本日はアレクサンダー・ジョイ・カートライト氏の誕生日であります。
アレクサンダー・ジョイ・カートライト氏は、
現代の野球のゲームルールを確立されたといわれる人物であります。
1820年にニューヨークにてお生まれになり、
16歳の時からウォール街で働かれ、ユニオン・バンク・オブ・ニューヨークの
事務員として生計を立てておられましたが、1845年に発生した大火によって
勤められていた銀行が焼失して職場が失われる事態に見舞われてしまい、
後に兄弟の方々と共にウォール街で本屋を営まれる事となりました。
カートライト氏は他のマンハッタン地区で働かれる若者と同じく
ボランティアの消防団に参加しておられ、その当時の団員の方々と
レクリエーションとしてタウンボールを導入されておりました。
その後、1842年にはタウンボールを楽しむ社交クラブとして
「ニッカーボッカー・ベースボール・クラブ」を設立されました。
クラブは会員制で、プレーの際にはユニフォームも着用し、
試合後は対戦したチーム同士が食事を取られるなどもしていたとされております。
1845年、ニッカーボッカークラブは当時試合毎にルールを決めていた
タウンボールを自分たちに合うように細部の規則を決められて、
それを文書化して統一のルールの下で試合を行うように決められました。
これがいわゆる「ニッカーボッカー・ルール」と呼ばれるものであり、
この時に決められた規則が現代の野球規則の下地となっております。
1849年、カートライト氏は金の採掘のためにカリフォルニア州に赴かれ、
その旅の途中途中において各地に野球を伝承されました。
なお、カリフォルニアでの金を採掘する計画は
現地のキャンプでのコレラ流行のために頓挫する事態に見舞われてしまい、
その後、カートライト氏はハワイに移り住まれる事となりました。
1892年7月12日、カートライト氏はホノルルにて72歳の生涯を閉じられ、
1938年にはアメリカ野球殿堂入りを果たされております。
そして、「現代野球の父」としてのカートライト氏の功績は
1953年にアメリカ合衆国議会で正式に承認される事となりました。
・カートライト氏が当初発案された野球ルール「ニッカーボッカー・ルール」は、
おおよそ以下のようなものとなっており、これらの規則はその後も
細部に修正が加えられながら現在のルールブックに至っております。
4条・ベースは4つとし、二塁と本塁の間の距離は42フィート、
一塁と三塁の間の距離は42フィートとする。
8条・先に21点を取ったチームが勝ちとなる。
9条・投手が投げるべきにするボールは打者のハットに向けて投げないとする。
10条・打者が一塁線、三塁線より外に打てたボールは、ファウルとする。
ファウルはストライクと数えない。
11条・打者が3度空振りし、3度目の空振りのボールを捕手が捕球するか、
フライを取るか、ワンバウンドで野手がボールを掴むとアウト。
だが、野手が失策して掴まなかったら、打者が走者で塁に立てる。
12条・打者が打ったゴロ球、ワンバウンド球、
フライ球を掴み取るとアウトにする。
13条・走者は野手によりボールに触れられるとアウトとなる。
だが、走者にボールをぶつけることは禁止される。
15条・3つのアウトで攻守を交替する。
16条・投手は1つのイニングから打者へのストライクを取るべきにする。
18条・打者が打ったファウルの球をストライクにならないとする。
20条・野手が打者の打った打球のバウンドを許すと失策にする。
けものフレンズの二次創作におけるタグの一つ「野球解放」に登場される
フレンズの方々が野球のルールをご存知かどうかは定かではありませんが、
ルールを理解されておられるならばチームの応援にもより熱が入られ、
フレンズの方々自身が全力でのプレーをされるならば、
試合はこの上なく白熱する事でありましょう。
世界の様々な国で親しまれている野球でありますが、
その試合は、カートライト氏をはじめとする多くの方々の
試行錯誤の後に生み出されたルールがあってこそであります。
規範を作られる方々には頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。