本日は世界点字デーであります。
現在使われている点字を完成されたルイ・ブライユ氏の誕生日に因んで、
世界盲人連合が1月4日に制定した国際デーの一つであり、
「国際点字デー」「世界点字の日」などと記載される事もあります。
2000年11月20日から11月25日に開催された「世界盲人連合総会」にて議題に登り、
「点字の歴史を踏まえ、1月4日を国際点字デーとする。」と採択されました。
1824年もしくは1825年に世界初の盲学校・パリ訓盲院の生徒でいらっしゃった
ルイ・ブライユ氏がブライユ式点字表記を完成されました。
なお、このブライユ氏が作成された点字の改良はその後も続いた為に、
どの時点が「完成」で、どの時点からが「完成後の改良」なのかは解釈の余地があり、
世界盲人連合は1824年説、国内の研究者は1825年説を採用しております。
このように完成した日を特定できていない為に、ブライユ氏の誕生日である
1月4日からこの日をもって「点字の日」として定められました。
そして、前述の通り2000年に世界盲人連合により
「世界点字デー」と国際的な記念日に制定されました。
ルイ・ブライユ氏は、アルファベットを6つの点の組み合わせで表現する
点字を考案された、フランスの盲学校の教師でいらっしゃいます。
1809年1月4日、パリの北東約40kmに位置するイル・ド・フランス地域圏
セーヌ=エ=マルヌ県クヴレ村にて、馬具職人である父親のシモン氏と
母親のモニク氏の間に4人兄弟の末っ子としてお生まれになりました。
1812年、自宅にあったシモンの工房で遊んでいるうち、
誤って事故により錐で左目の眼球を突いて負傷してしまわれ、その後、
右目も交感性眼炎を起こした事により5歳で両目とも失明してしまわれました。
1800年代初頭の当時においては、ブライユ氏のように
障害のある子供に対しては教育は不必要とされており、
不遇な目に遭われる事が殆どでありましたが、幸いにもブライユ氏は
ご家族の協力によって生活能力や知識を身につけられました。
6歳の時、村を訪れた神父のジャック・パリュイ氏に聡明さを見出され、
7歳の時にパリュイ神父から村の学校のアントワーヌ・ベシュレ校長への
取り計らいによって学校に通われ、他の生徒の方々と同じように授業を受けられ、
優秀な成績を収められました。学校での成績や「自分で読み書きがしたい」という
ブライユ氏の願望に対して、更に進んだ教育が必要と感じられた
周囲の方々の援助によって、村の侯爵はヴァランタン・アユイ氏が設立された
パリの王立盲学校への入学のための推薦状を送られました。後にそれが認められ、
1819年にブライユ氏は同校に奨学生として入学される事となりました。
同時期、ブライユ氏はフランス軍の軍人シャルル・バルビエ氏が考案された
ソノグラフィ(夜間文字、暗やみの字)と呼ばれる12点式の暗号に出会われ、
これを基に6点式の点字を発明されました。その後、王立盲学校を卒業され、
同校の教官に就任されました。この王立盲学校はセーヌ川沿いにあり、
建物が元々監獄として使われた他、造りが古く湿気が多く不衛生だったため、
100人近く在籍された生徒の方々も不健康な状態となった事も相まって、
ブライユ氏も26歳の時に肺結核を患ってしまわれました。
晩年は盲学校教師として教鞭を取られ、また、教会において
パイプオルガンを演奏されるなどの活躍をされました。
その傍ら、晴眼者・視覚障害者両用の点文字の開発に務められました。
この点文字は、はじめブライユ氏が点字器で試みられたものを、
ブライユの友人で視覚障害者でもいらっしゃった
ピエール・フランソワ・ヴィクトル・フーコー氏が独特の機械を開発され、
これは後に「ラフィグラフ」と呼ばれるようになりました。
この方法はタイプライターの普及に伴って廃れる事となり、
現在では使用されておりません。
1852年1月6日、ブライユ氏は肺結核のため43年の生涯を閉じられました。
没後100年にあたる1952年、ブライユ氏の遺骸は故郷のクヴレ村から
パリに移され、ヴィクトル・ユーゴー氏やエミール・ゾラ氏など
多くの国民的英雄が祀られているパンテオンに葬られました。
・世界盲人連合は、盲人の権利を守る目的で1984年に
「国際盲人連盟」と「世界盲人福祉協議会」が提唱して、
サウジアラビアのリヤドで開催された設立総会にて
両団体を合併して設立された世界盲人運動団体であります。
4年ごとに役員改選が行われ、理事会が開催されます。
現在、約170カ国の全国盲人団体が加盟しており、
アフリカ/アジア/アジア太平洋/ヨーロッパ/南アメリカ/
北アメリカ・カリブ海に地域事務局が置かれております。
運動団体として世界各国で点字を使う盲人の権利を推進しており、
会議言語として英語の音声と英語の点字を使う事となっております。
日本からは「日本盲人福祉委員会」が設立当初から加盟しております。
ジャパリパークは様々なお客様が来園される動物園施設であり、
お客様の中には身体が不自由な方がいらっしゃる場合もあります。
その場合に対するホスピタリティーがどこまで充実しているのかは
残念ながら明らかとなっておりません。
しかし、先進のテクノロジーを幾つも備えているパークであれば、
その点においても充実が図られているであろうと想像できます。
私達は視覚や聴覚などの五感を頼りに生活しておりますが、
そのどれか一つが機能しないだけで大変な不自由を強いられてしまいます。
まして、視覚から得られる情報は殊更多く、視覚が失われるという事が
どれほど辛いものであるかは想像を絶するものであります。
障害を持っておられる方々に対して、周りからのサポートは不可欠であり、
それこそが社会における共生であると考えております。
本日もお祈りいたします、みんみー。