けものフレンズBBS NEO

みんみ教徒の集い / 2985

3592 コメント
views
90 フォロー
2985
流浪のみんみ教徒 2021/08/23 (月) 07:03:02 修正 457e0@e1be0

本日は1929年に新潟市にて鉄筋コンクリート製の橋梁、
3世代目の萬代橋が竣工した日であります。
・萬代橋(ばんだいばし/よろづよばし)は、
 新潟県新潟市中央区の信濃川に架かる国道7号線の道路橋梁で、
 国道8号/国道17号/国道113号/国道350号とも重複しております。
 また、新潟市の信濃川に架橋された初めての橋でもあります。
 橋梁名は1886年の架橋当初は「よろづよばし」
 (現代仮名遣いでは「よろずよばし」)と訓読しておりましたが、
 後に音読の「ばんだいばし」へ転訛して正式の橋梁名もそれに倣い、
 そのまま現在に至るまで定着しております。
・初代は1886年に竣工された木造の橋梁で、橋梁部は現在の位置よりも
 約30m上流側に架けられ、橋長・約782m/幅員・約7.3mを有しておりました。
 当時の市内を流れる信濃川は川幅が広かったため、橋長は現在の2.5倍以上と、
 現在の礎町通一ノ町付近から流作場五差路付近にまで及ぶ長大な橋梁で、
 日本国内の橋梁としても当時最長でありました。
 1908年3月8日、新潟市古町通八番町の芸妓屋を火元とする火災が発生し、
 火は北西の強風に煽られて延焼した後に萬代橋に引火する事態となりました。
 更には火の粉が付いた避難者の荷物からも引火して、
 橋梁の西詰側から半分以上の約472mが焼け落ちてしまいました。
・2世代目は1909年12月に同じく木造の橋梁として竣工されました。
 初代の基礎杭をそのまま使用した事が工期短縮に繋がったとされております。
 長さは初代と同じく約782mでありましたが、交通量の増加に合わせて
 幅員が約60cm広くなり、約7.9mとなっております。
 これに先立つ1896年の大水害をきっかけに実現される運びとなり、
 工事は内務省直轄の国家事業として1909年に着手され、
 1922年8月に大河津分水が完成して通水が開始されると、
 分水から下流の信濃川の水量が著しく減少し、新潟市内を流れる川幅は
 約770mから凡そ3分の1となる約270mにまで縮小されました。
 その後、新潟市では1913年6月8日に新潟駅と白山駅との間で
 市内初のバス事業が開始され、1922年7月12日には新潟駅と白山神社との間で、
 初の本格的な路線バスの営業が開始されました。当時の車体の赤い塗装から、
 市民の間では「赤バス」の通称で親しまれるようになりました。
 大正期から自動車の通行量が次第に増え、既に老朽化が進んでいた2代目橋梁は
 赤バスなどの自動車が通行する度に橋の敷板がバタバタと音を立てて
 跳ね上がる事から「バッタン橋」とも揶揄される事もありました。
 また、損傷も増加した事から度々修繕を余儀なくされる状態でありました。
 こうした中、1925年に内務省の都市計画新潟地方委員会によって策定された
 「新潟都市計画」には、萬代橋を架け替えて車道の中央部に
 路面電車を通す計画が盛り込まれ、信濃川の幅員縮小を機に橋長を短縮し、
 路面電車の軌道敷設と自動車交通の双方に対応できる
 永久橋梁への架け替えが行われる事となりました。
・現在の萬代橋の1927年7月16日に起工式が執り行われ、
 架橋工事が着工されました。橋梁はRC(鉄筋コンクリート)アーチ橋を採用、
 橋脚の基礎部には当時の日本ではまだ例の少なかった
 空気潜函工法(ニューマチックケーソン工法)が用いられ、
 塩害からの保護や経年劣化の軽減の役割を持つ「化粧張り」が施される等、
 当時の日本の架橋技術を集めたものとなりました。
 着工から2年の歳月を経た1929年8月23日に3代目の現橋が開通し、
 開通当時は橋長309m/幅員22でありました。
 2002年11月23日、土木学会は萬代橋を「土木学会選奨土木遺産」に認定し、
 2003年、国土交通省は萬代橋の改修工事を検討する旨を発表しました。
 萬代橋の欄干は高さ約850mmと低く、国の現行基準である
 1100mmを満たしていなかったため、歩行者・自転車など
 歩道部の利用者の安全性を考慮した歩道部の補修と併せて、
 欄干高さも基準値に改良する事を図ったものでありました。
 しかし、「市民が慣れ親しんだ萬代橋の景観が損なわれる」
 と危惧する意見が市民から数多く寄せられ、20以上の市民団体の連名による
 「萬代橋の景観保全についての要望書」が提出された事を受け、
 萬代橋の改修を巡って市民側と行政側の議論の場を設けられました。
 この改修計画の是非について討論が行われた結果、
 「基準値を満足しなくとも、市民の自己責任によって橋を利用する」
 という前提で「現状の高さを維持すべきである」との結論が出されました。
 この議論を機に、萬代橋を重要文化財に指定する事を目指す機運が高まり、
 現橋の架橋75周年を迎えた2004年4月16日、
 文化審議会は橋梁デザイン史上における価値の高さと、
 技術的達成度を示す遺構として貴重である旨を評価して、
 重要文化財に指定する答申を行い、同年7月6日付で正式に指定されました。
ジャパリパークは様々な地形を有する土地であり、
パークとして利用するために様々な橋が架けられております。
中には広い川幅に対応するための橋も幾つか存在しており、
アニメ一期に登場した「あんいんばし」あたりが有名でありましょう。
橋は人や物だけでなく文化等を繋ぐ役割を持っております。
萬代橋も、長年にわたり不和が続いていた新潟市と沼垂町を繋いだ事により、
両地域の交流を深めて生活圏を徐々に一体化していった経緯を持っております。
この世の中、バーチャルな繋がりが一般的となりつつありますが、
この現実においては離れた場所との交流に橋が必要となる場合もあります。
改めて、橋の歴史に思いを馳せてみるのも良いかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。

通報 ...