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みんみ教徒の集い / 3227

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流浪のみんみ教徒 2022/02/26 (土) 00:03:33 修正 457e0@ad080

本日はアジアゾウ「林旺」(リンワン)の命日であります。
・「林旺」は1917年1月18日に、当時のビルマ
 (現在のミャンマー)で生まれた雄のアジアゾウであります。
 1937年に勃発した日中戦争は、日本軍による真珠湾攻撃を境に
 第二次大戦の主戦場となり、ビルマ攻撃のために日本軍が進軍を始めると、
 蒋介石氏はビルマでの軍事作戦のために中国遠征軍を組織され、
 孫立人氏を指揮官に任命されました。1943年には日本軍基地で戦闘が行われ、
 遠征軍はこの基地から13頭の象を押収する事となりました。
 この13頭は物資の輸送のために日本軍によって使役させられていたもので、
 後の「林旺」が含まれておりました。その後、連合軍もこの13頭を
 同じような目的で使役しております。
 なお、その時の「林旺」は「阿美」という名で呼ばれておりました。
 1945年になると中国遠征軍には中国への撤退命令が下され、
 遠征軍は13頭を伴って険しい山岳地帯を貫いてビルマと雲南省を結ぶ
 ビルマ公路を行軍するが途中で6頭が命を落としてしまいました。
 一行が広東省へ到着する頃には終戦を迎えておりましたが、
 軍隊での象達の役目は終わった訳ではなく、戦没者慰霊のための
 モニュメントを建てるといったオペレーションで役割を果たし、
 1946年には湖南省を襲った飢饉の被災者のための
 義捐金を集めるためのサーカスでパフォーマンスを行いました。
 その後、7頭のうちの4頭は北京市/上海市/南京/長沙市の動物園に送られ、
 残りの「林旺」を含む3頭は広州市の公園に移動させられました。
 1947年、孫立人氏は部隊の訓練のために台湾へと送られた際に、
 広州市の公園に送られた「林旺」を含む3頭を伴って台湾海峡を渡られました。
 その後、その中の1頭は旅の中で病気によって亡くなってしまいましたが、
 残る2頭は高雄市鳳山区の基地周辺にて木材輸送等の役割を果たしました。
 1951年にはもう1頭の象が亡くなった事で、「林旺」はビルマから
 遠征軍と行動を共にしてきた13頭の象の最後の1頭となりました。
 1952年、軍は「林旺」を圓山の台北動物園に寄贈する事に決定し、
 この時に「林旺」は生涯の伴侶「馬蘭」と出会う事となりました。
 「林旺」はこの時はまだ「阿美」という名で呼ばれておりましたが、
 動物園側は名前が女性的だという理由で「阿美」を「森林之王」、
 略して「林王」と改名しましたが記者が聞き間違えられたため、
 「林旺」という字で世間に公表されてしまい、定着する事となりました。
 (「王」と「旺」は音は同じだがイントネーションが異なる)
 「林旺」は台湾で最も有名で人気のある象となり、1983年には動物園によって
 「林旺」の66歳の誕生日パーティーが開催されました。
 以降、毎年10月の最終日曜日に「林旺」の誕生日パーティーが開かれ、
 数千人のお客様が来園されるようになりました。
 その中には台北市長が参加される事も珍しくありませんでした。
 1986年、動物園は圓山から木柵へと移設される事となり、動物たちの引っ越し、
 特に「林旺」の姿を見ようと多くの台北市民の方々が道路に押しかけられました。
 2003年のはじめ、「林旺」は左後足の関節炎に悩まされるようになりました。
 その後、食欲の減退の他、様々な合併症によって急速に体調を悪化させ、
 2月26日に86年の生涯を閉じる事となりました。
 これは飼育下でのアジアゾウの最長寿記録となっております。
 「林旺」の追悼式典は数週間にわたって開催され、数万人の方々が訪問されました。
 後に、当時の台北市長の馬英九氏によって名誉台湾市民の称号が授与され、
 台湾総統の陳水扁氏によって「永遠の友、林旺へ」と綴られた
 カードとリースが贈呈されております。
 2004年には「林旺」の等身大の剥製が製作され、台北動物園に飾られております。
けものフレンズには象のフレンズの方々がいらっしゃいます。
いずれの方も元の動物と同じように大きな体格をお持ちでありますが、
その体格と同じように大きな心と友好的な雰囲気をお持ちでいらっしゃいます。
自由に暮らしていた象達が戦争に利用されてしまったのは大変悲しい事であり、
人類にとって最も恥ずべき事の一つでもあります。
この先、人類が動物達と持続的な共生を実現するためにはどうすれば良いか、
それも世界平和に向けた課題の一つではないかと考えられます。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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