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みんみ教徒の集い / 3265

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流浪のみんみ教徒 2022/03/27 (日) 00:03:03 457e0@38d08

本日は2015年に「平成の大修理」を終えた姫路城が再び公開された日であります。
・姫路城は兵庫県姫路市にある城郭であります。
 姫路城は播磨国飾磨郡(現在の姫路市街の北側)にある
 姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、
 日本における近世城郭の代表的な城郭の一つであります。
 江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つで、
 中堀以内の殆どの城域が特別史跡に、現存建築物のうち
 大天守/小天守/渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物
 (櫓および渡櫓27棟/門15棟/塀32棟)が重要文化財に指定されており、
 1993年12月にはUNESCOの世界遺産(文化遺産)に登録されております。
 この他、「日本100名城」「国宝五城」「三名城」の一つとして、
 また、「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられております。
・姫路城の始まりは、1346年に赤松貞範氏によって築城されたとする説が有力で、
 「姫路城史」や姫路市ではこの説が採用されております。
 一方で、赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、
 城郭に相当する規模の構築物としては、戦国時代後期に
 西播磨地域にて権勢を振るわれた小寺氏の家臣である、
 黒田重隆氏・職隆氏父子による築城を最初とする説もあります。
 戦国時代後期から安土桃山時代にかけて黒田氏や羽柴氏が城代になられると、
 山陽道上の交通の要衝の姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、
 関ヶ原の戦いの後に城主となられた池田輝政氏によって、
 今日見られる大規模な城郭へと拡張される事となりました。
 江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名の監視のために
 西国探題が設置されました。城主は歴代の大名が交替されて務められ、
 池田氏に始まり譜代大名の本多氏/榊原氏/酒井氏や親藩の松平氏が配属され、
 明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦氏まで約270年間、
 6氏31代(赤松氏から数えて約530年間、13氏48代)にも及ぶものでありました。
 明治時代初期に陸軍省の管理下に入りましたが間もなく民間に払い下げとなり、
 競売で神戸清一郎氏が23円50銭で落札されましたが、
 その後なな権利が放棄されたらしく国有に戻る事となりました。
 その後は陸軍兵営地となり歩兵第10連隊の駐屯地として使用され、
 兵舎増築のため本城/向屋敷/東屋敷等が撤去されました。
 建物は経年劣化が進んでいきましたが、陸軍の工兵大佐の中村重遠氏の
 働きかけによって大小天守群や櫓群などを名古屋城と共に保存する事が決まり、
 その後また劣化が進むと市民の間から衆貴両院に修復工事の陳情が行われ、
 議会の決議により国費9万円をもっての「明治の大修理」が行われました。
 この大修理を機に市民の間から陸軍省から姫路市への払い下げと
 城の公開を求める声が強まり、姫路市会の決議を経て1914年に軍用地を除き
 姫路市への無償払い下げが決定して、公開される事となりました。
 史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき1927年には姫路城は史跡に指定され、
 更に国宝保存法に基づき1931年に姫路城天守閣が国宝に指定されました。
 第二次大戦中には姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた
 焼夷弾が不発弾となる幸運もあり、奇跡的に焼失を免れる事となりました。
 こうした数度の戦災を免れた経緯から「不戦の城」とも呼ばれております。
 戦後には、いわゆる「昭和の大修理」が行われました。直接的な契機は
 1934年の豪雨で櫓や石垣の一部が損壊した事によるものでありました。
 一連の修理は全解体を伴う非常に大規模かつ
 抜本的なものであった事から、「昭和の築城」とも呼ばれております。
 1947年10月、三の丸を「三の丸野球場」として使用が開始されました。
 そこではプロ野球の試合が行われ、また、1952年からは中曲輪の南西部にあった
 歩兵第三十九連隊跡地が「本町野球場」として1988年まで使用されました。
 1976年から姫路公園整備計画が行われ、城北の姫山住宅跡地が
 公園に整備されて、野外ステージなどが建設されました。
 なお、この整備工事の過程で清水門の石垣が発掘されております。
 1992年に日本が世界遺産条約に批准する事となり、
 UNESCO世界遺産暫定リストに姫路城などが記載されました。
 姫路城は最初に推薦された物件の一つとなり、1993年12月11日に
 法隆寺地域の仏教建造物と共に日本初の世界遺産(文化遺産)に登録されました。
 木造建築物であり抜本的な修理工事を経ている姫路城の登録は、
 文化財のオーセンティシティ(真正性/真実性)をどう評価するかという問題を
 改めて提起する事となり、その後の世界遺産登録にも大きく影響した
 「奈良ドキュメント」成立に繋がっております。
 また、この年から石井幹子氏による夜間照明の演出が始まっており、
 この照明は2023年から順次LED照明に切り替えられる予定となっております。
 この世界遺産登録を機に制定されたのが「平成中期保存修理計画」であります。
 この時点では大天守の修理は昭和の大修理から50年を経て
 別途検討する内容でありましたが、その後の破損等を踏まえて計画が前倒しされ、
 2009年から2015年にかけて姫路城大天守保存修理工事が
 行われる事となりました。これがいわゆる「平成の大修理」であります。
 工事は2009年6月27日に着工され、2015年3月18日に竣工されました。
 同月26日には姫路城大天守保存修理完成記念式典が開かれ、
 ブルーインパルスによる祝賀飛行も行われました。
 その翌日には大天守の修理事業が完了し、再公開されております。
ジャパリパークにおいて城といえば、アニメ一期の第六話であります。
おそらく小天守くらいの大きさではないかと想像できる建物には
滑り台が設置されており、そこまで登るための階段も確認できます。
城内は畳/襖/障子など日本の建物らしく纏められており、
パーク内の建造物の中でもひときわ印象的なものとなっております。
城郭はその国の象徴となる建造物であると同時に、
その国の歴史を現代に伝える貴重な資料でもあります。
これからも末永く歴史が語り継がれる事を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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