本日は1974年に、東京都恩賜上野動物園のアトラクション
「おサル電車」の営業が終了した日であります。
・「おサル電車」は上野動物園で運用されていた遊戯施設で、
先頭車両に猿が座り、後続車両にお客様を乗せて走る電車で、
「お猿の電車」という愛称で親しまれておりました。
その誕生の背景には太平洋戦争が及ぼした大きな影響があります。
空襲によって動物園の檻が壊れて猛獣が逃げ出す事を恐れて、
ゾウやライオンといった人気のある動物を処分せざるを得なくなった結果、
終戦時の上野動物園には集客を見込めるものが無い状態でありました。
こうした中で、子供達に向けた企画の一つとして
「おサル電車」が誕生する事となりました。なお、「おサル電車」を
世に生み出されたのはロボット研究家である相澤次郎氏とされておりますが、
相沢氏が上野動物園に提案されたのはロボットが運転する電車であり、
猿が運転する電車を考えたのは上野動物園側でありました。
ただし、企画と完全に無縁であったわけではなく、初代の「おサル電車」は
相沢氏が提供されたロボット電車に猿が搭乗しておりました。
・「おサル電車」の営業開始は1948年9月23日でありました。
当初の運用はバッテリー駆動の電気機関車を猿が運転して
客車を牽引する方式で、乗客は子供のみ、料金は3円でありました。
猿が運転しているため、時にはバックしたり止まったりする事があるなど、
その「気まぐれ」な部分も売りの一つでありました。
営業開始されるとたちまち人気アトラクションとなりました。
また、この「おサル電車」は子供向けのアトラクションの他に、
動物心理学の実験、猿の知能の紹介といった事も目的とされておりました。
その後、猿の訓練が大変である事、10歳以上まで成長した猿は
凶暴性を帯びて乗客に危害を加える可能性がある事などを理由に、
1955年頃には猿による運転が中止されて係員による操作に切り替えられ、
猿は先頭車に座るだけという運用に変更されましたが、
後に再び猿が運転する運用に戻っております。
1962年5月には上野動物園の開園30周年を機に大幅な改装が行われ、
軌間は従来の455mmから520mmに、軌条は6kgから9kgに、
集電方式は直流第三軌条方式に変更されると同時に車両も大型化され、
先頭車は当時開業間近であった新幹線車両を模したものとなりました。
しかし、1973年に「動物の愛護及び管理に関する法律」が制定された事によって、
「おサル電車は、猿に多大な負担をかける」という判断から廃止が決定され、
1974年6月30日をもって営業を終了する事となりました。
最終日には「さよならおサル電車」と銘打った営業となり、
今まで運転する側であった猿が乗客となる場面もありました。
ジャパリパークにおける車両の運行は職員の方々以外に、
ラッキービースト様による半自動運転となっておりますので、
通常はフレンズの方々が運転される事はありません。
ただ、作品中において例外的な場面が描かれたものといえば、
アニメ一期の第五話「こはん」での一場面でありましょう。
見通しの良いドライブコースにてラッキービースト様が
かばん様にジャパリバスの運転を薦められた場面でありますが、
そもそも運転を薦められた事自体が異例であると言えます。
かばん様が遠慮される一方、興味津々な様子のみんみ様は運転席に飛び込まれ、
おもむろにステアリングやペダルなどを動かしておられましたが、
その後、アメリカビーバー様が建築のために
立てておられた材木に衝突されてしまいました。
動物の中でも類人猿は知能の高さや器用さが特に目立つ存在でありますが、
ヒトの成人と同じくらいの事をさせるには負担が大きいのは確かであります。
それ故に「住む世界が違う」という事実も考えざるを得ないのかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。
この手のモノって動物は基本お飾りだと思うんですが、
実際にサルが動かしてたのって珍しいですよね
翻って、ボスがかばんちゃんに運転を勧めたシーンを考察してみると、
1.来園者に(ボスのサポート付きで)運転させるサービスが想定されていた
2.かばんちゃんにミライさんを重ねて見ていたボスが、
その仮説の正しさを検証するためにバスの運転手を譲ろうとした
みたいなことが考えられますが、果たして・・・?
実際はサーバルの邪魔(w)が入ってギャグ展開にされてしまうわけですが
(サーバルってちょくちょく絶妙のタイミングでフラグ潰しますよねw)
おそらく、ラッキービースト様はかばん様を
お客様として認識されていたと思われるため、
ジャパリバスの運転を薦められた場面は、一つの謎とも言えます。
暫定パークガイドへの認定後であれば、まだ自然な感じもしますが。