本日は1582年に、ローマ教皇グレゴリウス13世による
「グレゴリオ暦」への暦法改正が発布された日であります。
・グレゴリオ暦は、ローマ教皇グレゴリウス13世が
旧暦にあたるユリウス暦の改良を命じられ、
1582年10月15日金曜日から行用されている暦法であります。
現行太陽暦として日本を含む世界各国で用いられており、
グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦(旧暦)に対比して
新暦と呼ばれる場合もあり、紀年法はキリスト紀元(西暦)が用いられます。
グレゴリオ暦の本質は、平年では1年を365日としておりますが、
400年間における(100回ではなく)97回の閏年を366日とする事により、
400年間における1年の平均日数を365日+(97/400)日=365.2425日
(365日5時間49分12秒)とする事であります。この平均日数365.2425日は、
実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の365.242189572日
(2013年年央値)に比べて約26.821秒長いだけであり、
ユリウス暦に比べると格段に精度が向上しております。
日本では1872年(ほぼ明治5年にあたる)に採用され、
明治5年12月2日(旧暦)の翌日を明治6年(1873年)1月1日としております。
・ローマ教皇グレゴリウス13世、本名ウーゴ・ブオンコンパーニ氏は
1502年1月7日にボローニャにてお生まれになり、様々な教育を経られた後に
ボローニャ大学にて法学を修められ、1530年に学位を取得されました。
その後、同大学で法学の教官として教壇に立たれました。36歳の時には
教皇パウルス3世によってローマへ招かれ、教会法関係の業務を務められ、
教皇ピウス4世の時代に枢機卿に入られ、トリエント公会議にも参加されました。
1572年5月14日、教皇ピウス5世の後任として第226代ローマ教皇に選ばれ、
「グレゴリウス13世」と名乗られました。トリエント公会議の決議の実施を
徹底させるなどの教会改革に取り組まれ、1582年10月15日には
それまでのユリウス暦を改めたグレゴリオ暦の導入に開始されました。
後に聖職者養成のために多くの神学校を設立され、イエズス会の教育事業を
強力に後押しされました。イエズス会は多くの学校をヨーロッパに設立し、
中でも有名なのがローマ学院であります。教皇は学院に大規模な援助を行われて
学院の規模を拡張されました。この業績はこの学校の現在も続く名称である
「グレゴリアン大学」という名前に記念されております。
一方で、カトリック諸国のリーダーとして、イングランド女王である
エリザベス1世の統治の転覆を支援された事は、イギリスにおいて
カトリック教徒の方々が敵視されてしまう原因を作る事となり、
モロッコでの戦争やフランスでの痛ましい事件の端緒となってしまいました。
その後、ローマにおいてサン・ピエトロ大聖堂にグレゴリウス聖堂を建築され、
1580年には現在でも首相公邸として用いられている
クイリナーレ宮殿を造営されました。また、教皇の治世の最晩年にあたる
1585年3月には日本の使節団「天正遣欧少年使節」が謁見されております。
その後、教皇は1585年4月10日に83年の生涯を閉じられました。
ジャパリパークにおいても、こちらの世界と同じくグレゴリオ暦が用いられ、
それを基に様々なスケジュールが立てられているものと考えられます。
もちろん節目の日ごとに様々なイベントなどがあり、
4年ごとに閏年があるのも、こちらの世界と同じであると考えられます。
グレゴリオ暦は世界の基軸となる時の区切り方であり、
私達の生活のリズムを形作る上でも大切なものであります。
そして、そのシステムが400年以上前に出来上がった事に驚かざるを得ません。
本日もお祈りいたします、みんみー。