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みんみ教徒の集い / 3281

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流浪のみんみ教徒 2022/04/12 (火) 00:33:33 457e0@20dfe

本日は1784年(旧暦・天明4年2月23日)に筑前国(現在の福岡県)の志賀島にて、
「漢委奴国王印」(かんのわのなのこくおういん)が出土された日であります。
・漢委奴国王印は日本で出土された純金製の王印(金印)であります。
 歴史の授業にて習うので、ご存知の方も多いかと思われます。
 「後漢書」の「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」に
 「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
  (建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、
   倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う)という記述があり、
 後漢の光武帝が建武中元2年(西暦57年)に奴国からの朝賀使へ
 (冊封のしるしとして)賜った印がこれに相当するとされております。
・江戸時代天明年間(旧暦の天明4年2月23日・1784年4月12日)、
 水田の耕作中に地元の百姓の甚兵衛氏が偶然発見したとされる一方、
 発見されたのは秀治氏と喜平氏という別の百姓で、
 甚兵衛氏は金印を那珂郡の奉行に提出された人物であるという説もあります。
 一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したとされ、
 すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、
 巨石の下に隠される形で埋もれていたとされております。
・1914年、九州帝国大学の中山平次郎氏が現地踏査と福岡藩主黒田家の古記録
 及び各種の資料から、その出土地点を筑前国那珂郡志賀島村東南部
 (現在の福岡県福岡市東区志賀島)と推定され、
 その推定地点には1923年3月、郷土史研究家の武谷水城氏による
 「漢委奴國王金印発光之処」記念碑が建立されました。
 その後、1958年と1959年の2回にわたり、森貞次郎氏/乙益重隆氏/
 渡辺正気氏らによって志賀島全土の学術調査が行われ、
 金印出土地点は中山氏が推定された地点よりも北方の
 叶ノ浜が適しているとの見解が提出されました。
 1973年及び1974年にも福岡市教育委員会と九州大学による
 金印出土推定地の発掘調査が行われ、現在は出土地付近は
 「金印公園」として整備されております。
・1931年、この金印は当時の国宝保存法に基づく国宝
 (現在の文化財保護法の「重要文化財」に相当)に指定された事によって
 世間に知られるようになりました。福岡藩主黒田家に伝えられたものとして
 明治維新後に黒田家が東京へ移った際に東京国立博物館に寄託されました。
 1954年3月20日には文化財保護法に基づく国宝に指定されております。
 1973年に黒田家/東京国立博物館/文化庁の許可を得て、
 福岡市立歴史資料館によって純金の複製品が作成されました。
 福岡市立歴史資料館/九州歴史資料館/文化庁/東京国立博物館も一顆を作成し、
 翌年の1974年より福岡市立歴史資料館にて展示されております。
 その後、福岡市美術館の開設に際して1978年に黒田長礼元侯爵夫人の
 黒田茂子氏から福岡市に寄贈され、1979年から福岡市美術館で、
 1990年から福岡市博物館で保管/展示されております。
けものフレンズにおいて出土されたもので思い浮かぶのは、アニメ一期にて
サンドスターが噴出する山に埋められていた「四神」でありましょうか。
様々な道のりを経て、みんみ様達によって出土された「四神」でありますが、
おそらくこれが、山が「神聖な場所」である理由の一つであろうと想像できます。
その役割もサンドスター・ロウのフィルタリングという重要なものであり、
パークの環境の安定にとって大きな存在である事は間違いありません。
重要な品物であっても時代と共に忘れられていき、
長い時間の後に偶然発見される事はこれまで幾度もありました。
現在もなお、重要な品物がどこかに隠れているのかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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