本日は1952年にメキシコの考古学者アルベルト・ルス氏が、
ユカタン半島にある古代都市遺跡パレンケの
「碑文の神殿」にて石室墳墓を発見された日であります。
アルベルト・ルス氏は、メソアメリカの研究で広く知られた
メキシコの考古学者で、マヤ文明の研究者として知られております。
1906年1月27日、フランスのパリにてキューバ人の父親と
フランス人の母親との間にお生まれになりました。
なお従兄弟には、1976年から2008年までキューバの国家評議会議長と
閣僚評議会議長を務められたフィデル・カストロ氏がいらっしゃいます。
キューバの首都ハバナのカレッジを卒業された後、
1936年にメキシコに移り住まれ、そこで市民権を取得されました。
1945年にパレンケ遺跡の発掘を開始され、1948年に遺跡内の
碑文の神殿の下に隠されていたキニチ・ハナーブ・パカル1世(パカル大王)の
墓の入口を発見され、1952年に遂に大王の棺と遺体を発見されました。
パレンケでの発掘作業は1958年まで続けられました。
その後、ルス氏はメキシコ国立自治大学にマヤ文化研究室を設けられ、
1961年に学術雑誌「Estudios de Cultura Maya」を創刊されました。
その後は晩年までメソアメリカおよびマヤ文明の研究を続けられましたが、
1979年8月25日にカナダのモントリオールにて73年の生涯を閉じられました。
その後、メキシコ政府はルス氏の功績を讃えるため、
パレンケ遺跡の前にルス氏の墓を建てる事を許可しております。
・パレンケはメキシコに存在するマヤ文明の古代都市遺跡で、
メキシコにある世界文化遺産の一つであります。
ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置しており、
7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構としての宮殿を中心とする、
「マヤ遺跡の典型」といわれる建物群を密林の中に配置しております。
18世紀の半ば頃にスペイン人の手により発見に至り、
その本格的な発掘調査が始まったのは1948年からであります。
その調査の最終局面にあたる1952年6月15日、メキシコの考古学者
アルベルト・ルス氏が「碑文の神殿」の地下室に辿り着かれ、
室内の壁面にはめ込まれていた巨大な石板を取り外されたところ、
鍾乳石の垂れ下がる広い洞窟のような部屋がその向こう側に確認されました。
そこには殉死者と目される数体の遺体に加え、肖像画やマヤ文字、
生命樹の図柄の浮彫が施された石の蓋、そしてその下に石棺が埋もれており、
多くの装飾品を脇にした遺体が内部に発見されました。
翡翠の仮面をまとったこの遺体は、7世紀に在位しておられた
パカル王(在位615年~683年)として知られる王のそれでありました。
この発見は、中央アメリカのピラミッドがエジプトのそれとは違うという定説、
すなわち王の墓ではなく神殿の土台に過ぎないものとの定説を覆し、
当時の考古学界に大きな旋風を巻き起こす事となりました。
1987年に「古代都市パレンケと国立公園」として世界遺産に登録されております。
ジャパリパークの土台は海底火山の噴火によって出現した島であるので、
遺跡が埋もれている状況というのは考えづらいところであります。
強いて近い存在を挙げるならば、アニメ一期の第四話・
さばくちほーにて登場した地下迷宮かもしれません。
アトラクションとして使用されなくなって久しい状況であり、
ツチノコ様からは遺跡と呼ばれておりましたが、
設備が機能している状態が保たれていたのは意外な気もいたします。
遺跡は古の時代の文化などを今に伝える貴重な存在であります。
遺跡となった場所の文化などを先の時代に伝える事はもちろん、
遺跡を通じて現代の文化を見つめ直す事も重要であると考えております。
本日もお祈りいたします、みんみー。