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みんみ教徒の集い / 2987

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流浪のみんみ教徒 2021/08/25 (水) 07:03:03 修正 457e0@bb60d

本日は1922年に信濃川の大河津分水が完成し、通水が開始された日であります。
・大河津分水(おおこうづぶんすい、または大河津分水路)は、
 新潟県を流れる信濃川の分水路であります。
 越後平野中央部で信濃川から分岐しており、
 燕市(分水地区)と長岡市(寺泊地域)の境界付近を流れて日本海に至ります。
 新潟市の「関屋分水」と共に信濃川の二つの分水路のうちの一つであります。
 全長は9.1kmで、川幅は分流点付近では約720mあるのに対して、
 河口付近では約180mと狭まっており、河口へ向かうほど幅が広くなる
 一般的な河川とは逆となっております。これは、河口付近2kmあたりが
 山地となっているため掘削土砂量を減らす必要があった事、
 及び川幅を狭め河床を急勾配にする事によって水流を速めて、
 洪水時により多くの水を流すように設計したためであります。
・本川と分水の分派点には双方に堰が設けられております。
 本川側には「大河津洗堰」、分水側には「大河津可動堰」があり、
 通常時は本川側の洗堰を開き、下流域の用水として毎秒270㎥まで流し、
 それ以上は可動堰から分水路に放流します。分流点より本川下流側が
 洪水の時には洗堰を閉じ、全水量を分水路から日本海に直接放流します。
 一方渇水時には可動堰を閉じ、全水量を洗堰から本川へ放流します。
・越後平野は河川により運ばれた土砂が堆積してできた沖積平野であるため、
 川の水面よりも低い土地がかなりの面積を占め、ひとたび洪水が発生すると
 水がすぐに溢れ、行き場のない水が容易に引かないという状態でありました。
 享保年間には既に幕府に請願が出されていたものの、
 莫大な費用及び周辺集落の反対により起工には至りませんでした。
 明治維新後の1869年に白根の庄屋である田沢与左衛門氏らが
 分水工事を越後府に請願した事でようやく分水工事を行う事が決定し、
 1870年には第1期大河津分水路工事が開始されました。
 しかし、技術的な問題や地元の負担、及び新潟港を維持できなくなる事を
 危惧した新潟町民等による反対運動や、これらの不満を糾合した一揆の発生、
 また外国人技術者の意見もあり、1875年に工事は中止となりました。
・中止された分水路工事の替わりとして1876年に内務省による
 「信濃川河身改修事業」が着手されました。これは堤防の築堤と
 河川敷整備を中心としたものでありましたが、古典型ツツガムシ病の
 蔓延によって多くの工事従事者が病に倒れる事態が発生してしまいました。
 それでも事業が進められたものの洪水被害に対する抜本的な解消には至らず、
 1881年には田沢与一郎氏や田沢実入氏らが信濃川治水会社を設立され、
 分水工事再開のための運動を広め、1882年11月から翌年3月にかけて
 有栖川宮左大臣や岩倉具視右大臣に面会され、分水工事再開を請願されました。
・1896年7月22日、西蒲原郡横田村(現・燕市横田)地内に於いて
 「横田切れ」と呼ばれる信濃川の破堤による空前の大水害が発生し、
 流域に甚大な被害が及んだ事で堤防整備の有効性に疑念が噴出しましたが、
 こうした中で原田貞介氏が大河津分水工事改良案を提出され、これを元に
 1909年に原田案をベースとした第2期大河津分水路工事が着手されました。
 第2期分水工事は当時東洋一の大工事と言われ、
 外国製及び国内製の最新掘削機が投入されました。
 採掘した土砂は2880万㎥、工事に携わった方々は延べ1000万人にも及びました。
 こうして発案から約200年の歳月を経て、1922年8月25日に分水路は通水され、
 1924年には竣工式が執り行われました。
 この大河津分水の完成は、先日書き込みをさせていただいた
 現在の萬代橋の完成へと繋がっております。
けものフレンズにおいて河川と橋梁の関係で思い浮かぶものといえば、
アニメ一期の第二話「じゃんぐるちほー」かもしれません。
じゃんぐるちほーはサンドスターの影響によって熱帯地域の気候となっており、
ひとたび雨が降ればスコールのように激しいものとなる場合が考えられます。
それにより河川の水量が大幅に増え、ジャガー様の仰るとおり
「川の形が変わる」ほどの状態となる事も珍しくありません。
「あんいんばし」の崩壊が水量の増加によるものなのか、
それともセルリアンの襲来の影響によるものなのかは判然としておりませんが、
もしも洪水の恐れがあるならば、何らかの対策が必要となるかもしれません。
人類による治水事業は古くから行われており、異常気象と呼べる状態の
現代においては更に重要性を増してくる事は間違いありません。
それは生活をより便利に豊かにするためのものでありますが、
それにおいて大切にすべきものは「自然との共生」であります。
豊かさを求めるあまり、自然を蔑ろにしてしまっては本末転倒であります。
「自然との共生」のために必要なのものの一つが、
私達の日々の取り組みの積み重ねなのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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