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みんみ教徒の集い / 2991

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流浪のみんみ教徒 2021/08/29 (日) 00:03:03 457e0@859c9

本日は自転車の発明家とされるピエール・ラルマン氏の命日であります。
 ピエール・ラルマン氏は自転車を発明された人物とされております。
 1843年10月25日、フランス北東部のナンシーに程近い
 ポンタ=ムッソンにお生まれになり、1862年にナンシーの乳母車製造業者に
 勤められていた際に、自転車の前身とされる乗り物ダンディー・ホース
 (ドライジーネ)を運転されている人を見かけられました。
 ダンディー・ホースはペダルを回す現代の自転車と違い、
 運転者が自身の足で地面を蹴って車体を動かす必要がありました。
 1863年、パリに移られたラルマン氏はオリビエ兄弟と出逢われたと思われ、
 1864年にダンディー・ホースにロータリー式のクランク機構と
 ペダルで構成されたトランスミッションを前輪のハブに装着され、
 現代に繋がる自転車と呼べる乗り物「ベロシペード」を設計されました。
 一方、オリビエ兄弟はラルマンの発明に商機を感じ取られ、
 フランスの発明家/実業家のピエール・ミショー氏と提携され、
 2輪のベロシペードを大量生産されました。
 このベロシペードがラルマン氏による1864年の設計に基づくものか、
 ピエール・ミショー氏のご子息のエルネスト・ミショー氏による
 別の設計によるものかは定かではありません。
 ラルマン氏がほんの短い間、ピエール氏に雇われていた可能性があります。
 1865年にラルマン氏はフランスを離れられ、アメリカのコネチカット州
 アンソニアに移住され、そこでご自身の自転車をさらに改良/公開されました。
 ラルマン氏はコネチカット州ニューヘイブンのジェームズ・キャロル氏に
 資金提供者となってもらい、1866年4月にペダル式自転車に関する
 アメリカで最初かつ唯一の特許を申請され、同年11月20日に認可されました。
 ラルマン氏の図面にはロンドンのデニス・ジョンソン氏が製作された
 曲線形フレームのダンディー・ホースと形がよく似た機械が描かれており、
 相違点はペダルとクランクが付加されている事と、
 フレーム上部に細長い鉄板をばねとして載せ、
 その上にサドルを取り付けて乗り心地の改善を図っている事だけでありました。
 しかし、この自転車がアメリカの製造業者の興味を引きつける事のないまま、
 ラルマンは1868年にパリに戻られました。この時、フランスでは
 ミショー型自転車が初のブームを巻き起こし、それがやがて欧州に広まり、
 アメリカにも渡る事となりました。ラルマン氏も1880年以前のある段階で
 再びアメリカに渡られ、ブルックリンに居を構えられながら
 アルバート・ポープ氏のもとで働いておられました。
 1880年には特許権侵害に関する訴訟の場において、自身の特許の権利を
 売却されていたポープ氏側の証人として法廷にも出廷されました。
 1891年8月29日、ラルマン氏はボストンにて47年の生涯を閉じられました。
・1993年10月11日~16日にボストンにて開催された
 第4回国際サイクリング歴史カンファレンスにおいて、
 著述家/歴史家のデイビッド・ハーリヒー氏は、
 ラルマン氏がダンディー・ホースにペダルを付けた人物として
 認められてしかるべきだとする証拠類を提示されました。
 その後、ボストンにあるサウスウェスト・コリドア公園の中を
 フォレスト・ヒルからバック・ベイへと蛇行する約5.6kmの自転車道の
 一区間には「ピエール・ラルマン・バイク・パス」の名前が付けられました。
 この自転車道は1891年にラルマン氏が亡くなられた家の近くを通っております。
 1998年には、コネチカット州ニューヘイブンで開催された
 市の国際芸術&アイデアフェスティバルの一環として、
 チャペル・ストリート990にあるニューヘイブン・グリーン公園に
 ラルマン氏の碑が設置されております。2005年、ラルマン氏は
 現代自転車の父として「アメリカ自転車殿堂」入りを果たされております。
けものフレンズにおいて自転車で思い浮かぶものといえば、
これまでの書き込みの通り「ばすてき」に登場したベダルカーであります。
このベダルカーの構造は現代の自転車と同じでありますが
左右に2台が連結されており、基本的に2名での運転を前提としております。
また、園内の近距離周遊用と思われるので速度は重視されておりません。
自転車は手軽な移動手段にして環境にも配慮した乗り物でもあります。
この日を機に、先人達の知恵と努力に思いを馳せるのも良いかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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