本日は1897年にトーマス・エジソン氏が
「キネトスコープ」の特許を取得された日であります。
トーマス・エジソン氏に関しては、以前にこのトピックにて
書き込みをさせていただいております。
・キネトスコープは初期の映画鑑賞装置で、名称はギリシャ語の
「kineto (運動)」と「scopos(見る)」を組み合わせたものであります。
木箱内をのぞき込む形で映像を見る仕組みとなっている装置で、
その構造上、一度に一人しか見る事ができないものでありました。
キネトスコープは映写機に分類されておりませんが、
その後の映画の基本となる技術を備えて幾つか備えております。
・キネトスコープは高さ4フィート(約1.2m)の木箱でできており、
その上部に接眼レンズが付いた「覗き穴」を備えております。
箱の内部には長さが約50フィート(約15m)のフィルムが蛇腹状に畳まれ、
両端に配置された小さな滑車にかけられております。フィルム幅は約35mmで、
その両端に1フレーム毎に4個ずつパーフォレーションが開けられております。
コインを入れると内蔵されている蓄電池で動くモーターによって作動します。
フィルムは箱内上部のスプロケットがパーフォレーションに噛み合う事で、
レンズの下を一定速度で連続的に送られる方式となっております。
送られるフィルムの下には光源のランプがあり、フィルムとランプの間には
狭いスリットの入った回転シャッターが付いております。
各フレームがレンズの下を通過すると、フィルムの下から照らされる
ランプの光を回転シャッターが瞬間的に遮り、その明滅する一連のフレームを
「視覚の持続性」によって「動く映像」として見る事ができるものであります。
しかし、今日までの映写機と同じ間欠的な駆動方式ではないため、
映像が安定的に見れないという欠点がありました。
フィルムの駆動速度は毎秒40フレーム(40fps)で、
1つの作品の上映時間は約20秒程度でありましたが、
フィルムはループ状になっており、同じ映像を何度も続けて見る事ができます。
・1888年2月25日、連続写真の技法を開拓された写真家の
エドワード・マイブリッジ氏がニュージャージー州オレンジ近郊にて、
連続写真を元にした絵が描かれたガラス円盤を高速回転させて
スクリーンに投影する事で、静止画を一つの動きに見せる装置
「ズープラキシスコープ」を用いた講演を行われ、その2日後に
エジソン氏の研究所にてエジソン氏と会談された事が、
キネトスコープ開発のきっかけとされております。
開発は蓄音機「フォノグラフ」の技術的原理を応用したシリンダー式から始まり、
後にロールフィルムが一定間隔でレンズを通過するストリップ式に移行し、
フィルムを横送り式から縦送り式にするなどの改良が加えられました。
1892年6月にコインを入れて動く仕組みによる試作機が作られ、
1893年2月に商品化に向けた耐久性のテストが行われました。
なお、このフィルムは実質的に35mmのフォーマットであり、
パーフォレーションは両端に4個ずつ付けられておりました。
この規格は後に映画フィルムの国際標準に採用されており、
現代までその基本構造は殆ど変化しておりません。
1891年8月24日、エジソン氏は映像記録装置「キネトグラフ」と
映像再生装置「キネトスコープ」に関する3件の特許を申請され、
1件目の特許がようやく交付されたのが1897年8月31日でありました。
1892年12月、エジソン氏は研究所内に映画スタジオ「ブラック・マリア」を
建設され、その後の数年間にわたって映画撮影の中心となりました。
キネトスコープ最初の公式実演は1893年5月9日に行われた、
ブルックリン芸術科学協会の物理学部門の月例集会にて行われ、
400名以上の参加者が次々とキネトスコープによる映像を拝見されました。
1894年4月14日、ニューヨークのブロードウェイ1115番地に
「キネトスコープ・パーラー」の1号店が開店して大盛況となり、
同年5月17日にはシカゴに2号店が開店するなどキネトスコープとフィルムは
次々と販売され、エジソン社は大きな利益を得る事となりました。
その後、キネトスコープはヨーロッパでも次々と稼働しましたが、
キネトスコープは国際特許を申請していなかったため、
模造品によって商業用映画が作られる事態となりました。
1895年の初めにはキネトスコープとフィルムの売上げが落ち込み、
新作映画は独創性を欠いた内容で次第に飽きられてしまい、
キネトスコープとフォノグラフを組み合わせた「キネトフォン」の試みも
失敗に終わり、エジソン社の映画事業は厳しくなり始めました。
その後、エジソン氏はアメリカの発明家トーマス・アーマット氏と
チャールズ・フランシス・ジェンキンス氏が開発された映写機
「ファントスコープ」の特許権を購入されました。
「ヴァイタスコープ」に改名して導入されたこの映写機は
最初こそ人気を呼びましたが、すぐに国内外の競合相手による安価で良質な
映写機が市場にあふれた事もあり、同年秋までに商業的に失敗に終わりました。
その後、エジソン氏は「映写式キネトスコープ(プロジェクトスコープ)」や
「家庭用映写式キネトスコープ」を開発されましたが、
独自のフォーマットのために上映作品が限られた事や、
技術的な欠陥/製造費の高騰などもあり、1915年に開発された
「スーパーキネトスコープ」が最後の映画装置となりました。
けものフレンズにおいて映像の記録や再生で思い浮かぶのは、
アニメ一期のラッキービースト様かもしれません。
映像に関する装置は小型かつ軽量なものとなっており、
記録や再生が自律的に行われるなど非常に先進的でありますが、
アニメ一期においては幾つか不具合が見られたエピソードもありました。
今や、映像の記録や再生は非常に手軽なものとなり、
何時でも何処でもどなたでも行える時代となっております。
映像に限らず、技術の世界は日進月歩であります。
この先、どのような未来が待っているのでしょうか?
本日もお祈りいたします、みんみー。