本日はグリーンランド出身の極地探検家/人類学者の
クヌート・ラスムッセン氏の誕生日であります。
・1879年6月7日、グリーンランドのイルリサットにて
デンマーク人の宣教師の家にお生まれになり、
グリーンランドのイヌイットの方々と共に過ごされ、言葉や狩りの方法、
犬ぞりの使い方、厳しい季候の中での暮らし方を学ばれました。
後にシェラン島の北部の街Lyngeで教育を受けられ、20歳頃までの2年間は
俳優やオペラ歌手を目覚されましたが成功とはいきませんでした。
1902年から1904年にかけて"The Literature Expedition"と呼ばれる
最初の探検旅行をJørgen Brønlund氏とHarald Moltke氏、
Ludvig Mylius-Erichsen氏と行われ、イヌイットの文化を調査されました。
帰国後は講演旅行を行われ、1908年にイヌイットの風俗をまとめた旅行記
「The People of the Polar North」を出版されました。
1910年に友人のピーター・フロイヘン氏とグリーンランドのケープ・ヨークに
「Thule Trading Station」を設立され、ここが7回にわたる
ラスムッセン氏の探検旅行の基地となりました。その後の1912年、
ラスムッセン氏とフロイヘン氏は、アメリカ人探検家ロバート・ピアリー氏の
「ピアリーランドがグリーンランドと海峡で隔てられている」との主張が
正しいかどうかを確認するために最初の探検を行われました。
内陸氷地帯を1000kmに亘って探検された結果、
ピアリーランドが半島である事を証明された事から、
王立地理学会のClements Markham会長から
「犬ぞりでなされた最も優れた業績」と賞賛されました。
この探検についてフロイヘン氏は、「Vagrant Viking」(1953)と
「I Sailed with Rasmussen」(1958)の2冊の探検記を出版されました。
1916年から1918年の間に行われた2回目の探検は7人のチームによって、
グリーンランド北海岸部の地理情報を得るために行われました。
この探検はラスムッセン氏の探検の歴史で唯一となる、
2名の犠牲者を出す結果となり、この記録は1921年に出版された著書
「Greenland by the Polar Sea」として纏められました。
1919年にノルウェーの探検家ロアール・アムンセン氏に協力するための
3回目の探検を行われ、1919年から1920年にはグリーンランド東部を探検され、
Angmagssalikの近くの民俗学的資料を収集されました。
1921年から1924年の間に行われた探検は、
エスキモーの人種的起源を探究するために行われ、そこで収集された
民族学/考古学/生物学的資料は、現在デンマークの博物館に展示されております。
そして、10巻からなる「The Fifth Thule Expedition 1921-1924」は
後の1946年に出版されました。探検隊はカナダ東部北極圏にて
標本の収集やインタビュー、発掘を行いました。その後ラスムッセン氏は
チームを離れられた後に16ヶ月に渡って、2名のイヌイット猟師と犬ぞりで
アラスカのノームまで北アメリカを横断されました。その後、更に
ロシアに渡ろうとされましたがビザを取得する事ができませんでした。
この旅行記は1927年の著書「Across Arctic America」に纏められ、
2006年にはカナダにて「The Journals of Knud Rasmussen」
という題名で映画化されております。
この間、1923年には北極圏における探検の功績に対して、
イギリスの王立地理学会から金メダル(創立者メダル)を授与されております。
その後7年間、グリーンランドとデンマークの間を旅されながら
講演と執筆を行われ、1931年には、ノルウェーとデンマークの領有を争った
グリーンランドの東部の調査を行われました。1933年に行われた7回目の探検で
イヌイットやエスキモーの伝統的な漬物キビヤックによって食中毒になられた後、
1933年12月21日、肺炎によってコペンハーゲンで54年の生涯を閉じられました。
未知なる場所への探検は、けものフレンズの各作品にとって物語の根幹であり、
主な登場人物の方々が様々な場所で多くの方々と出逢われ、
交流、成長、発見、問題の解決などの経験を重ねられる物語が、
多くの方々の共感を呼ぶ大きな要素となっております。
世の中は知らない事の方がはるかに多く、古今東西様々な発見が
生物の進化や文化の発展を育んできております。
これから、どのような発見が、どのような発展をもたらすのでしょうか?
本日もお祈りいたします、みんみー。