
理学博士号を授与されました。1946年5月12日に貴族院議員を辞職されました。
その後、鳥類の染色体の研究に取り組まれ、1947年に鳥類の分類に
染色体による分類法を導入され、国内外から高い評価を獲得されました。
1949年に関連論文の集大成「細胞学に基づく動物の分類」を上梓され、
1950年に日本遺伝学賞を受賞されました。戦後のタンパク質不足から、
文部省から「ニワトリの増殖」について研究委託を受けられ、
多産で肉質がよいニワトリの品種改良にも取り組まれ、
その他、バリケンとアヒルの雑種ドバンの増殖研究にも力を入れられました。
鳥類の保護にも大きな熱意を注がれ、日本鳥学会会頭、日本鳥類保護連盟会長、
国際鳥類保護会議副会長、同アジア部会長等を歴任されました。
1966年に紫綬褒章を受章され、1977年に鳥学の世界のノーベル賞とも言われる
ジャン・デラクール賞を受賞されました。
1978年には「世界の生物保護に功績があった」との評価から、オランダ王室から
第1級ゴールデンアーク勲章を受章されました。
1989年1月28日に88年の生涯を閉じられました。
けものフレンズには様々な鳥類のフレンズがいらっしゃる他、
ジャパリパークにはフレンズの方々以外に様々な鳥類がいると思われます。
パーク内にある研究施設ではフレンズの方々のみならず、
鳥類を含めて様々な動物についての研究が行われているものと思われます。
現在に至るまで、鳥類に関して数多くの研究が進められておりますが、
現在のように情報やツールが充実していない時代から、
様々な研究を進められてきた先人の方々の偉業には頭が下がります。
本日もお祈りいたします、みんみー。