本日は1594年(旧暦・文禄2年11月26日)に日本初の木製活字本となる
「古文孝経」(こぶんこうきょう)が印刷された日であります。
・孝経は中国の経書の一つで、儒家が重視する
13の経書の総称「十三経」の一つであります。
作者については幾つかの説があり、中国の思想家にして
儒家の始祖でいらっしゃる孔子氏本人の作とする説、
孔子氏の主要な弟子のお一人でいらっしゃる曽子氏の作とする説、
曽子氏の門人の方々の作とする説、などであります。
・孔子氏と曽子氏が儒教の重要概念である「孝」について問答をされる
という形式を取っており、古文は22章、今文や御注本は18章から構成され、
各章の終わりには中国最古の詩篇「詩経」の文句が多く引用されております。
親を愛する孝は徳の根本であり、「至徳」であり、
上は天子の政治から下は庶民までの行動原理であるとしております。
全体は短く、漢の時代に官学とされた儒学における経書の総称
「五経」のうちには含まれておりませんが、古くから重要視されております。
・古来、孝経のテキストには「古文」と「今文」の二系統が存在しております。
秦の始皇帝による焚書(書物の焼却・言論統制/検閲/禁書などの一種)の後、
前漢時代の初めに顔芝氏と顔貞氏の父子によって世に出された孝経は、
漢の時代に通用していた隷書で書かれていたために「今文孝経」と呼ばれます。
これに対して、中国古代の文字であると主張される
「蝌蚪文」(科斗文・かとぶん)によるものが「古文孝経」と呼ばれます。
・日本では古くから孝経が重視され、728年頃の「美努岡万墓誌」には
古文孝経を基とした文章が使われております。
また、陸奥国胆沢郡(現在の岩手県奥州市水沢)の胆沢城から発見された
孝経の漆紙文書は奈良時代中期か後半のものとされております。
古文孝経の古いテキストとしては建久6年(1195年)の奥書を持つ
愛知県豊田市の猿投神社所蔵の本や、仁治2年(1241)の奥書を持つ
清原教隆校点本(内藤湖南氏の旧蔵、現在は杏雨書屋の所蔵)をはじめとして、
多くの抄本が日本に残っております。
ジャパリパーク内にある図書館には様々な本が所蔵されており、
おそらく、その全てが現代文であろうと思われます。
しかし、ほぼ全てのフレンズの方々は文字を読む事ができず、
情報はイラストや写真を頼りにする他なかったはずであり、
アフリカオオコノハズク様とワシミミズク様が
かばん様の読解力に注目されたのは必然であるとも言えます。
古文は古の文化を現代に伝えるものであると同時に、
人類が如何にして情報を洗練させてきたかを示す指標でもあります。
文字や用法は古くとも、その意志や思考や現代に繋がるものであり、
また学ぶべきものでもあり、それこそが温故知新なのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。