本日は1956年から箱根駅伝が1月2日に往路、
翌日の3日に復路の開催となった日であります。
・東京箱根間往復大学駅伝競走は1920年より開催され、
毎年1月2日と翌3日の2日間にわたり行われる
関東地方の大学駅伝の競技会(地方大会)であり、
一般には「箱根駅伝」と呼ばれる大会であります。
関東学生陸上競技連盟(以下「関東学連」と表記)の主催、
読売新聞社の共催によって開催されております。
現在開催されている駅伝の中で4番目に長い距離を持つ競技大会であり、
出場校は20校での他に、出場校以外の競技者による
関東学生連合チームがオープン参加する形となっております。
2019年の第95回の記念大会では「関東インカレ」成績枠が
設けられておりましたが、第95回のみで廃止されました。
・コースは国道1号線、東京都千代田区大手町の
読売新聞東京本社ビル前から、鶴見/戸塚/平塚/小田原の各中継所を経て
神奈川県足柄下郡箱根町・芦ノ湖までの往復で、
往路107.5km/復路109.6kmの計217.1kmの距離となっております。
1月2日に東京から箱根への往路を、1月3日に箱根から東京への復路を走り、
主に通過する路線は日比谷通り/国道15号/国道1号/国道134号などであります。
・第1回大会は、アメリカ大陸の継走での横断を実施するための予選会
という位置付けで、1920年2月14日に行われました。
これは、1912年のストックホルムオリンピックに出場された
日本人五輪選手第1号の金栗四三氏が、「五輪で日本を強くするには、
長距離、マラソン選手を育成すること」と発案された事がきっかけであります。
別の説として、駅伝の由来である飛脚制度を基に、手紙に見立てた襷を、
東京から東海道の宿駅があった鶴見(川崎宿)/戸塚(戸塚宿)/平塚(平塚宿)/
小田原(小田原宿)で引継ぎ、箱根町郵便局(箱根関所)までどの大学が
一番早く届けるかというイベントとして開催されたという説もあります。
第1回から第12回のゴール地点は箱根関所跡であり、第22回(箱根神社)を除く
第13回から第44回までは箱根町郵便局がゴール地点でありました。
第二次大戦の戦時中の1941年から一時中断されましたが、1943年に一度だけ
戦時下において「箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」として開催されるも、
その後に再び中止となり、戦後の1947年に復活する事となりました。
1956年の第32回大会から現在の1月2・3日の開催となっております。
・箱根駅伝は関東地方において従前から人気がある大会でしたが、
1987年に日本テレビ放送網株式会社が全国放送で全区間の生中継を、
電波を途切れさせない完全中継の実施を1989年から開始して以降、
正月の風物詩である国民的スポーツ大会として
関東地方以外でも知名度や注目度が格段に向上し、
日本国内の学生スポーツ競技会の中でも極めて高い人気を誇ります。
また、箱根駅伝出場者からオリンピックや
世界陸上などに出場を果たされた選手も少なくありません。
けものフレンズに登場される草食動物のフレンズの方々の中には、
長距離走行を得意とされる方々も多くおられます。
この能力は元の動物においては肉食動物から逃げるためのものでありますが、
フレンズとなられてからは捕食関係が失われておりますので、
単に特技の一つとして認識されているものと思われます。
ただいま、今年の箱根駅伝大会が開催されております。
様々な大学や選手の方々による、どのようなドラマが待っているのでしょうか?
そして何よりも、全ての選手の方々が
無事に走りきって下さる事を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。