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みんみ教徒の集い / 3180

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流浪のみんみ教徒 2022/01/20 (木) 00:03:03 457e0@7405c

本日は海外団体旅行の日であります。
1965年のこの日に、日本航空株式会社が海外団体旅行「ジャルパック」を発売し、
海外団体旅行がブームになった事に因んで、同社によって制定されました。
・日本航空株式会社は東京都品川区に本社を置く大手航空会社で、
 航空会社として日本で最も長い歴史を持つ企業であります。
 1950年6月にGHQにより日本の航空会社による運航禁止期間が
 解除される事となり、1951年に準備が着々と進められました。
 まず1月に日本航空創立準備事務所が開設され、
 同時期に他の4社が国内航空運送事業免許申請の意向を見せるも、
 行政指導により最終的に日本航空に一本化されました。
 3月に国内航空運送事業の免許を申請、5月に営業免許を取得し、
 8月に「日本航空株式会社」として設立され、
 10月25日には国内の定期旅客運航が開始されました。
 1953年8月に「日本航空株式会社法」が公布/施行された事により、
 運航路線が国際線および国内の幹線のみに限定されました。
 また、同法律の公布に基づき、1953年10月1日には特殊会社である
 新しい「日本航空株式会社」が誕生し、それまでの日本航空株式会社は
 同日付で新会社に一切の権利義務を承継して解散する事となりました。
 現在の日本航空株式会社はこの時の新会社である日本航空株式会社の
 法人格を引き継いでいるため、この日が設立年月日となっております。
 1954年2月2日には第二次大戦後の日本の航空会社としても初となる
 国際線の運航が開始されました。一方、この時期からIATA
 (国際航空運送協会)の決定により、これまでのファーストクラスに合わせて
 エコノミークラスの設置が許可され、また、アメリカの主要都市に相次いで
 営業所を開設して、1955年度には国際線/国内線とも黒字に転じました。
 なお、皇族や首相/閣僚の方々の海外公式訪問や国内移動の際に日本航空の
 特別機が頻繁に使用されるようになったのも、この頃からであります。
 1960年代から高度経済成長を追い風に、国内線/国際線/貨物路線ともに
 新型のジェット機を相次いで導入し、1965年1月に日本初の海外パックツアー
 「ジャルパック」を発売、更に1967年にはアジアの航空会社として初の
 世界一周路線を実現しております。1970年からボーイング747を導入し、
 日本のフラッグキャリアとしてより一層の充実を図った一方、
 1972年に相次いで起こった航空事故、ハイジャック犯による犯行、
 オイルショックによる経営への打撃など苦しい時代でもありました。
 1980年代に入ると好調な日本経済の状況により円高が進んだ事や、
 国際線の競争激化に伴って航空運賃が下がった事などから
 日本人の海外渡航が飛躍的に増加し、1984年には国際線定期輸送実績において
 世界第1位となるなど航空会社として大きな飛躍を遂げた一方、
 1982年の羽田沖や1985年の123便など大きな事故もありました。
 また、1951年の設立から長らく半官半民という経営体系でありましたが、
 1985年9月には、当時の中曽根首相が進められる、国営企業や特殊法人の
 民営化推進政策を受けて完全民営化の方針を打ち出し、準備期間を経て
 1987年11月に完全民営化される事となりました。
 1990年代はバブル景気の崩壊、海外渡航者の減少と燃料の高騰、
 1980年代以降の過剰な投資、経営判断のミス、人件費の高騰など
 様々な悪条件が重なり、巨額の経常損失を計上し経営不振に陥りました。
 その後、事業再構築など様々な経営の立て直しが図られ、
 1990年代半ばには経営状況が回復し、1995年6月には日本の航空会社として
 初のウェブサイトを開設するなど様々な新規サービスが開始されました。
 2000年代は路線の無理な拡充や放漫経営により3000億円を超える
 有利子負債を抱えましたが、合併を前提とした経営統合を行ってからは
 大幅に経営体系が変わり、また、「聖域なきコスト削減」なども行われ、
 2007年4月1日には航空アライアンス「ワンワールド」への加盟が行われました。
 しかし、2007年後半より起きた世界金融危機と原油高、
 燃油サーチャージの導入、新型インフルエンザの発生などを受けて、
 2008年以降は再び経営状況が悪化し、様々な経営改善策が講じられましたが、
 2010年1月19日に会社更生法の手続を申請し、倒産する事になりました。
 その後、経営再建が図られて、2011年3月28日に会社更生が終了し、
 民間企業に復帰する事となりました。その後はエアバスの導入や
 2017年の39年ぶりとなる羽田発着のニューヨーク便の復活、
 格安航空会社の設立などを経て、現在に至っております。
・ジャルパックは、JALグループの旅行会社の名称・株式会社ジャルパック、
 及び同社が実施しているパッケージツアーのブランド名であります。
 高度経済成長による外貨獲得高が伸びたため、第二次大戦後以降の
 日本人の海外渡航制限が1964年に解除された事を受けて、
 1965年1月20日に日本初の海外パッケージツアーブランドである
 「ジャルパック」第一弾の発売が日本航空株式会社によって開始され、
 全7コースがIATA加盟旅行代理店から一斉発売されました。
 当時はツアー参加者にサービスとしてトラベルバッグを配布しており、
 そのバッグが海外旅行者の間でステータスとされておりました。
 現在では高級なイメージは払拭され、一部の高額パッケージツアーを除き、
 現在販売されているものは一般的なパッケージツアーとなっております。
 その後、ジャルパックは海外パッケージツアーの代名詞となり、
 1969年4月4日に日本航空と主要旅行会社の出資により、
 ジャルパックを企画/運営/管理/販売するホールセラーとして
 「旅行開発株式会社」が設立されました。この企業は1991年に社名を
 「株式会社ジャルパック」に変更しております。
 なお、現在の主なブランド「JALパック」の国内旅行のパッケージツアーは、
 2022年3月31日の帰着分をもって販売終了を予定しております。
ジャパリパークは世界の主要な陸地から離れた場所に位置していると推察され、
また、パーク自体がとてつもなく広大であるため、一般的な動物園のように
ある程度の時間内に次々と周遊するのは難しいと思われます。
そこで、決まった日程の中でパーク内の決まったルートを周遊する、
パッケージツアーのような方法も充分に考えられます。
旅客機を用いる旅行は昔と比べて随分と簡単なものとなりました。
現在は新型ウイルスによる影響でまだまだ難しい状況でありますが、
様々な国や地域に気軽に行く事のできる状況に戻る事を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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